「幸せの定義」/ 高橋勇成 | 全員サッカーへの、挑戦

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関西大学サッカー部は
「全員サッカーで日本一」になるために
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こんばんは


GWに徳島まで田植えに行ったことで、「田植え職人」や「農家さん」という体育会学生ではおそらく初のあだ名で呼ばれることになりました、今シーズンOBチームでプレーさせていただきます、2回生の高橋勇成です。


早速ですが、みなさんは今、幸せですか。


めっちゃ幸せ!という人もいれば、まあ幸せかなという人、はたまた色んなことがあって、今はしんどかったりして、今を幸せに思えない人もいると思います。


僕自身も、前までの価値観であれば、今の状態を幸せと思えなかったと思います。


けど、この1年間で、初めて親元を離れ1人暮らしをしたり、新しい環境で、今まで関わったことのない人と接したり大きな挫折を何度もしたりする中で、色んな価値観や考え方、幸せがあることを知りました。ブログでは、サッカーに対する価値観の変化と、タイトルにあるように、自分の中での幸せの定義について、書きたいと思います。



サッカー部に入部した日から、約1年が経った。


入部してすぐ、公式戦が始まる直前に怪我をしたり、自分の思うプレーができないまま、試合のメンバーから外れたり、また怪我をして、4ヶ月間サッカーができなかったりと、挫折続きのシーズンを過ごした。


プロサッカー選手になるという夢からはどんどん遠くなっていく感覚で、何をしてもその場の気晴らしにしかならなくて、いつまた痛みがなくサッカーができるようになるのかも分からず、何を生きがいに、何を希望にしていいのかもわからない日々が続いた。


もしサッカーを辞めれば、こんなことを考えず、何にも縛られずに楽しく人生を過ごすことができるのかもしれない。

サッカーのために、自分の好きなお菓子やジュース、外食を制限したり、オフの日も遊ばなかったり、他にも色んなものを犠牲にする生活が、精神的にも肉体的にも限界なのかもしれないと感じていた。


この1年、色んな人と話す中で、サッカーが人生の全てではない。と言われる機会が多くあった。

過去に怪我でサッカーができない時にもそういうことは言われてきたし、頭では理解していたけど、実際そうは思えなかった。そう思うこと自体が、弱い自分や現実から逃げているんじゃないかと思っていたからだと思う。


そんな中、両親とも話す中で、自分のサッカー人生に幕を下ろしてもいいんじゃないかという話をされた。

自分が怪我をして、人生のどん底にいる姿を何度も見せている分、その言葉を両親に言わせてしまったことに心が痛かった。両親は、「サッカーはしたくてやっていることだから、このままサッカーを続けてもいい。嫌になったらやめてもいい。1度きりの人生を好きに生きて欲しい。」と言ってくれた。その時に、人生の数ある選択肢の中で、今1番したいこととして、自らサッカーという選択肢を選んでいるんだという自覚ができた。


仮に、一生サッカーに携わることができたとしても、遅かれ早かれ自分にも現役を引退する日は訪れる。その時に、この15年のサッカー人生で得た経験や考え方というのは、間違いなくこの先の人生で自分の武器になり、財産になる。だけど、いくらサッカーが上手くても、サッカーを仕事にしなければ、特技の1つでしかない。


以前の自分は、上手くなるためにひたすらサッカーの練習をしていたし、サッカーのプレーがうまくいくかいかないかが、幸せの基準だった。だから、怪我をしている状態では、他に楽しいことがあっても、自分の本当の幸せじゃない感覚だった。


それは、良くも悪くも、


サッカー=人生


という考え方や見方しかできなかったからだと思う。


自分の場合は、3年半もけがの期間を過ごしたからこそ、その考え方によって、自分の人生の可能性を自ら狭めている気がした。

「サッカーが人生の全てではない」というのは、人生を俯瞰してみた時に、サッカーをしている自分というのは、一要素でしか無いこと。それ以外にも、人それぞれ、この先に就職があったり、家庭を築いたり、それ以外にも、色んな体験や出来事が混ざりあって、1人の人生が構築されている。じゃあ大事なことはなんなのか。


それは、「人間力」に尽きると思う。サッカーに限らず、どんなことに対しても、1人の人間として、どう考え、どう行動するのか。今、日本で最も注目されている大谷翔平選手も、日本だけでなく、世界中から賞賛されているのは、野球のプレーだけではなく、人に対する気遣いや日々の野球に向き合う姿勢、取り組みなどの素晴らしい人間性を持ち合わせているからだと思う。


つい最近も、OBの先輩から、プロになれば、上手い選手はいくらでもいる。その中で生き残っていくために大事なのは、メンタルの部分。という話を聞いて、そこの重要性を再度実感した。だからこそ自分は、サッカー選手の前に、人としての部分をおろそかにしないと決めた。


最後に、この1年間で、サッカーに対する価値観、そしてサッカー以外の幸せというのに大きな変化があった。

タイトルにある、自分にとっての幸せの定義は、


自分が今一番したいこと、夢や目標に挑戦しているか、そして、自分が思う誰かと過ごせるかだと思う。言い換えると、お金と時間を自分の思い通りに使えているかだと思う。

僕にとっての幸せは、プロサッカー選手になるという夢に挑戦することであり、試合で活躍することはもちろん、たとえ怪我をしていても、前の自分を越えて復帰するためにリハビリを頑張ることや、たまには気分転換にジャンクフードを爆食いすること、好きな漫画やアニメを見ること。そして、家族や友達、彼女と一緒に過ごすこと。

だから今、自分は全治2ヶ月の怪我をしてたって、毎日が楽しくて、幸せだと思えるようになった。

長くややこしい文章になりましたが、今回のブログは終わろうと思います。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。