手島右卿先生の古法を学ぶとき、筆の機能(紙、墨を含む)と手の運動機能を理解しておく必要があります。前回は毛の先の表面のキューティクル(魚のウロコのような構造)により、紙の繊維の上を滑らせたり、引っ掛けたりして筆の毛の弾力や捻じれが生まれるという話をしました。

 今回は手の運動機能の話をします。          
 「手島右卿書法」で植松一条氏が右卿書法の魅力で、
入門初期に「欧陽詢は筆を45度に傾けて書く様に。」と指導される。手前45度、右傾45度を指す。先生は臨書されるとき「単鈎沈腕」の姿をとられる。「子どもに初めて筆を持たすと必ず単鈎法ですからね。えんぴつを持つのと同じように持つものです。」「これが古法につながる持ち方である。」と書かれています。
 
 私は2011年12月に、「正しい鉛筆の持ち方ができるクジャク法」を出版しました。
 
 
 この本の中で、「鉛筆で文字を書く時の手の二つの運動機能」を紹介しています。
これは、N先生に教えて頂いたものです。
手の二つの運動機能とは、
①五指の運動機能を使い、回転とグー・パーの動き
②手首の豆状骨(とうじょうこつ)を中心に車のワイパーのような手首の動き
のことです。
 正しい鉛筆の持ち方は、鉛筆の片方を人差し指の親指側、第二関節と第三関節の中間点を支点にして、もう一方を親指と人差し指、中指の三指で鉛筆をつまみ、動かす方法です。鉛筆を持ち、回転とグー・パーする動きは、指の運動機能を使って文字を書く方法です。しかし、鉛筆で文字を書く時、指の動きだけでなく、手首の運動機能も使っています。手首の小指側に飛び出た骨があります。この豆状骨を中心にした自動車のワイパーのような動きです。
 
 筆の場合、「ワイパーの動き」を使って横画を書きます。「グー・パーの動き」で縦線を書きます。
 
 手島先生先生は臨書されるとき「単鈎沈腕」の姿をとられる。
半紙に臨書されるときは、左手を枕にして右腕を上に乗せ、手首ではなく腕をワイパーのように動かして書かれます。
 

 

 横画、縦画を手島先生はどのほうに書かれているのか。次回からいよいよ探っていきます。

 

 
 
 
和紙の上を羊毛筆が動くと
《引く》 (筆管の上が筆の進む方向に傾く)
《突く》 (筆管の上が筆の進む方向と反対側に傾く)
《引く》
《引いてから少し戻す》
《筆鋒がS字に折れ曲がる》
 
なぜこのようなことが起こるのでしょうか?
 
『書法』(酒井松濤 昭和46年 木耳社)
紙と墨 ニジミの中心となった部分を拡大(120倍)にしたもので、紙の繊維と墨の粒子の写真です。紙の繊維はこのようなに網の目のような構造をしています。
 
『墨の話』(宮坂和雄 昭和40年 木耳社)
筆の選び方 筆が紙や布の面に適度の弾性と柔らかさを持ちつつ、無理のない自然の状態で軽く接触して、滑らかに動くような場合に限って、微妙な線や〝にじみ〟が得られるばかりでなく、墨色をも絶妙なものにすることが出来る。… 筆に加えられる微妙な力の作用を余すところなく、紙や布の面に伝え得るためには、筆を構成している各々の繊維が、墨汁で濡れている状態においても、なお弾性的に挙動することが必要である。…細毛で作られた長鋒の筆を使用しなければならいであろう。…動物毛には例外なく先端に半透明をした部分がある。この部分は「水毛」と称され、筆の穂の生命を支配する重要なものである。
上の図は羊毛の電子顕微鏡写真
 
羊毛の表面は鱗片組織で覆われている。鱗片は表皮細胞の変態組織で構成される極めて固い部分である。 そのために、外からの物理的作用に対して強い抵抗力を持つ。このような点は兎毛やカシミヤ毛の追従しえないところである。だから羊毛製の筆は長持ちする。羊毛の横断面は、円形または楕円形をしている。それゆえ、外力の作用に対して均一に抵抗し得る。…細い羊毛で造られている筆を選ぶのが無難であるといえよう。毛身が真直ぐで 節や捩れ、溝や裂け目などがなく、真直に揃っていて、水毛の長いものであれば理想的である。 
 
この写真の毛の先又は根元はどちらか分からない。
 
『書法』(酒井松濤 昭和46年 木耳社)
毛筆 毛の構造と断面 の図があり、先端の毛根が示されている。
先の鱗片の写真は、上が根元で下が先端ということが分かる。
乙は動物の毛の外見を定性的に画いたものです。小皮は図のような重なり具合になっていますので、根元から先端に向かっては滑らかな手触りですが、逆に先端から根元に向かってはザラついた手触りになります。
太い毛と細い毛 毛の間に墨液が貯えられるのは、物理学でいわれるところの「毛管現象」が働くからです。ですから、毛の間が狭い程、墨液を保留する力は強いわけです。この点から考えますと、毛の細い程墨液の保持力は強く、毛が太い程、墨液の保持力は弱くなって、墨液が走り易くなります。
 

 

鱗片の先が筆先の方を向いているので、紙の上に穂先を置き引いてみると、紙の繊維に引っからない。しかし、筆を穂先の方へ動かすと鱗片が紙の繊維に引っ掛かり、毛がたわみS字のようになり押し返すような力が働く。(下の写真のようになる。)

 

筆鋒がS字になると、毛と毛の間が広くなり、墨液の保持力は弱くなり、墨液が紙に下りやすくなることも考えられます。

筆、紙、墨液は、線を引く時それぞれが関係しています。

 
 
『楷書の造形論』(森 郷水 昭和56年 大阪書籍)
用筆法の基本 筆鋒を立てる
筆鋒を立てると筆毛の集団が弾力を帯び、筆管を伝わって流れる力が筆端にまで届き、紙面と闘う体制となる。これを活鋒という。これとは反対に筆鋒がねていると筆鋒の持つ弾性は働かず、筆管から流れる力は筆端に及ばない。これを死鋒という。
筆鋒を立てるということは、柔らかい筆毛に鋼鉄の芯のようなものを入れることである。
 
『書道入門‐基礎編‐』(上田 桑鳩 昭和28年 創元社)
運筆の自在性と用筆法 用筆法はいろいろあります。それらは、いずれも、それぞれの特徴をもった方法ですが、みな筆の性能を活かして使うことを工夫したものです。
 
筆をおさえると毛が開き、あげると閉じます。そして円く書いたり曲げて書いたりしますと、ねじれて、しぶい線や強い線が書けます。それで筆は開・閉・撚の3つの働きをすることがわかります。そして毛に弾力があり、それによって線の勢いや力がでることはおわかりでしょう(毛をはじくようにすると強い線になるように)。そのほか、この弾力が運筆の速さや緩急を線の上に表す働きをしているのであって、筆を巧く使うためには、開・閉・撚・弾力の4つを思うままに使う練習がいるのです。
 
円みのある線のときは筆を立て、角の時には筆を倒し、太いときには多くおさえ、細いときは少しおさえ、太細をまじえるときは抑揚をつけ、強い線を書くには、強くおさえたり、速く書いたり、はじきを強くしたり、柔らかい線のときは、筆をしっとり使って、弾力を少しづつ使うことは、みなさんも経験がおありでしょう。
 
今回は、筆の性能について調べてみました。
 次回は、いよいよ古法で横画や縦画を書く方法をメモ書きから拾い出し、「手の運動機能を上手く使い、常に筆が紙をつかんで働く合理的な用筆法」を考えていきます。
 
 
 
 私は2006年12月7日から柳谷金平先生に習い始めました。大阪教育大学で夜間に行われていた、市民講座 書(秋)講座 古法を学ぶです。貫名菘翁の前後赤壁賦を手島右卿先生が臨書したものが手本でした。秋と春に募集があり人気の講座でした。申し込みに外れ、2009年4月13日から柳谷先生の自宅で毎週2時間教えて頂きました。この時は手島先生が書かれた光明皇后楽毅論と貫名菘翁の左繡叙が手本でした。2014年2月3日から日本橋教室に場所を移しマンツーマンに近い状態で現在も教えていただいています。最近は、手島先生と同じ比田井天来門下の上田桑鳩先生の臨書も手本にして練習しています。
 柳谷先生に書いていただいた手本、先生の説明や橋爪のメモを見直しながら手島右卿先生の古法を探っていきます。
 
2010.4.26
柳谷先生は何らかの方法で伝えないと滅ぶので、書を探求する人に教える。また、本で教えるのは難しい。マンツーマンで教えるのが伝える最もよい方法と話されます。私は「教えて頂いた手島右卿先生の古法を人に教えられるように学ぶ」とメモに書いています。
 
 先日、柳谷先生に「どんな線を引きたいですか」と聞いてみました。すると、「ねばっこい、強い線」という答えが返ってきました。
 2013.7.8のメモ 
「強い線」 紙に筆が強く、ぴったりくっつくことができるか。
     
〇毛の弾力(突いて筆を動かすと毛と毛の間に隙間ができる)
〇捻じれ(穂先を動かさないで腹だけを動かす 筆の面が変わる)
 
2006年12月から習い始めた頃の記録です。
 
手島雄右興先生の貫名菘翁前後赤壁賦の臨書
 
緑の部分が突き返し水色の部分が捻じれ(※後から書き加えたもの)
秋期講座で、手本を籠字書きし、先生が白板に書かれた赤線を書き込んだものです。
 
出来ていないところを先生が半紙に書いてくだっさったものです。
穂先を動かさずに筆の腹を動かす説明図です。(※この頃、なぜそうするのかは分かっていない)
 
東京学芸大学の書道科を卒業された先輩の先生が、手島右卿の文字はくねくねしていて好きではないと話していました。
  
手島右卿先生の文字は、なぜくねくねしているのでしょうか。
 
①横画
2007.5.10
上:手島右卿先生 下:柳谷金平先生の臨書
2008.5.8
2010.4.26
筆が立ち上がるまでは引く、つかない。立ち上がったら突く。そうしないと筆菅が左に倒れない。
2010.8.30
突き返し、筆の毛のバネを使って△へ。凹みがあるところは突き返して筆のバネを使って運筆している。
2010.4.26
が紙に引っ張られるので、実際にはこの筆の跡のようにはならないがイメージとしては車のワイパーのような筆の動きで、「引く」(筆管は右手前に倒れる)「立つ」(筆は吊り上げられ、筆管は垂直)「突く」(筆管は左に倒れる)
右斜め上から入筆し少し突き返しながら筆菅を右へ倒し引く、このとき鋭角に方向転換するとパタンと筆が裏がえってしまうので少しまあるく曲線に動かすと毛がよく捻じれる。(引く) 次に筆を上に上げてこすり上げていく。このとき右に倒れていた筆菅を起こし垂直にする。(立つ) 最後に筆を左に倒し押す。このときは中鋒で。(穂先が線の中央を通るように)(突く)
 
2013,2.4
「側」「直」の繰り返し;「側」筆菅の頭を手前に倒す、「直」筆菅は紙に対し垂直
「側」パー(掌は上向き)、「直」グー(掌は下向き) 横画もグーパーの動き
これまで縦画はグーパーの話があったが、横画も同じ?‼
 
毛氈(もうせん;下敷き)の上を長鋒羊毛で書いてみると毛が捻じれる様子が目で確かめることができます。やってみてください。5本の指を筆の毛に見立てて机の上で書いてみるのもいいかも知れません。
 
②縦画
2012.12.3
縦画も横画と同じように、左斜め下から入筆し「引く」「立つ」「突く」となります。
2012.10.22
「引く」はひじ、腕で引く。「立つ」で筆を引き上げながら掌をグーにする。このとき筆菅のてっぺんは、縦画の場合右から(側)からわずかに左に移動する。
2012.10.22
入筆から引くまでの動作 筆菅は右に倒さないと毛は捻じれない。入筆した筆を突き返し毛に弾力をつけて下へ腕、肘で引く。筆を引き上げ垂直にしながら引き(立つ)、少し筆菅を左に倒して掌をグーして下へ突く。
 
橋爪大淀の横画
橋爪大淀の縦画
横画を書い半紙を裏返して横向きに置くと、縦画と共通していることに気づく。
 
手島右卿先生のくねくねした線は、強い線(紙に筆が強く、ぴったりくっつく)を書くため筆の弾力や捻じれを生むための合理的な筆の動きの結果と言えそうです。
 
皆さんはどう思われましたか。
 
 次回は、古法で左払いや右払いをどう書くかメモ書きから拾い出し、「手の運動機能を上手く使い、常に筆が紙をつかんで働く合理的な用筆法」を考えていきます。
 
 
 
 
 前回は、「古碑帖臨書精選」第二期第27巻 手島右卿臨 楽器論/左繡叙 日貿出版社1982年発行で臨書しましたが、今回は「手島右卿書法」現代日本書法集成 尚学図書 1980年 の中の左繡叙を臨書しました。
 

 
貫名菘翁の法帖 菘翁書帖(清雅堂1948年)と菘翁三稿(書学院1980)
 私は前回もそうですが、菘翁書帖(清雅堂1948年)を少し拡大して臨書しました。今回この原稿を書くために2帖を拡大して比較してみると菘翁三稿(書学院1980)の方が鮮明でした。細かいところまでよく見えました。そして、菘翁書帖より少し拡大されていました。どちらが原寸か分かりません。この原本は大正14年の関東大震災で焼失し今は残っていないそうです。
 
(手島右卿先生の貫名菘翁「左繡叙」臨書)
 
「左繡叙」清雅堂を少し拡大したもので橋爪が臨書)
 
(手島右卿先生の貫名菘翁「左繡叙」臨書)
 
 
(手島右卿臨書を橋爪が臨書)
 
(「左繡叙」書学院出版の拡大並べ替え手本)
 
「左繡叙」清雅堂を少し拡大したもので橋爪が臨書)
 
(「左繡叙」書学院出版 原本のサイズの比較)
 
 
 「筆使いの合理性ということが分かったのは菘翁からですね。菘翁やってから後に唐の書の見方がクルっと変わってきたんですね。良さがわかるようになってきたんですね。」と対談で手島先生は話されています。
 
 天来先生の志向をそのまま継承し、完成させた右卿古法ともいうべきものである。「羲之」の法と称するところのものは、側筆をもって原則としている。」いわゆる古法とは羲之系統の法をさす。「羲之あたりのものは、側から始まり直を経て、また則にもどる。」
 側筆を原則とすることは執筆から生まれた自然の姿である。また、古法は動勢から生まれたものとも考える。動勢の要求と最も自然な執筆から生まれた用筆が古法である。点画が画から次画へ移る時流れを受け継ぎながら働きを加えていく。陰陽の思想が俯仰法を生み、側の執筆で停滞なく力を逃がすことがない。往きが表であれば帰りは裏ということになる。更に八面出鋒は哲理陰陽説を筆に具現したものである。羲之の書はこうして法が生まれたきたのである。常に筆力は紙をつかんで働く様になる。
 こうして始めて筆は力を発揮し束縛なく自由な境地を得ることが出来る。更に点画は相受け、呼応して流動的な信条を定着することができるのである。書法は書の源流である。
 
 臨書は、「最も自然な執筆から生まれた用筆」 「往きが表であれば帰りは裏ということになる」「八面出鋒」を意識して書きました。 
 次回は、古法で横画や縦画を書く方法をメモ書きから拾い出し、「手の運動機能を上手く使い、常に筆が紙をつかんで働く合理的な用筆法」を考えていきます。
 
 
 
 上は私(橋爪大淀)が、前回紹介したように、古碑帖臨書精選第2期第23巻手島右卿臨
楽毅論/左繍叙の貫名菘翁「左繍叙」と原本を交互に10枚臨書しました。これは原本を見て書いた臨書25枚です。原本の文字はとても小さく1文字1センチ2mmくらいの大きさです。原本を少し拡大して臨書しました。石刷りの拓本ではなく、肉筆の法帖を見ると始筆の髭のような線や僅かな線の太さで筆圧を読み取ることができます。
 手島先生の臨書があるので、どこをどのように見て書くかがとてもよく分かりました。原帖で文字が分かりにくいところは、初心者が文字を正しく理解できるように、解釈を加え処理して書かれているのでありがたいです。
 「筆使いの合理性ということが分かったのは菘翁からですね。菘翁やってから後に唐の書の見方がクルっと変わってきたんですね。良さがわかるようになってきたんですね。」と対談で手島先生は話されています。
 
(貫名菘翁の原本)          
 
(手島右卿先生42歳の臨書)
 
ここからは、
古碑帖臨書精選第1期第1巻手島右卿臨  風信帖/伊都内親王願文」(日貿出版 1980)
「古碑帖臨書精選第2期第23巻手島右卿臨 楽毅論/左繍叙」(日貿出版 1982)
「手島右卿書法 現代日本書法集成」(尚学図書 1980) 
から、古法とはどんなものか。どのように書くかを探っていきます。
 
 「手島右卿書法」で植松一条氏が右卿書法の魅力で、
入門初期に「欧陽詢は筆を45度に傾けて書く様に。」と指導される。手前45度、右傾45度を指す。先生は臨書されるとき「単鈎沈腕」の姿をとられる。「子どもに初めて筆を持たすと必ず単鈎法ですからね。えんぴつを持つのと同じように持つものです。」「これが古法につながる持ち方である。」
 天来先生の志向をそのまま継承し、完成させた右卿古法ともいうべきものである。「羲之」の法と称するところのものは、側筆をもって原則としている。」いわゆる古法とは羲之系統の法をさす。「羲之あたりのものは、側から始まり直を経て、また則にもどる。」
 側筆を原則とすることは執筆から生まれた自然の姿である。また、古法は動勢から生まれたものとも考える。動勢の要求と最も自然な執筆から生まれた用筆が古法である。点画が画から次画へ移る時流れを受け継ぎながら働きを加えていく。陰陽の思想が俯仰法を生み、側の執筆で停滞なく力を逃がすことがない。往きが表であれば帰りは裏ということになる。更に八面出鋒は哲理陰陽説を筆に具現したものである。羲之の書はこうして法が生まれたきたのである。常に筆力は紙をつかんで働く様になる。
 こうして始めて筆は力を発揮し束縛なく自由な境地を得ることが出来る。更に点画は相受け、呼応して流動的な信条を定着することができるのである。書法は書の源流である。
 「顔真卿は直筆だ。」顔真卿の線は突いた筆だ。そこに抵抗がおこり渋ってゆく。強くなるが、派手ではない。ほんのりとした線にはならない。」「顔真卿は引く運動を少なくして、つく運動を主にした。そこに顔法ができた。そうすると早く書けないから、スケールが大きく、心を使うから誠実感ができてくる。また派手にならない。」
 対談の光明皇后の「楽器論」の話で、「どうしてあんなに太い細いが極端な筆使いになったんでしょうか」「それは側直からくる筆の開閉がね、筆の開いたりすぼんだりする働きが多いからですよ。圧の変化が非常にあるわけですね。圧が同じだったら、やっぱり虞世南のようになりますよ。筆の側するところが太くなって、直の所が細くなるわけでしょう。線に陰陽を織り込むためともいえますね。まあ古法がそうですから、結局羲之の法そのままやってるわけじゃないですか。それで、やっぱり」字々の構築に凹凸感があってね、平面じゃないんですよ。それに響きがありますね、やっぱりそれは線の弾力からでてくるんでしょうね。」
 
 大阪教育大学の市民講座「古法を学ぶ」から柳谷金平先生の指導をうけ始めました。そのときのメモを抜き書きしました。
 
 次回は、古法で横画や縦画を書く方法をメモ書きから拾い出し書こうと考えています。