ADHD動画
ADHD(エーディー エイチディー)
注意欠如 多動性障害
(ちゅういけつじょ たどうせいしょうがい)
こんな子、周りにも居たと思う。
あるいは、今あなたの周りに居ると思う。
その子は、周りから疎まれて育ったかもしれないし、
今まさに疎まれているかもしれない。
けれど、それが「脳の仕組みの違い」から来ているADHDと知るならば、
その子も、周りの人も、少しは気が楽になると思う。
小児期「ADHDの正しい理解のために」
成人期「ADHDの正しい理解のために」
ではでは。(・ω・)/
近況
いつの間にか紅葉の季節になりましたな。(ーω-)y-~
みなさん・・・
元気ですかー!!(笑)
・・・古い?
あ、、、そう。。。(;ーω-)y-~
あの暑い夏を突っ走ってきて、ようやく落ち着きを取り戻しつつあります。
発達障害も知ったし、家も建った。
弟の嫁さんはまだ見つからないが、我が奥は退院しました。
先月25日のこと。
こっち(北九州)にきて、5回目の退院。w
ただ退院後も調子は思わしくない。
一昨日の夜、横に寝っころがってテレビを見ていた奥。
右ひじを突いて、じーーっとして動かない。
私が炊事場の洗い物を終え、翌日のサラダを作った後もそのまま。
「おーい!奥ー!ヽ(^0^」と呼んでみても返事なし。
煙草を吸って、ヘッドホンでドヴォルザークを聴き終ってもそのまま。
豆乳でも飲むかと、奥に聞いても返事なし。。。
全くの無反応状態が続いた。(・Θ・;)
昨日は食欲もなく、宅配の弁当もほとんど残している。
心配ながら早番出勤。
昼間にTEL.あり。
「な、なすの、、み、味噌炒めが、、、た、食べたい。。。(ノ◇≦。)」
茄子の味噌炒め定食。
産業医大に通院していた頃、帰りに必ず寄った定食屋。
行くと必ずなす味噌定食を頼んだ奥。
それを食いたいという。
えんえん泣きながら。
ここ2年はろれつも回らず、話す言葉が聞き取りづらい。
何度か聞きなおした。
電話では泣いている意味がわからず、夕方私の早番明けに一緒に行くことにした。
車に乗り込んで定食屋へ。10分足らず。
電話したときよりも落ち着きを取り戻したようだ。
なす味噌定食を食べながら、奥がまたしても泣き出した。
「お、おお、おいしい。。。( p_q)」
周りに人が居て恥ずかしかったのか、すぐに涙をふき取り、声を立てずに泣いていた。
おいしいのが良かったのか、
完食する頃には、笑顔が戻っていた。
思えば、反応のなかったその日のこと。
入院中、最も仲の良かった友人が家に来て遊ぶ予定だったらしい。
で、来るには来たが、玄関口で「用事が出来た」といって帰ったとのこと。
その事が奥のテンションを下げているようだった。
定食屋に向かう車の中でも、その友人のことばかりをしゃべっていたから、間違いないだろう。
それにしても、、、
何故、茄子味噌定食?
奴も、ADHD、入っているのかも知れないな。(´∀`;)
ではでは。(・ω・)/
サヴァン症候群
※少し編集しました。<(_ _)>
少し前の話だが、、、
中居正広の『金スマ』。
サヴァン症候群の特集をやっていた。
あまり聴きなれない言葉だが、今やっいる中居の「ATARU」の広報も兼ねていたのだろう。
トーマス・エジソン、モーツァルト、ベートーベン、アインシュタイン、、、
日本人では、山下清画伯が有名。
皆、日常生活に支障をきたすほどの“変人”。
あるいは、まともなコミュニケーションを取ることの出来ない“障害者”。
・・・周りの人々からは、そんな風に理解されている。
しかし、その卓越した能力を認められてからは、彼らは“天才”と呼ばれだす。
その能力も千差万別。
同じような能力でも、普通の人々に比べて2倍くらいの人も居れば、
数万倍の能力を持つ人も居る。
普通の人々に毛の生えたくらいの能力ならば、
天才と呼ばれず、ただの“凄い人”と思われているかもしれない。
能力がそこまでない代わりに、
性格も“変人”とまでいかず、“ちょっと変わった人”になっているのかも知れない。
大多数を占める、いわゆる普通の人間と脳の仕組みが違うらしい。
幼児期からその能力を発揮しだす天才も居れば、
人生の途中で、何かのきっかけから天才になる人も居る。
『金スマ』では、山口県に住む“磯村さん”が紹介されていた。
盲目の磯村さん。
一度聴いた曲を、即、ピアノで演奏できる!
完璧に!
そのレパートリーは、1万曲。
一万曲!!!
山口県を中心に演奏会を続けているそうだが、
『金スマ』スタッフが、収録で自宅を訪れた際に別の能力を試した。
「□年○月△日に、開いた演奏会を覚えていますか?ヽ^^」
オズオズ訊くスタッフ。
磯村さんは首を前に傾け、数秒。。。
17年前の演奏会の名前から、話し出す磯村さん。
驚くスタッフ。
ついで、演奏した曲目を尋ねた。
・・・。
演奏した順に、正確に答える磯村さん。
お母さんも知らなかった特殊能力だ。
我々、フツーの人が『アナログ』であるなら、
磯村さんの脳は、『デジタル』。
記憶、というか、脳の仕組みが違うのだ。
その分、ちょっと変わった生活のリズムも持っている。
だいぶ忘れたがw、
ピアノ演奏の一曲目は必ず『エリーゼのために』。。。だったかな?(笑)
○時には、何々をする、じゃない、しなければならない。。。
などなど。
アナログ脳の我々には、不思議に映る行為だ。
しかしだからといって、蔑んではいけない。
たとえば、私の家にあるブルーレイレコーダーは、決まった場所にある「電源」をポチっと押さねばならないし、私が今せっせと打ち込んでいるこのPCを閉じるには、左隅の「スタート」ボタンをクリックしなければならない。
『デジタル』には、『アナログ』には理解できない仕組みがあって、
為に、単なる「電源ボタンを押す」とか「スタートボタンをクリックする」末端操作を覚えねばならない。
所詮、デジタルをアナログが理解することは出来ないのだ。
映画『ARARU』を演じる中居は、
その昔、ダスティン・ホフマンが演じた『レインマン』を真似ているように思う。
ダスティン・ホフマン演じる“自閉症”の兄と、
トム・クルーズ演じるチャラい弟。
自閉症の兄は、やはり特殊な能力をもっていて、
ポーカーで使う数組の絵柄すべてを、何枚使われたかを記憶している。
その能力を弟が利用して、カジノで大もうけ。
心を開かない・開けない兄との、そんなふれあいを通じて、
次第に兄弟の絆を深めていく弟。。。
そんな映画だったと思う。
その時は、映画の中だけの物語と思っていた。
しかし現実には、そんな“自閉症”の子を持つ親御さんも多い。
“自閉症”と認定されないまでも、その因子を持つ子を抱え、途方にくれる親御さんもいる。
“ADHD”(→ウィキ) とか
とかいう言葉を聴いたことがないだろうか?
これらを総合して
、「発達障害」 (→ウィキ)
と言うのだが、
これらも、“自閉症”と同じく、特殊な脳の使い方をする人たちだ。
特殊な能力を持つ人々は、この自閉症、ADHD、アスペルガー症候群を持つ人に多い。
しかし、これらすべての人々が、特殊能力を持つものではない。
その能力の高さ・強さも人それぞれ。
弱ければ、ただの「凄い人」あるいは、その人の「個性」として世間に受けとめられる。
いわば、ひとつの「個性」といった方がわかり易いかも知れない。
色んな逸話を持つ「長島茂さん」、
頭の回転が速い早口の「黒柳徹子さん」、
新種の魚をを発見した「さかな君」、、、などなど。
私達の周りにも、そういった因子を持つであろう人々は多い。
ADHDの場合、日本で3~7%の小児がその因子を持つと言われている。
■私が小学一年の頃、団野(だんの)という同級生がいた。
体育館や運動場の並び順は、私の後ろ。
そいつが、エライやんちゃ坊主で、いきなり私の背を蹴って来る。
思いっきり!容赦なく!
・・・よく泣かされたもんだ。(;´▽`A``
授業中も、おとなしく座っていることはなかった。
いきなり立ち上がり、教室内を走り回って、先生を困らせることもしばしば。
これは「多動(たどう)」といって、ADHDの子に多い特徴。
参観日の時も、団野の特性はいかんなく発揮された。
いきなり大声を出し、いつものごとく教室内を走り回ったのだ。
教室の後ろにいた保護者達は、ヒソヒソと眉をひそめながら見ていたに違いない。
最近、ひょんなことから「ADHD」を知るところとなり、
「ああ、あいつはADHDだったんだな。(ーω-)y-~」と思い出した。
団野の親御さんも、その当時は困っていたに違いない。
豊川市主婦殺人事件や、長崎男児誘拐殺人事件をきっかけに、
「発達障害者支援法」が施行されたのが、2005年のことなのだから。
奥の病・うつ病などの精神疾患と同様、
発達障害も、つい最近になって認知され始めた。
■教室内を走り回る団野のお袋さんは、どんな気持ちだったろう?
「親の躾(しつけ)がなってないのよ」
「ホントに困った子だわねぇ」
「家庭が複雑なんだろうな」等々、
影で噂する声が聞こえていたに違いない。
授業をする先生に申し訳なくて、赤面したに違いない。
「なんでこんな子に育ってしまったんだろう」と悩んでいたに違いない。
夫から「お前の躾がなってないんだ!」と怒鳴られたに違いない。
次第に世間から孤立し、親戚も遠ざかったかもしれない。
ひとり悩み苦しんで、もしかしたら、心中を考えたことがあったかもしれない。
苦しい思いをしたのではないか?
団野はしかし、次第に走り回ることが少なくなった。
小学6年の時、別のクラスの団野が私の教室に入ってきて、親しげに話しかけてきたのを覚えている。
・・・1年の時の“いじめ”を謝る事はなかったが。(笑)
日本では、「発達障害」というものの正体を知らない人がまだまだ多い。
「発達障害者」は、コミュニケーション能力に劣ることもあるが、
反面、最初に紹介したように、とんでもない能力を発揮することもある。
そして、その能力が、人類の発展に大いに寄与していることは間違いない。
人々の生活を楽しいものにしていることは間違いない。
能力が弱くても、その特異性が、周りの人々を幸せにする場合もあるだろう。
『ATARU』のヒットが、この病気の認知に一役買っているようで嬉しく思う。
この病気、というか症状を知ることで、私もいい影響を受けた。
世の中にはいろんな人が居るものだと理解するようになった。
私から見て、、、
変わってる人だなあ
常識がない
もっと話せばいいのに
何度言ってもダメな奴だetc
・・・と思っていた周りの人や部下。
しかし、「発達障害」という症状を知れば、、、
「ああ、こいつには少しアスペルガーの“気”があるな(ーω-)y-~」
とか、
「こいつは、自閉症気味だから、コミュニケーション取るのが苦手なんだw」
などと、少し冷めた見方が出来るようになった。
先に書いたように、発達障害の[程度]は千差万別。
普段は、その人の[個性]としてとらえられている。
今まで、世間の常識をわきまえない人々を、ただ毛嫌いするだけだったが、
それが、ある種の[個性]ナノかも知れない、と思えるようになった。
なんだかね、、、
自分が大きくなった気がして、気分がいい。(*ーω-)y-~
わかりやすいサイトはこちら。
ではでは。(^ω^)ノ