着々と。
まだまだ寒い今年の2月末。
40数年分の荷物を整理。
お袋は捨てたがらない。
「置いといても、使うことはない」
と説得し、だいぶ捨てた。
それでもてんこ盛りの荷物。
寝具だけでも、布団袋7つ分。(;^_^A
目の前のいとこの屋敷に預かってもらった。
プラス、仮住まいに2つ分あった。凹○コテッ
【棟上】
棟上は2013年5月10日
その日の前後9日間、快晴。
5月10日は、朝から 雨のち曇り。
偶然なのか。
いとこが言う。
「お父さんが、嬉し涙を流してるのよ。ヽ(^^」
ぐっと涙が出そうになった。
大工の棟梁は、私の叔父。
お袋の弟。
親父の弟子。
私が小学生のとき、我が家で数年間を一緒に過ごした。
その棟梁が仲間を呼び、総勢14名で朝からトンテンカン。
張りの大きさに満足する
ぐるりと足場を組まれた中に、ニョキニョキと木材が生えてくる。
柱は、檜(ヒノキ)を使用。
屋根を組み立て上げる前にパチリ。
いつも使う仕出屋・美好家のお弁当。旨かった♪
一服中。( ^-^)-~
見上げるお袋、剛、棟梁。
屋根の骨格が出来上がる。
駐車場から。
二階の屋根作業中。
西側から見る。左はいとこの屋敷。右はQの遊び場。
屋根まで出来たら、餅まき。小学1年以来だ。(笑)
裏へ回る。小さいけれど、庭を作った。
隣の屋根付き駐車場との境。
記念撮影をば、パチクリ☆
手前左から、お袋、叔父の嫁さん、叔父(棟梁の兄)
奥に剛
午前中、雨がシトシト降っていたが、
午後にはポツリポツリ。
夕方、餅をまくときにはすっかり上がっていた。
やはり親父が見ていたのだろう。
【6月末】
ちょっとした打ち合わせのため、佐世保へ。
瓦がのり、外壁も貼られていた。
杉の木の香りが充満する家に入る。
屋根を見上げる。一部に通気口がある。
2階の私の部屋から瓦を見る。
やはり私の部屋から。下は和室。お袋の部屋となる。
柱や張りの継ぎ手は、棟梁の手彫り。機械堀りよりモチが違う。
さて、、、どこだったか?(´∀`;)
2階の剛の部屋からベランダをみる。
やはり剛の部屋から、反対の西側を。奥は6畳のクローゼット。
階段を上がったところから、ベランダを。右が剛、左は洗面と私の部屋。
壁に入れる断熱材。ロックウールを使用。
床下。奥に見える隙間は、換気の為。
床下の接写。わずかな隙間が、湿気を逃がす。
階段の上り口から、玄関方面を。
玄関
炊事場。外から。
※時間の都合で、【あふたー】は次回へ。<(_ _)>
おわび。
第一目標、ようやくクリア♪
前回写真をアップした通り、佐世保の実家を改築した。
小さい母屋と隣接の工場(こうば)を取り壊し、
その上に、また小さな住処を建てた。
今年の三大目標の一つを、ようやくクリアできたわけだ。
【びふぉー】
取り壊す前の実家。
2階建ての母屋に隣が工場。工場の横、道路を挟んで駐車場。
角度を変えて
親父が、二度三度塗り替えた外壁も限界近く、
洗面所の扉もボロボロ。
脱衣所、兼、洗面所から浴室に入る開き戸。
そのレール部分は、10ヶ月前に秋田に居る鉄弥が修理したものだった。
【ひっこし】
まずは工場の中の片付け。
30年くらい倉庫として使ってきたから、その量は半端じゃない。
陶器(新品)など使えるものは、外に出し、ご近所さんにもらってもらう。
写真は、衣装ケース5つ分くらい。あとからその2倍くらいの・・・w
陶器と釣道具をアラカタ出し終えた。
後で使うものは、駐車場奥に設置した臨時倉庫へ。
これが結構入るんだ。おかげで後々キツイ思いをした。w
工場解体。 2013.2.21撮影
早いもんだ。
解体作業を不思議そうに見守るQ
テラスの柱にスリスリ。
テラスの反対側にも同じ土台が。
Qの縄張り。くつろげる場所だった。
思い入れがあるのだろう。
軽くなった家。
お袋と親父の寝室。
私の部屋。2階8畳
剛の部屋。2階6畳
2階廊下
玄関から2階を見上げる
玄関や洋間には、倉庫や仮住まいに持っていけなかった荷物がまだまだ。
43年分だもんな。(ーω-)y-~
ご苦労様。
我が家。親父が建てた家。
工場が解体され、母屋の荷物を出し終えた。
Qも、名残を惜しむかのような・・・
記念写真をパチクリ。 2013.2.27撮影
仮住まいは、結構近い。
車でぐるりと回らねばならないが、五分とかからない。
大きい家を真ん中で仕切った平屋。
ここに7ヶ月。
お袋と剛とQ。
(Qには外出制限ありw)
長くなったので、【あふたー】は次回に。<(_ _)>
ではでは。(・ω・)/
柴田トヨ~くじけないで
いつも車に積んでいる詩集。
100歳に近い柴田トヨさんが出した処女詩集。
ちょっとした待ち時間に読み返したりしている。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
ことば
何気なく
言った ことばが
人を どれほど
傷つけていたか
後になって
気がつくことがある
そんな時
私はいそいで
その人の
心のなかを訪ね
ごめんなさい
と 言いながら
消しゴムと
エンピツで
ことばを修正していく
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
高校生時代、クラスメートに
「釘師って、平気で人を傷つけることを言うよね」
と言われた事があった。
何のことやらさっぱりわからず、
いくら過去のおしゃべりを振り返っても、
「そんな事言ったっけ?」と、
思い当たる節は見つからなかった。
私に言った当人ではなく、そのクラスメートの友人に言ったのかもしれない。
長らくその事を忘れていたが、最近、また思い出した。
自分はごく普通に言っている事が、
相手にとっては、とてつもなく辛い事がある。
そもそも、「ことば」っていうのは、
言の葉っぱ、と書くように、
思いを伝える「手段」でしかない。
枝葉でしかない。
自分の気持ちの真実を伝える事は、残念ながら、
本当は無利なのかもしれない。
しかし、身振り手振りよりも、イラストを見せるよりも、
言葉は、思いを伝える有効な手段だ。
最近流行のメールやフェイスブック等は
言葉だけじゃなく、写真まで送れる。
自分の表情を見せることのできない代わりに、
絵文字も普通に使われている。
それでも、意思疎通のすれ違いは起こる。
発信者が伝えたい気持ちが、
受取人には全く反対の意味で伝わることもある。
昔流行った、「テレパシー」を、
人が全員、使えればいいのにと思った。