「心に光があるから希望の光がわかる」
こんにちは そしてこんばんは
経済学部2回 橋本育磨です。
書き始めは14時、書き終わりは23時
いい文章ではあると思うので読んでいただけたら幸いです。
みんなはサッカーへの思いなどを書いている中私は少し違ったことについて書いてみようと思います。
「心に光があるから希望の光がわかる」
ここに希望があったとしても自分の中に光や灼熱を体験していないのであればそれが希望だとはわからない。
希望の何をも見ることも聞くこともできない。
今読んでいる本に出てきたニーチェの言葉で特に印象に残っているフレーズです。
最近よく今の自分は過去の自分に作られているんだなと思います。
リーグ戦のロッカールームで流れていた何年振りかに聴くTWICEのOne More Timeの歌詞を全部覚えていたり、小学校6年生の時の毎週月曜日の行きたくなくて家を出るのをためらうほどいやだったスクールのおかげで今の自分のプレースタイルがあったり...何気ない記憶や経験が今の自分に影響しているなと実感する場面はみなさんも少なくないと思います。
こうした過去の経験の積み重ねは今の自分の見え方や感じ方にも絶対に影響しています。何気なく生きているこの瞬間でさえ人によってどんな経験をしてきたかで物事の見え方や感じ方が全く違っているし、ニーチェの言う「希望が見えるかどうか」は希望はただ目の前にあればだれにでも気づけるものではなく、内面にそれを希望だと感じるだけの経験や強度、つまり感受性がなければそこにあっても見えないということだと思います。
世界の見え方は現実そのものではなくこれまでの自分の経験によってつくられたフィルターを通した加工付きのものだとも考えることができます。
例えば、授業のレジュメを自ら周りに配っている人を見て「いい人だ」と感じる人がいるのに対してそれを「偽善だ」と感じる人、配っている人を見て何も思わない人もいます。同じ現実でも見え方は人によって全く違います。
ではどうしたらニーチェのいう希望が見えるようになるのか...
それは単に経験の数を増やすことではなく、本気で取り組み、うまくいかなかった理由から目をそらさず、「なぜそうなったのか」「自分はどこで間違ったのか」まで考え抜くことが必要になります。
そうした過程で、自分が当たり前だと思っていた考え方が崩れ、見え方が更新されていきます。
何も考えずに繰り返す経験では、人はほとんど変わらないけど葛藤や失敗を繰り返し、向き合った経験だけが、内面に強度を生み、その強度が感受性を育てます。そしてその感受性があるからこそ初めて、目の前にあるものを「希望」として捉えることができるのだと思います。
本気で夢を追いかけたことがある人、試合に勝つために本気で努力したことがある人にしかわからない喜びや悔しさがあって、その経験を持っているかどうかで、同じ出来事でも意味は大きく変わるし、その経験を土台にしてこれからの人生を生きていくことができるんじゃないかなと思います。
ここまで読んだというあなたの経験が少しでも心の光になることができたなら光栄です。
