オープンワールドRPG『原神』では、今年2024年の8月末には第6の国「ナタ Natlan」が実装予定で、このブログでもすでにいくつか考察を書いてきました。
ナタ関連では、すでにお気づきの方も多いかもしれませんが、用語法の上で注目すべきポイントがありました。
『原神』日本語版のテキストで、「龍」ではなく「竜」の字が使われたのです。
「テペトル竜」や「イクトミ竜」といったナタの竜の名、そしてその竜が登場するプレビュー動画のタイトルも「竜」です。
今まで『原神』の世界には何頭もの龍が登場しており、各国の「龍王」と七神の関係についてもすでにフォンテーヌで判明していましたが、それらは「龍」表記でした。
「竜」表記は(私の記憶する限り)ナタに固有です。
先に漢字の説明からしておきましょう。
現代日本の国語ルールでは、「龍」が旧字体、「竜」が1946年の当用漢字表で定められた新字体とされています。
もっとも、書かれた文字の歴史を当たって見ると「竜」の字も古くからある、それどころか甲骨文字は「竜」の方に近いという理由から「竜」を新字体と呼ぶことを嫌う人もいますが、国語ルール上はこれは新字体です。本ブログでもそう呼ぶことにします。
ただ、旧字の「龍」の字も人名などで使われ続けていることもあり、日本語では使い分けをしていることも珍しくありません。
他の新字体と旧字体、たとえば医と醫を使い分ける人はあまりいませんから、これは新字体が定められた文字の中でも珍しい事態です。
なお、中国語でも繁体字は龍ですが、戦後の中華人民共和国で定められた簡体字では「龙」になります。
中国では場合に応じて繁体字を使うなどということは普通なく、しかも今では電子データ上では一括で繁体字⇔簡体字の変換ができます。ですから、中国語で繁体字と簡体字の使い分けはありません。
『原神』でもテキストを中文にすると、簡体字なら龙、繁体字なら龍で統一されています。
おや? と思われるかもしれません。
原神の開発元である MiHoYo 社は上海にある中国企業。本国の言葉である中国語では区別がない、日本ローカルの区別なら、それを過度に重視していいものなのか、と。
いえ、『原神』のローカライズは(たまに引っかかる翻訳はあれど)かなり工夫されています。モデルとなる国や地域の言語も取り入れており、英語版に切り替えることでそれがよくわかることもありました。このブログでも検証してきた通りです。ですから、日本語だけならともかく、英語などでも違いが反映されているならば、注目しておく意義はあるでしょう。
で、これについては下記ブログ記事をお読みの方はすでにおわかりかもしれませんが、英語だと龍には dragon、竜には saurus が対応しています。
(以下、ギリシア語についてはカッコ内にギリシア文字も併記しましたが、読めない人は気にしなくて結構です)
Dragon の由来はギリシア語のドラコーン drakōn(δράκων)です。この語をギリシア語辞典で引くと「ドラゴン、龍、蛇」とあり、もしかするとこれも当初は架空の怪物ではなく、蛇のことだったのかもしれません。ただいずれにせよ、架空の怪物たる「ドラゴン」のイメージは西洋の長い歴史の中で構築されてきました。
一方、ギリシア語でサウラー saurā(σαῦρα)とは「トカゲ」のことです。
これは女性名詞ですが、ラテン語男性系にしたのが saurus となります。
(多くのインド=ヨーロッパ語には「男性名詞」と「女性名詞」、それに言語によっては「中性名詞」の文法的区別があります。「男」「女」「父」「母」などは当然、自然の性に即した性になっていますが、それ以外のものの性についてはあまり深く考えても仕方ないでしょう。とにかくいずれかに決まっているのです)
1824年、聖職者にして地質学者のウィリアム・バックランドは、巨大な爬虫類と思われる化石に「大きなトカゲ」という意味で「メガロサウルス Megarosaurus」の名をつけました。
以降も多くの恐竜に「〇〇サウルス -saurus」と名づけられているのはご存じでしょう。
1841年に古生物学者のリチャード・オーウェンは、それまでに発見されていた中生代の大型爬虫類たちの総称として、ギリシア語で「恐ろしい」という意味の「デイノス deinos」(δεινός)とこの「サウラー」を用いて dinosauria という名称を提案しました。
この日本語訳が旧字体で「恐龍」、現在では「恐竜」です。
(Deinos が dino- となっているのは、ei → ē → i という音韻変化を反映したものですが、同じ語に由来する恐竜名デイノニクス Deinonychus は deino- となっているなど、学名のギリシア・ラテン語は必ずしも一貫した規則に従ったものではありません。とにかく、最初につけた命名のスペルが優先されます)
リチャード・オーウェン(Richard Owen, 1804-1892)
特に自然科学用語というのは表記もかなり厳密に決まっていますから、そこであえて旧字体を使うなどとこだわる人は普通いません。
おかげで、恐竜は新字体の「竜」で定着しています。
あえて英語版で saurus を使っていることを考えても、恐竜のイメージはあるのかもしれません。
なお余談ながら、恐竜名でも「マイアサウラ Maiasaura」は「良き母親トカゲ」というネーミングなので、珍しく男性系の「サウルス」ではなく女性形の「サウラ」です。
(『地球生命大全史 LIFE ON OUR PLANET』、p. 206 より)
となると気になるのは、『原神』世界での龍 dragon と竜 saurus の違いです。
ファンタジー世界のドラゴンがどんな存在なのかはその作品次第ですが、恐竜は実在した生物です。
「ファンタジーにおける恐竜系のモンスター」というのもありますが、それはやはり「モンスター」であっても「生物の延長」の印象が強くなります。
『原神』世界でも、龍は「元素龍」であり、単に「元素の力を扱える生物」ではなく元素力の具現化したような存在です。
各元素の龍王はまさしくその元素を司る存在であり、七神の力はかつて「最初の僭主」が龍王の力の一部を奪ったものであることも、フォンテーヌで判明しました。
とすると、ナタの「竜」は元素龍ではなく、もっと普通の生物に近い存在なのではないか、という推測も成り立ちます。もちろん憶測の域を出ませんが。
なお、ver4.2 でのフォンテーヌ篇の完結時のヌヴィレットの台詞では、まだ「龍の国」とあり、「竜」の字はありませんでした。
ナタ関連の用語法が決まってきたのはこの後だったのかもしれません。
そもそも英語での saurus はあくまで dinosaur などの複合語の一部であって普通に使う言葉ではないので、「竜」一般の英語表記がどうなるのか、と思って見ると、イベント名でも使っていた「サウリアン saurian」を用いているようですね。
「竜の漫遊」は英語版では Saurian Wanderings です。
【今回の内容とはそこまで関係ありませんが恐竜学への案内】
▼ 話題は恐竜だけではありませんが、YouTubeチャンネル「サイエンスドリーム」の書籍化。元の「サイエンスドリーム」の方は情報もかなり丁寧で、お勧めできます。
▼ CGで多くの古生物を再現した Netflix 番組の書籍版です。画像を引用させていただきました。