リチャード・ジュエル | バツイチアラカンオヤジの映画日記

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観た映画やドラマ、その他について、基本的にネタバレ無しで!無責任に感想を書き留めていきます。あらすじはコピペせず自分なりの文章でボケ防止を図りっているので当てにならないかも?!

実話ベースのイースドウッド監督作と記憶していたので取りあえず予約録画しといたヤツ!観始めて序盤では、子供の頃ニュースで「被疑者」が逮捕されたと見て「犯人」が捕まったんだと思っていたことを思い出しました。今でこそ裁判が行われ刑が確定しなければ「犯人」呼ばわりできないことは理解しているのですが、どうして報道は被疑者の段階で世間に公にするのか?もちろん報道側には警察の公式発表をそのまま報道しただけと云う免罪符はあるのだろうけどそれを見る自分達に関わりのない事件の被疑者の名を知っても何も得はないし、不安の解消と云う観点からならば何々の事件の被疑者は逮捕されたと発表すればいいだけの話だけじゃないのかな~なんて考えながら見ていたんですが見進めるうちにだいぶ違う方向に考えがずれてきました。

1996年7月27日、オリンピックが開催されていたアトランタ。アーティストのライブが行われていた公園会場で爆発物が発見された。発見したのは警備員のリチャード・ジュエルで爆発寸前まで警官とともに避難誘導に従事した彼は一夜にして英雄として脚光を浴びる。しかしFBIは第一発見者のジュエルを容疑者として捜査を進め、それがマスコミに公にされると・・・

自分、かなりひねくれているのかな~とも思ったのですが、そもそも劇中でも語られていた様に第一発見者を被疑者として扱うのはセオリー通りで何ら悪い事ではないし、悪いのはその段階で報道したマスコミですよね?もしかしたら本当に自身の担当範囲内で事件を起こされメンツをつぶされたからってのもあったのかもしれないし、最初のアプローチを見せられるとあくどいやり口と感じましたが弁護士が無罪を確信する公衆電話までの移動時間も共犯者がいれば全く反証材料にはならない訳だし何だか一方的過ぎるんじゃないの?って感じちゃいました。

勿論、この事件について被疑者として扱われ恐れを公にされたことは気の毒だとは感じるのですが、どうしても違和感を感じてしまったのがジュエルの人となりで「法執行者」に戻りたいんだって連呼される言葉。彼は「正義」じゃなくてあくまで「法執行者」で「権力」を持つことにこだわってるんじゃないのって疑念が拭えませんでした。序盤でもありましたが「権力は人をモンスターにする」がぴったり当てはまる人物に見えて、明言は無かったですが「ライフル協会」やあの銃器の数、副保安官の職を追われた経緯などなど、事件の犯人は逮捕されており彼は無関係だと立証されたとしてもリチャード・ジュエルの人となりについては敢えて疑念が残る様にイースドウッド監督は意図しているのかも?とも思えました。

 

「リチャード・ジュエル」 オススメ度 ★★★

 

 

 

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