県民投票の結果、70%以上が辺野古反対。
正直普天間の危険除去が優先だと思う私には意外な結論でした。もう少し拮抗した結果が出るかなと思っていたのです。
もし、日本全国で投票を行ったらどうなっていただろうか、と思うこともあります。
沖縄の基地問題という言われ方をしますが、私は、日米安保の問題だというとらえ方をしています。
沖縄に基地があるから問題なのではなく、他国の軍隊が日本にあることが問題なのだと思うのです。
他国の軍隊が日本にあることを考えずに、沖縄においておけばいいんだろうと思うのは、これは、差別の問題です。
原発と同じで、危ないものは遠くにおいておけばいいという発想です。
場所の問題ではなくて、そもそも、米軍基地がどうして日本にあるのかという問題については思考停止させてしまう、ただ、ただ、場所の問題に置き換わってしまう。
これは、意図的な情報操作だと思っています。
日米間の対等なパートナーシップを求めて、また、防衛とうものについて、もう少し国民がまともに考えられるようにならないと、いつまでたってもこの国の独立は見えてきません。
自国の軍隊が違憲であるという異常な事態
専守防衛などというありえない妄想。
現実は、米軍に対する補給部隊に過ぎない。
なぜ、攻撃力という最大の防御ができないような軍隊を持たされているのか?
なぜ、9条、不戦、非武装という非現実的な憲法があるのか。
その憲法をかなり拡大解釈して生まれた自衛隊があるのに、核攻撃能力まで備えた米4軍が日本に駐留しているのか?
日本が敗戦国だから仕方がないという意見があります。
しかし、講和条約が発効すれば、戦争は終わりです。
問題は敗戦国だからではないと思います。
日本列島の位置が問題なのだと思います。
仮に日本が戦争に負けていなくても、この状態が作られてしまったかもしれません。
もう、敗戦が濃厚という言うよりも確実な状況で、なぜ、アメリカは多大な犠牲を払って沖縄上陸戦を行ったのか?
広島、長崎に核兵器を使ったのか。
どれも必要なかったはずです。
全ては、今の日米安保、つまり、戦後の軍事的パワーバランスを考えてのことであって、日本を打ち負かすためではなかった。もう、日本はとっくに負けていた。すでに、ミッドウエイで負けて勝負あっていますから。
戦争に勝っても、負けても、私は、日本に米軍基地があったと思うのです。
戦争に勝っても日本は核保有ができなかったと思うのです。
大切なことは、思考を停止させずに、なぜこうなっているのかを考えることだと思います。
問題は辺野古じゃない。
なぜ、日本にアメリカの基地があるのか、ここだと思います。
そこを考えることにより、見えてこなかったことがたくさん見えてきます。
フクシマのことも、原発再稼働についても、考える糸口が見えてきます。
この国がどんな国だったのか、そして、実は何も変わってないんじゃないのかってことも、見えてくると思います。
昨日は何事もなく過ぎた。
忘れもしない2011年3月11日。
いや、その前日に富津で70センチのスズキを2尾も上げたのが前兆だったかもしれないと思っている。
強風の中、富津岬で午前2時ごろだったろうか、誰もいない海岸で、投げ竿を出して、2匹のスズキを釣り上げた。50センチくらいしか釣ったことが無かったのでびっくりして、翌日も行くつもりで、釣り具の買い足しに近くの釣具屋にでかけていたら、恐ろしく大きくそして、長い揺れが起こり、危険だから、外に退避するように釣具屋から案内があった。
電柱が揺れ動き、揺れがいつまでも収まらない。これは、相当に大きな地震だぞと思いながら、帰宅してTVを見ると、なんと、仙台空港が波に洗われていた。何かの冗談かと思った。
こんなことってあるのだろうか?
そのうちに、フクシマ原子力発電所の冷却機能が止まっているとニュースが入る。
まさか、と思ったが、まるで、映画でも見ているかのように次々に原発が爆発する。
水素爆発で建屋が吹き飛んだだけだというのに、原子炉は無事だというのに、なぜ、放射能が流れてくるのか?
何の説明もないままに、まあ、原子炉が爆発しなくても、長年使った建屋には放射性物質がついていて、それが爆発で拡散したのだろうくらいにしか考えていなかった。
ところが、後で調べてみるととんでもない、放射性物質、死の灰、核反応生成物は、なんと、人為的なベントによって大量に大気中にまき散らされていた。しかも、ベントが失敗した3号炉からは、原子炉が大爆発するところが、配管などが外れて、大量に内部のガスが漏れて、それが、大量の死の灰を大気中に放出していたのだ。
その経緯も説明も何もないままに、多くの人が大量の放射性物質が舞っている東京を含む東日本で、会社や学校に行くために外に無防備で出ていたのだ。
とんでもない話だ。当然、政府は直ちに戸外での活動を中止させるべきだったのだ。
フクシマの甲状腺がんだけが、取り上げられているが、関東でも、311の直後に屋外作業をしていて被ばくした人がたくさんいる。
さて、事故から8年。何も収束などしていない。
汚染水のタンクがとうとう限界らしい。
薄めて海に流すという。薄めて何の意味があるのだ。濃いまま流しても、薄めても量は一緒なのだ。どうせ海の水で薄まる。濃度など関係ないのだ。毒を流すのに同じ量を1Lで薄めても、2Lで薄めても、全量を流してしまえば、結果は一緒だ。
しかしなぜ、8年もたって冷やし続ける必要があるのか。
それは、消えない火だからだ。
ウランが核分裂してできる死の灰は、そのものが、放射線を出す、つまり、放射能があるのだ。
放射線というのは、エネルギーである。だから、物質に当たれば、分子を振動させて熱になる。
つまり、半減期30年のセシウムならば、30年経っても、半分の熱を出しているのだ。
もし、冷却を止めれば、たちどころにその温度は1000度を超えて、気化してしまう。
そして、空気中に拡散して、核汚染が広がってしまうのだ。
今、フクシマには、1~3号機のメルトスルーした大量の核物質が水をかけて冷やしながら、取り出し作業が行われているが、取り出すことすら難しい。汚染水は、これに水をかけるから発生する。
基本は同じで、メルトスルーしなくても、核燃料棒の形のままで、使用済み燃料は冷却プールの中で冷やし続ける必要がある。ただ、燃料棒の形でジルコニウムという金属に包まれて冷却され、また、冷却水も循環する仕掛けの中で冷却され続けるので、汚染水があふれることはないのだ。
だが、メルトスルーしたデブリは、直接水をかけるしかない。そして、循環系にしたくても、壊れた原子炉の中に水を灌ぐので、回収できずに、どんどんと漏れていくのだ。さらに、地下水が混じり、土壌と海水を汚染し続けている。
汚染水の発生は、止めることはできない。デブリを回収するまでは、永遠と呼べるような時間、冷やし続けないといけないのだ。
事故が起こればこの有様だが、起こらなくても、使用済み燃料というものがこういうものである限り、安全に処理するなど不可能なのだ。
こんなやっかいなものを再稼働しろと財界のトップが言う。
金もうけのためなら、なんだっていいのだ。
火力発電で電力は足りている。
しかし、原子力発電所が稼働している場合と違って、絶対的な発電量には限界があるということを聞いた。
やはり、パワーが違うのだ。
現状は製造業などは、操業について、ピークが低くなるように、夜間操業をして、ピーク電力を下げる形で協力していて、それが、夜間の人件費のアップになっているというのだ。
どうして、こんな状態の原子炉が野放しになっているところで、都市開発などやるのだ?
また地震と津波が来たら、今度こそ最後だ。
デブリも使用済み燃料も津波にさらわれて、空気中に放り出されて、1000度に達して、ジルコニウムの被覆も溶解してしまうかもしれない。そして、気化した死の灰が世界中にばらまかれるのだ。
こんなところで、オリンピックをやろうとしてるのが狂気の沙汰なのだ。
そんなことに時間と金を使っている場合ではない。
とにかく、フクシマの核燃料をどうにかしないといけないのだ。
また、首都機能の分散、Diversityを考える時なのだ。
こんな時に、東京でオリンピック。
もう、完全にくるっている。
きっと、日新日露戦争で勝った、勝ったと騒いだ時代と何も変わっていないのだろう。
政府やマスコミに洗脳されて目先のお祭りで忘れてしまえと言われたら、大事なことすら忘れてしまう。
TVを見れば東北の被災地のことばかり。
しかし、被災者は我々全員なのだ。いや、地球全体なのだ。人間だけではない、動植物も地球そのものも大変な被害者なのだ。
311
それは日本人がこの国の無策、いや、巧妙な作戦があった上で無策に思わせている政府を野放しにして、地球と地球上の生命体に多大なる迷惑をかけた日として、忘れてはならない日だと思う。