釘師物語 -11ページ目

ADHD動画

昨日アップした記事に関する動画を見つけた。

ADHD(エーディー エイチディー)

注意欠如 多動性障害
(ちゅういけつじょ たどうせいしょうがい)



こんな子、周りにも居たと思う。

あるいは、今あなたの周りに居ると思う。


その子は、周りから疎まれて育ったかもしれないし、

今まさに疎まれているかもしれない。


けれど、それが「脳の仕組みの違い」から来ているADHDと知るならば、

その子も、周りの人も、少しは気が楽になると思う。


小児期「ADHDの正しい理解のために」


成人期「ADHDの正しい理解のために」



ではでは。(・ω・)/

近況

いつの間にか紅葉の季節になりましたな。(ーω-)y-~


釘師物語
北九州の公孫樹の木も、少し色づき始めました。



みなさん・・・





元気ですかー!!(笑)


釘師物語



・・・古い?



あ、、、そう。。。(;ーω-)y-~





あの暑い夏を突っ走ってきて、ようやく落ち着きを取り戻しつつあります。


発達障害も知ったし、家も建った。

弟の嫁さんはまだ見つからないが、我が奥は退院しました。


先月25日のこと。

こっち(北九州)にきて、5回目の退院。w


ただ退院後も調子は思わしくない。

一昨日の夜、横に寝っころがってテレビを見ていた奥。

右ひじを突いて、じーーっとして動かない。


私が炊事場の洗い物を終え、翌日のサラダを作った後もそのまま。

「おーい!奥ー!ヽ(^0^」と呼んでみても返事なし


煙草を吸って、ヘッドホンでドヴォルザークを聴き終ってもそのまま。

豆乳でも飲むかと、奥に聞いても返事なし。。。


全くの無反応状態が続いた。(・Θ・;)




昨日は食欲もなく、宅配の弁当もほとんど残している。


心配ながら早番出勤。

昼間にTEL.あり。


「な、なすの、、み、味噌炒めが、、、た、食べたい。。。(ノ◇≦。)」


茄子の味噌炒め定食。

産業医大に通院していた頃、帰りに必ず寄った定食屋。

行くと必ずなす味噌定食を頼んだ奥。


それを食いたいという。

えんえん泣きながら。

ここ2年はろれつも回らず、話す言葉が聞き取りづらい。

何度か聞きなおした。


電話では泣いている意味がわからず、夕方私の早番明けに一緒に行くことにした。


車に乗り込んで定食屋へ。10分足らず。

電話したときよりも落ち着きを取り戻したようだ。


なす味噌定食を食べながら、奥がまたしても泣き出した。


「お、おお、おいしい。。。( p_q)」


周りに人が居て恥ずかしかったのか、すぐに涙をふき取り、声を立てずに泣いていた。

おいしいのが良かったのか、

完食する頃には、笑顔が戻っていた。




思えば、反応のなかったその日のこと。


入院中、最も仲の良かった友人が家に来て遊ぶ予定だったらしい。

で、来るには来たが、玄関口で「用事が出来た」といって帰ったとのこと。


その事が奥のテンションを下げているようだった。

定食屋に向かう車の中でも、その友人のことばかりをしゃべっていたから、間違いないだろう。




それにしても、、、



何故、茄子味噌定食?



奴も、ADHD、入っているのかも知れないな。(´∀`;)



釘師物語



ではでは。(・ω・)/


サヴァン症候群

※少し編集しました。<(_ _)>



少し前の話だが、、、

中居正広の『金スマ』。

サヴァン症候群の特集をやっていた。


サヴァン症候群。(→ウィキ)



あまり聴きなれない言葉だが、今やっいる中居の「ATARU」の広報も兼ねていたのだろう。


トーマス・エジソン、モーツァルト、ベートーベン、アインシュタイン、、、

日本人では、山下清画伯が有名。


皆、日常生活に支障をきたすほどの“変人”。

あるいは、まともなコミュニケーションを取ることの出来ない“障害者”。


・・・周りの人々からは、そんな風に理解されている。



しかし、その卓越した能力を認められてからは、彼らは“天才”と呼ばれだす。





その能力も千差万別。

同じような能力でも、普通の人々に比べて2倍くらいの人も居れば、

数万倍の能力を持つ人も居る。



普通の人々に毛の生えたくらいの能力ならば、

天才と呼ばれず、ただの“凄い人”と思われているかもしれない。

能力がそこまでない代わりに、

性格も“変人”とまでいかず“ちょっと変わった人”になっているのかも知れない。



大多数を占める、いわゆる普通の人間と脳の仕組みが違うらしい。

幼児期からその能力を発揮しだす天才も居れば、

人生の途中で、何かのきっかけから天才になる人も居る。




『金スマ』では、山口県に住む“磯村さん”が紹介されていた。


盲目の磯村さん。

一度聴いた曲を、即、ピアノで演奏できる!


完璧に!


そのレパートリーは、1万曲。


一万曲!!!



山口県を中心に演奏会を続けているそうだが、

『金スマ』スタッフが、収録で自宅を訪れた際に別の能力を試した。


「□年○月△日に、開いた演奏会を覚えていますか?ヽ^^」


オズオズ訊くスタッフ。


磯村さんは首を前に傾け、数秒。。。


17年前の演奏会の名前から、話し出す磯村さん。



驚くスタッフ。

ついで、演奏した曲目を尋ねた。


・・・。

演奏した順に、正確に答える磯村さん。


お母さんも知らなかった特殊能力だ。



我々、フツーの人が『アナログ』であるなら、

磯村さんの脳は、『デジタル』。



記憶、というか、脳の仕組みが違うのだ。



その分、ちょっと変わった生活のリズムも持っている。

だいぶ忘れたがw、

ピアノ演奏の一曲目は必ず『エリーゼのために』。。。だったかな?(笑)

○時には、何々をする、じゃない、しなければならない。。。


などなど。


アナログ脳の我々には、不思議に映る行為だ。



しかしだからといって、蔑んではいけない。

たとえば、私の家にあるブルーレイレコーダーは、決まった場所にある「電源」をポチっと押さねばならないし、私が今せっせと打ち込んでいるこのPCを閉じるには、左隅の「スタート」ボタンをクリックしなければならない。


『デジタル』には、『アナログ』には理解できない仕組みがあって、

為に、単なる「電源ボタンを押す」とか「スタートボタンをクリックする」末端操作を覚えねばならない。


所詮、デジタルをアナログが理解することは出来ないのだ。




映画『ARARU』を演じる中居は、

その昔、ダスティン・ホフマンが演じた『レインマン』を真似ているように思う。


釘師物語

ダスティン・ホフマン演じる“自閉症”の兄と、

トム・クルーズ演じるチャラい弟。


自閉症の兄は、やはり特殊な能力をもっていて、

ポーカーで使う数組の絵柄すべてを、何枚使われたかを記憶している。

その能力を弟が利用して、カジノで大もうけ。


心を開かない・開けない兄との、そんなふれあいを通じて、

次第に兄弟の絆を深めていく弟。。。


そんな映画だったと思う。



その時は、映画の中だけの物語と思っていた。


しかし現実には、そんな“自閉症”の子を持つ親御さんも多い。


“自閉症”と認定されないまでも、その因子を持つ子を抱え、途方にくれる親御さんもいる。



“ADHD”(→ウィキ) とか

“アスペルガー症候群” (→ウィキ)

とかいう言葉を聴いたことがないだろうか?



これらを総合して

「発達障害」 (→ウィキ) と言うのだが、

これらも、“自閉症”と同じく、特殊な脳の使い方をする人たちだ。



特殊な能力を持つ人々は、この自閉症、ADHD、アスペルガー症候群を持つ人に多い。

しかし、これらすべての人々が、特殊能力を持つものではない。


その能力の高さ・強さも人それぞれ。

弱ければ、ただの「凄い人」あるいは、その人の「個性」として世間に受けとめられる。


いわば、ひとつの「個性」といった方がわかり易いかも知れない。


色んな逸話を持つ「長島茂さん」、

頭の回転が速い早口の「黒柳徹子さん」、

新種の魚をを発見した「さかな君」、、、などなど。


私達の周りにも、そういった因子を持つであろう人々は多い。



ADHDの場合、日本で3~7%の小児がその因子を持つと言われている。




■私が小学一年の頃、団野(だんの)という同級生がいた。

体育館や運動場の並び順は、私の後ろ。


そいつが、エライやんちゃ坊主で、いきなり私の背を蹴って来る。

思いっきり!容赦なく!


・・・よく泣かされたもんだ。(;´▽`A``



授業中も、おとなしく座っていることはなかった。

いきなり立ち上がり、教室内を走り回って、先生を困らせることもしばしば。


これは「多動(たどう)」といって、ADHDの子に多い特徴。


参観日の時も、団野の特性はいかんなく発揮された。

いきなり大声を出し、いつものごとく教室内を走り回ったのだ。

教室の後ろにいた保護者達は、ヒソヒソと眉をひそめながら見ていたに違いない。



最近、ひょんなことから「ADHD」を知るところとなり、

「ああ、あいつはADHDだったんだな。(ーω-)y-~」と思い出した。


団野の親御さんも、その当時は困っていたに違いない。


豊川市主婦殺人事件や、長崎男児誘拐殺人事件をきっかけに、

「発達障害者支援法」が施行されたのが、2005年のことなのだから。



奥の病・うつ病などの精神疾患と同様、

発達障害も、つい最近になって認知され始めた。



■教室内を走り回る団野のお袋さんは、どんな気持ちだったろう?


「親の躾(しつけ)がなってないのよ」

「ホントに困った子だわねぇ」

「家庭が複雑なんだろうな」等々、


影で噂する声が聞こえていたに違いない。

授業をする先生に申し訳なくて、赤面したに違いない。

「なんでこんな子に育ってしまったんだろう」と悩んでいたに違いない。

夫から「お前の躾がなってないんだ!」と怒鳴られたに違いない。


次第に世間から孤立し、親戚も遠ざかったかもしれない。

ひとり悩み苦しんで、もしかしたら、心中を考えたことがあったかもしれない。


苦しい思いをしたのではないか?



団野はしかし、次第に走り回ることが少なくなった。

小学6年の時、別のクラスの団野が私の教室に入ってきて、親しげに話しかけてきたのを覚えている。

・・・1年の時の“いじめ”を謝る事はなかったが。(笑)





日本では、「発達障害」というものの正体を知らない人がまだまだ多い。


「発達障害者」は、コミュニケーション能力に劣ることもあるが、

反面、最初に紹介したように、とんでもない能力を発揮することもある。


そして、その能力が、人類の発展に大いに寄与していることは間違いない。

人々の生活を楽しいものにしていることは間違いない。


能力が弱くても、その特異性が、周りの人々を幸せにする場合もあるだろう。




『ATARU』のヒットが、この病気の認知に一役買っているようで嬉しく思う。



この病気、というか症状を知ることで、私もいい影響を受けた。


世の中にはいろんな人が居るものだと理解するようになった。



私から見て、、、


変わってる人だなあ

常識がない

もっと話せばいいのに

何度言ってもダメな奴だetc


・・・と思っていた周りの人や部下。



しかし、「発達障害」という症状を知れば、、、


「ああ、こいつには少しアスペルガーの“気”があるな(ーω-)y-~」

とか、

「こいつは、自閉症気味だから、コミュニケーション取るのが苦手なんだw」


などと、少し冷めた見方が出来るようになった。



先に書いたように、発達障害の[程度]は千差万別。


普段は、その人の[個性]としてとらえられている。



今まで、世間の常識をわきまえない人々を、ただ毛嫌いするだけだったが、

それが、ある種の[個性]ナノかも知れない、と思えるようになった。



なんだかね、、、


自分が大きくなった気がして、気分がいい。(*ーω-)y-~






わかりやすいサイトはこちら。


→自閉症


→ADHD



ではでは。(^ω^)ノ