夕歩道
●リンク先・・・【2024年5月17日/中日新聞/夕歩道】
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— ハイパー有明 (@FJEzaWEIntOhpqB) May 18, 2024
日本のみならず、世界中で地球温暖化防止をスローガンに、脱炭素社会へとスライドしている。
温暖化が異常気象を誘発し、地球環境は著しい変化を及ぼしている。
そのためにも、脱炭素社会を形成していくことは、とても良いことだとは思う。
化石燃料を燃やすことで動力を発生させ、自動車を走らせたり、電気を生み出していたものが、次のステップに移行しようともしている。
ただ、そうしたことの裏で、不穏な動きが見え隠れしているのは気のせいだろうか。
わが国では、原子力発電所の再稼働したいがために、脱炭素社会を持ち出してみたり、再稼働の必要性を訴えるがために電気自動車を推奨したりと、ある意味強制感すら覚えるのだ。
もちろん、日本は民主主義の国で、自由経済の国であるのだから、<商売上の手腕の内>と言われればそれまでなのかもしれないが、そのために危険なものを手にするのが正しいのかとの感情もある。
原子力発電では、事故が起きれば取り返しがつかない事態になる。
そのうえ、使用済み核燃料の保管場所なども決まってすらいない。
それでも使い続けねばならない。
ゴミ箱のない部屋だとか、トイレのない部屋だとか言われ、使い続けたものをどうするかなどが定まっていない中、これからも使い続けるのが正しい選択なのでしょうか。