★<軍艦島>徴用工問題⇐韓国人による日本を陥れるためのプロパガンダ | きゅうじのブログ アメブロ版

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※高給の炭鉱募集でひと稼ぎしてきたお父さんが春野菜を選んでいるネットで拾ったイメージ図です。

「軍艦島の歴史をこれ以上歪曲してはいけない」ユネスコの決定文受け、韓国議員が緊急声明 

2018年6月28日、韓国・マネートゥデイによると、韓国与党「共に民主党」のクォン・チルスン議員が、日本政府に対し「軍艦島の歴史をこれ以上歪曲(わいきょく)してはならない」と警告した。  

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は27日、バーレーンで開かれた会議で、世界遺産に登録された軍艦島など日本の近代産業施設について、朝鮮半島出身者の強制労働など全体の歴史を知らせるよう求める決定文を採択した。 

これを受け、クォン議員は緊急声明を発表し

「ユネスコが決定文を採択したのは、軍艦島を含む近代産業施設を国際社会に理解させられるような案を用意せよということ。歴史に対する日本の2重的な態度により、韓国国民の我慢は限界に達している」と主張した。 

また、「軍艦島に新たに設置された案内板にも『強制徴用』との表現を入れず、約束した強制労働を知らせる情報センターは、軍艦島がある長崎県ではなく東京都に研究所という形で設置するなど、日本政府は国際社会との約束を破っている」と指摘した。  

さらに「ユネスコの世界記憶遺産は歴史の公正な記録でなければならない」とし、「特定の国が分担金を理由に政治的に利用できる対象になってはならない」と強調。 

その上で「日本が約束を守っていない状況で、韓国に慰安婦合意の履行を求める資格があるのか、日本政府は反省すべきだ」と訴えた。  

これを受け、韓国のネットユーザーからも日本政府に対し「この機会にしっかり反省してほしい」「なぜ当たり前のことができない?」「歴史をありのまま受け入れるべきだ」など、追加措置の履行を求める声が上がっている。  

韓国政府に対しては「与党として、もっと積極的に日本の不当な措置を批判してほしい」「日本の目を気にせず、正しいことは堂々と主張していくべき」との声が寄せられた。  

また、「日本がユネスコの言うことを素直に聞くだろうか?」「今まで(強制労働を表記)しなかったのなら、今後もしない可能性が高い」「どうせ無理。日本がユネスコにいくら払ってると思ってる?」などと懸念するユーザーもみられた。

(翻訳・編集/堂本) 

https://www.recordchina.co.jp/b620004-s0-c10-d0058.html

韓国人がつく、日本を陥れるためのプロパガンダは支那人同様に余念がありません。 

韓国人が「これが証拠だ!!」と豪語しているのが、昨年に公開された韓国映画「軍艦島」です。

この映画のストーリーですが、日本の植民地時代に端島炭坑(軍艦島、長崎市)に強制徴用された朝鮮人約400人と朝鮮独立運動メンバーが、命がけで島を脱出するという事実とは全く異なるただのフィクションです。

真実は、ただの出稼ぎ島です。 

高給に引かれて自ら志願し、働いていただけなのです。 

就業した以上、日本が敗戦したことにより、出稼ぎに来ていた朝鮮人労働者に給与が支払われなかったことは事実です。 

それで戦後賠償に関する2国間協定である「日韓基本条約」「日韓請求権協定」が調印されているのです。 

日韓請求権協定 

昭和40年に日韓の国交正常化に合わせて結ばれた戦後賠償に関する2国間協定です。 

日本が国交回復に関し、日本側からの個別補償を拒否し、国家で行うからまとめてほしいと決めたのは当時の韓国政府なのです。 

従って、未払いの給与などは韓国政府に支払い義務があり、日本政府は関係ないのです。 

日本が韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの経済支援をすることで、両国間の請求権は「完全かつ最終的に解決された」と規定しています。 

当時の韓国政府は北朝鮮の分まで受け取っています。 

その事実を2000年代になるまで韓国国民にも公開していませんでした。 現代の我々より先人たちの方が朝鮮人の事を正しく理解していましたので、「日韓基本条約」「日韓請求権協定」はどうせ 後々いちゃもんつけてくると予測して日本語、朝鮮語の他に英語も付け加えて調印しているのです。 先人たちの予測は正に的中でした。

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韓国政府は平成21年、徴用工の未払い賃金についても、「請求権協定で外交上解決済み」との見解を示しています。 ですが、いくら事実を見ても聞いても受け止めないのが朝鮮人です。 

韓国人の吐く嘘には、完膚無き証拠を叩きつけなければいけません。叩きつけなければいつまでもしつこく嘘をつき続けるからです。 

一体、これのどこが強制労働なのでしょうか?

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軍艦島の遊郭左矢印クリック

軍艦島の朝鮮人のための遊郭 そんなものあって強制労働なのか?

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軍艦島で働いていた日本人はまだ生存しています。正に生き証人です。 

以下は韓国の記事と毎日新聞の記事を読み比べていただきたいのですが、 なぜか?韓国の記事の方が認識が正しく、毎日新聞の記事の方が捏造の疑いを生じる文面となっています。 

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韓国の記事 

「軍艦島は幻想」 

韓国の記事より抜粋 1940年4月5日の東亜日報に、このような記事が掲載された。  

その日、「釜山から日本へ渡航する朝鮮人の問題で、内部(朝鮮)と外部(日本)の関係者で会議」が開かれたとある。  

つまり、朝鮮人の日本入国に関する会議をしたということだ。 

会議の内容は、「自由労働者の渡航は制限するにしても、集団労働者の渡航はできるよう、手続きを簡単にしてほしい…朝鮮側としては、渡航制限を完全に撤廃するのが理想だが、日本側に了承点していただけないので…」という部分が出てくる。  

つまり、当時は朝鮮人が日本に行くことが厳しく制限されていたが、朝鮮側がこれを撤廃もしくは緩めてほしいと要求していたという実状が分かるのである。  

同日東亜日報の社説は、朝鮮人の日本への密航問題を扱っていた。 この社説を読むと分かるのは、当時、日本への密航を斡旋するブローカーが猛威を振るっていたということである。  

こういったことは、普通に入国するのが難しいために現れる現象である。  

現在、中国人や東南アジア人が韓国に密入国したり、観光や研修目的でビザを受けて入国して姿を隠す事例を思い出させる部分だ。  

そもそも慰安婦たちも、このような仕組みでお金を介して流れていったのではないか。 

道を歩いていたら捕まえられて強制連行されたという説を信じるのは難しい。 

1939年、「朝鮮人の(日本本土)移送計画」が発表された。 この発表によると、朝鮮の労働者が日本に行ける道は大きく分けて二つあった。  

各企業の独自募集があって、朝鮮総督府に依頼し、地元民(朝鮮人)を募集する「官斡旋」があった。

「強制」という用語は韓国が作った話に過ぎない。 

しかし強制はあった。 その強勢とは日本に渡っていく密航者を検挙して、朝鮮に帰国させたものである。 

これは「強制連行」ではなくて「強制帰国」だ。  また、

徴兵は1938年度に発表した「陸軍特別志願兵」制度を見てみればいい。 強制はなかった。  

志願し、その後に厳格な手続きを経なければ、日本軍への入隊は不可能だった。  

当時の志願者数と最終入隊者数を見ると、1938年の最初の年は、志願者に比べて入隊率が13%台で、翌年から1943年までは5%未満だった。針の穴も同然だ。 

 当時の東亜日報の報道によると、慶尚南道咸安からの志願者は300人いたが、9人(3%)しか合格できなかったと書かれている。 

 朝鮮総督府の資料によると、1942年は1.6%(志願者254273人で入隊者4,077人)だった。 

 100人が志願しても2人以下しか合格できなかったということである。 

 戦争で敗色が濃くなり、日本本土の若者がすべて徴兵されて戦場に出るようになると、炭鉱労働者が不足しはじめた。  

だから「徴用」が開始された。 

国家総動員法によって「国民徴用令」は 1939年に実施されたが、朝鮮人には適用されなかった。  

プライドが傷つく話だが、 「朝鮮人は労働の質も落ちるし、信頼できない」 という理由で適用されなかったのだ。 

 そうするうちにだんだん労働力不足が深刻化して、「内鮮融和」という統治理念を打ち出した朝鮮人たちの嘆願と総督府の努力により、 1944年9月から朝鮮半島在住の朝鮮人たちにも「国民徴用令」が適用されることになる。  

そこで初めて「朝鮮人の日本への渡航制限の撤廃」が行われたのだ。 

 「強制」といえるかもしれない「徴用」は、1945年3月までのわずか7ヶ月だった。 

 連合軍が制海権を掌握し、釜山と下関を結ぶ関釜連絡船航路が閉鎖されたためである。  

そして数ヶ月後に、日本が降伏することで状況は終わった。 

さらなる疑問がもう一つある。  

解放後、多くの朝鮮人はなぜ、それだけ苦しみを受けた日本の地を離れなかったのだろうか?  

差別され抑圧され命まで失うほどだったその「悪夢」のような場所なら、なぜ離れなかった?  

同胞の彼らは差別を受けたとはいっても、韓半島にいる時よりもはるかに良い暮らしをしていたのだ。  

故郷に帰って来ることに消極的だった。  

つまりこれは、当時の日本は、私たちが今言ってるような「生き地獄」ではなくて、「チャンスの地」だったことを証明するものである。 

 その後西ドイツに看護婦や鉱山労働者として行ったことや、今東南アジアから来る労働者の境遇と同じような脈絡である。 

 (日帝植民地時代の実像を誰よりも深く研究してきたイ・ヨンフン・ソウル大学経済学部教授は、韓国が現在日帝植民地時代を振り返っている状況を見ながら「幻の国」と言った。)  

http://www.chogabje.com/board/column/view.asp?C_IDX=73788&C_CC=BC(韓国語)引用 

毎日新聞の記事

軍艦島で生活した韓国人男性「人間の尊厳伝える島に」 /長崎 

世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された長崎市の端島(通称・軍艦島)で、終戦直後までの約6年間を過ごした韓国人の具然〓(グヨンチョル)さん(83)=韓国・釜山在住=が今月1日、71年ぶりに端島を訪れ、当時の暮らしぶりを証言した。   

端島炭坑は1890年に三菱財閥の所有となって石炭の採掘が本格化した。出炭量の増加と共に島に住む従業員が増え、鉄筋コンクリート造りの高層アパートなどが次々と造られた。

 一方で、戦時中には労働力不足を補うため、強制連行された中国人や徴用された朝鮮半島出身者らも過酷な労働環境で働かされた。 

具さんの父は1936年ごろ、募集に応じて釜山近郊の農村から端島に渡って炭鉱で働き始めた。村では貧しい農家だった。具さんは「(当時、植民地支配していた)日本から作物の供出を求められて暮らせない状態になり、父は募集に応じた」と語る。  

 「思い描いた生活とは全く違った」と振り返る。 

配給される大豆の搾りかすは腐っていて、煮て食べたが、よく下痢をした。 

島には朝鮮半島出身の若者たちもいた。具さんは「彼らは下痢をしていても、木の棒のような物で殴られたり、蹴られたりして、仕事に行かされていた」と証言する。   

日本に渡った当初、「ニンニク臭い、朝鮮人はあっちへ行け」と言われたこともあった。 日本による植民地支配と長崎で見た惨状。 具さんは「戦争は駄目だ。平和主義者にならなければ」と感じたという。 昨年7月、端島などが世界遺産として登録された際、日本側の大使は「第二次大戦中に徴用政策を実施していたことを理解できる措置を講じる」とした。

しかし、いまだ具体策は示されていない。具さんは訴える。

具さんも39年、父に呼ばれ、母やきょうだいらと端島に渡った。

「世界遺産であるならば、平和や人間の尊厳の大切さを世界に伝えるためのものにならなければいけない」 原爆投下直後には、知人宅に向かう途中で真っ黒焦げの死体が転がる光景も目にした。 事故や病気などで命を落とした人もいた。 

http://mainichi.jp/articles/20161009/ddl/k42/070/228000c毎日新聞

如何でしたでしょうか? 

読み比べてどう思いましたか?

毎日新聞の記事ですが、呆れて言葉を失いませんか?

韓国人は読んでも認めませんが、

韓国の記事の方が事実に近いと思いませんか? 

日本の新聞が平気でうそを紙面に載せる。 

こういう日本発の捏造記事が皆さんもご存知の慰安婦問題や南京大虐殺などの日中韓の問題をより深刻化させているのです。 

>1936年ごろ、募集に応じて釜山近郊の農村から端島に渡って炭鉱で働き始めた。(毎日新聞)

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韓国の記事に記載のある通り、

>1944年9月から朝鮮半島在住の朝鮮人たちにも「国民徴用令」が適用されることになる。  

1936年といえば戦前、ただの出稼ぎ労働者です。 しかも、原爆投下直後まで9年間働いていたと言っています。韓国人のいつも主張する話と比べると

辻褄が合いません。 

>配給される大豆の搾りかすは腐っていて、煮て食べたが、よく下痢をした。(毎日新聞) 

納豆か豆腐の事ではないでしょうか。 

>具さんも39年、父に呼ばれ、母やきょうだいらと端島に渡った。(毎日新聞) 

家族を過酷なところに呼ぶわけがありません。

 しかも1939年。 「国民徴用令」が適用れたのは1944年9月から1945年3月までのわずか7ヶ月だけですから、 

辻褄が合いません。 

危険な重労働だからこそ慰安婦同様に給与が高く、だからこそ朝鮮人はこぞって軍艦島などに応募したのです。 

日韓関係を複雑にしているのは朝日新聞をはじめとする反日新聞社の存在です。

そしてこれらの新聞社には多くの在日朝鮮人記者の存在が見え隠れします。 

軍艦島を含む日韓における人権問題は全て 

在日朝鮮人による本国の朝鮮人の為の作り話で、朝鮮人が朝鮮人を騙しているのです。 

そして最後は必ず日本人が悪いことをしたことになり、双方とも被害者を演じるのです。

私たちはこれらの嘘をキッチリと事実に基づいてキチンと論破しなければしていかなければならないのです。

ユネスコでは南京虐殺は登録され、長崎軍艦島は徹底して妨害されました。

そしていまだに慰安婦強制連行までもが登録させ

ようとしているのです。

個別の対応には限界があります。

国レベルでの緊急の対策がもはや必須です。

国連もほぼ同じ、人権団体は既に朝鮮人及び支那人のプロパガンダ団体になり果てています。

事実検証もせず、支那人・韓国人による捏造された歴史認識を一方的に受け入れ、提示しろなどというユネスコはもう日本にとっては不要な存在です。

脱退しても構わないと思います。

そして分担金の費用で日本の歴史建造物の修復や保護、観光地への支援に使い、日本の文化を守り続ければよいと考えます。

下手にユネスコなどに世界遺産などの名前で登録され、マナーの悪い外国人(特に特亜)に日本の文化遺産を荒らされるより、日本の文化を尊重してくれる外国人だけが観光に来てくれればいいのです。

それこそ観光に来てくれた外国人は最大級のおもてなしを受ける事になるでしょう。

今やネットの時代、すぐに拡散されます。

なんせ「また来たい日本」です。

お隣の二度と行きたくない国とは違うのですから。

私たちは事実を知り、伝える義務があります。

未来の日本の子供たちに日本人に生まれてよかったと思ってもらわなければ先の大戦で英霊となられた先人たちに顔向けできません。

もう私たちはいつまでも朝鮮人に愚弄され続けるわけにはいかないのです。

https://ameblo.jp/amiuyoku/entry-10316274677.html?frm=theme

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