仲里 効「転がり続ける意思は主権の地図を書き換える」
仲里 効なかざといさお
1947年生まれ映像批評家
「世界」 10月号仲里 効「転がり続ける意思は主権の地図を書き換える」という小論文の冒頭には、「琉球民族独立総合研究学会設立準備委員会」が沖縄国際大学で開いたシンポジウムのポスターが掲げられている。
シンポジウム「4.28を前に琉球の主権回復を考える」
沖縄県の人々は、日本政府から沖縄国際大学が日本政府から財政援助を受けながら、沖縄が琉球として、日本から独立しようと大真面目に言い張る「学会」が沖縄県の大学に存在し、息子、娘に教えられる環境にあることを知らない。
「琉球の主権回復」と言い、仲里 効が無知をさらけ出して、新川明の「日本政府が「主権回復の日」を開くのであるならば、沖縄は日本に離縁状を突きつけるくらいの気概をもつべきだ」という言葉、目取真俊の「沖縄が主権を回復する日にしないといけない」ということばを平気で引用している。
仲里 効、新川明、目取真俊やこの三人の「沖縄・琉球の主権回復」という表現に賛同する人には、結構だから、沖縄県民に、われわれは日本から離脱して、沖縄国を作ろうとよびかけるべきだ。日本の全国誌である「世界」に書くことさえ、意味がない。本当に沖縄の主権回復が必要ならば、沖縄の生活者の民衆と意思を固めて、日本に対して通告すればよいことで、なにも難しいことはない。
問題は彼ら「琉球の主権回復」派が、一般の沖縄県民が、あくまで日本の沖縄県民として不満はあっても、独立なんて夢に思っていないのに、沖縄国際大学や大学の知識人しか読まないような「世界」なんぞでいい気なホラ話をこそこそと言っていることだ。
また、仲里 効 の引用によると、琉球新報の4月29日社説もまた、「日本による基地維持政策を「植民地政策」と捉え、沖縄の真の主権回復には独立や特別な自治が必要との意見も出ている」と書いていることがわかる。
この琉球新報の社説の筆者は、政治学の基本もわかっていない。「沖縄の真の主権回復」と書くが、主権回復するには、沖縄国になる以外に、他のただひとつも道はない。意見も出ているどころの話ではないではないか。そんなバカ話につきあっていられない、と書くべきところを、沖縄の真の主権回復が必要という意見に一理ありそうな書きぶりをする新聞などありえないだろう。
これは、こどもが小遣いをくれない親は死んでほしい、とという意見もある、などと言う言い草のをまともにとりあげるようなものなのだ。
県には、主権はないし、また、日本全国には、北海道、青森はじめ、米軍基地も自衛隊もいくらでもあるが、だから植民地だなんて話はない。
さらに「沖縄タイムス」も4月29日「「登壇者の発言や大会参加者の感想の中に、「主権」「自己決定」「離縁状」と言ったことばが多かった。県民の自立への願望である、とあたかも、沖縄県民が日本から独立して「沖縄国」を作りたいと思っているかのように、偽装して書く。
とんでもない詐欺師たちだ。ほんとうに、沖縄が独立して琉球国を作ったら、親と喧嘩した子供が家出した場合と似たような事になるのはいうまでもない。
ましてや東京が日本から独立するならともかく、沖縄は日本から補助金を受けているのだから、どうして、自立できると言えるのか意味がわからない。
まるで「琉球国」が独立して、現在本州地域で普通に働いたり家庭を持つ沖縄県出身者が「在日琉球人」になって、特別永住権を取る取らないという日がありうるかのようなことを大真面目にいっているのだから、呆れる。
いずれにしても、はっきりしているのは、目が覚めたら沖縄県は日本の県ではなく、沖縄国になっていた、という事は知識人たちにはありえないが、一般の生活者にはありうるのだ。「独立」だ「主権」だと「沖縄タイムス」「琉球新報」仲里 効、新川明、目取真俊らが思うなら、はっきりと、表明するべきだ。いまや、反米基地闘争は、沖縄国設立の意思の段階に来た、と。
県民は「アホか、」と思う事、いうまでもあるまい。
中国人強制連行
秋田花岡事件
広島県安野事件
寺中 誠
東京経済大学教員
「世界」10月号「国際的孤立に進むにほんの人権政策」
寺中は「人権」概念を「社会の中の大きな勢力、支配層、多数派によって虐げられた人々が最後に依拠する手段である」と定義づけている。
寺中が日本が国内法のシステムに閉じこもろうとしていて、人権問題に関して後ろ向きの姿勢だと批判して、その例として、死刑制度をやめようとしない事をあげている。死刑のどこが、多数派によって虐げられた人々の人権軽視なのか、さっぱりわからない。
死刑廃止に妥当性があるとすれば、私には、殺人は過失か、人倫の確執による殺人であって、「国家が淡々と制度手続きにしたがって殺人」をするのは、相手が誰であれ、僭越な行為ではないか?」という疑問にしかないと思われる。
国家というものは、復讐を許さないし、被害者の遺族の願い通りに聞く義務がない、という意味で、もともと冷たい制度なのだ。死刑に一抹の疑問があるのは、そこにしかないが、犯罪者に人権があるということはない。容疑者には、人権はあるが。確定判決されれば、人権はかなり制限される。
寺中はこう言っている。
「旧日本軍性奴隷制、いわゆる「慰安婦」問題は」と。
旧日本軍性奴隷制なんてものは、過去に存在しない。「慰安婦問題」とは、「慰安婦を性奴隷とウソをいうものがいる」という「問題」なのだ。
「慰安婦」とは、市役所や病院に民間の食堂やコンビニがあるように、軍隊施設周辺または、ほぼ軍隊施設に接して、民間風俗があったのが事実であって、そういうものを普通、性奴隷とはいわない。キャバクラやコールガール、」AV嬢を普通はいやらしいとは思っても、性奴隷制とは言わないと同じだ。
寺中は、強制連行があったかどうかは、問題ではに、と言うが、まさに「性奴隷」は、「強制連行」があっての「奴隷」であり、「強制連行されない性奴隷」があるはずもない。だからこそ、韓国では、いまでも、強制連行されたと言っている。なんと、寺坂は、強制じゃなかったとしても、性奴隷だと言っていいる。さらにはっきりさせると、寺坂のように、性奴隷だと言い張る人は、女性が逃げられなかった、というが、それは逃がさなかったのは、業者であって、軍ではない。
市役所の食堂が食中毒を出して、食中毒を出した責任を食堂経営者に取らせず、市役所を糾弾したら、おかしいだろう。
寺坂は、元慰安婦の人々に国としての謝罪と賠償を行わないことを「人権侵害」だと言っている。まさに、謝罪賠償を行うべきは、その時の風俗業経営者である。
銀行不祥事に国が謝罪することはないのと同じだ。
旧日本軍は「風俗業がないのに、あらたに性風俗を作り上げた」(その場合は、たしかに極悪な「制度」だろう。)のではなく、すでにある風俗業者を誘致して、きちんとまじめに給料を支払いなさいよ、トラブルをおこさないように、と指導していた。これが実際だった。
しかも、なにも、娯楽が目的ではない。ほっておけば、周辺に散在するもぐりの性風俗に行って、性病を持ってくるからだというのが真の理由だ。
要するに、現実には、市役所に食堂やコンビニがなければ、外のレストランに行くから、同じことなのである。しかも、風俗の場合、もぐりの業者では、性病が蔓延している。これでは、少年少女がお父さんは不潔だから嫌い、と言っているようなもの。軍隊性奴隷というが、軍近くに業者を誘致しなければ、周辺に業者が営業者していたのだから、同じである。彼ら、慰安婦批判者は、まじめに、清潔に戦争してほしかったと言っているにすぎない。女性の尊厳というが、それは、むしろ「貧乏の悲劇」の問題。「人間の欲望」の問題が重なった場合の話で、軍隊の問題にならない。
また、例えて言うと、腐ったたべものを含む料理を市役所が企画したわけではない。離職の自由がない場合のことを指摘するのなら、それは、軍が離職させるな、と言ったのではなく、当時の置屋、芸者屋の中でも、優良な経営の仕方をしているところのようにせよ、と言っていたのが実態だ。
寺坂は自民党憲法案が「拷問禁止」に「絶対に禁止」と書いていないから、相対的に拷問もありうることだろう、という。バカバカしい。それなら、なんでも、いちいち「絶対に」とつけなければいけない事になるではないか。
では、なぜ寺坂がこのような馬鹿げた論法を書かなければならないかというと、こう書かないと、「世界」が原稿を掲載してくれず、「世界」が掲載してくれないと、大学職員の彼は、彼は大学教授になれないからだ。
師岡康子も「世界」で名を売って、大学教授になりたいのか、デタラメの限りをつくして書いている。(大阪経済法科大学客員研究員)
「世界」2013年10月号「国際人権基準から見たヘイトスピーチ」で、師岡康子は、在日コリアン(朝鮮・韓国人)は、「侵略戦争と植民地支配」の結果として、日本に済むことを余儀なくされた人々だ、と言っている。
まったくのウソ八百である。まず、「侵略戦争の結果」というのは、師岡がはじめて言ったのではないかと疑うくらい、聞いたこともないし、およそ、意味不明である。朝日新聞が明らかにしたところによると、コリアンの戦時徴用労働者は、264名(記憶ではそのくらい)でほとんど帰国した。
では、なぜ、現実に在日コリアンが何十万人といるのかというと、簡単な話、近いからである。それは、メキシコ人がアメリカに密入国しようとする人が絶えないのと同じだ。当時は、これが主要な理由であり、植民地だったから、大勢の人々が日本にきたわけではない。要するに近いからだ。では、なぜ、経済格差が生じたかといえば、これも単純な理由で、文明開化、断髪帯刀の廃止、西洋への留学の開始が韓国は20年以上遅れたからにほかならない。まさにそれが理由であって、奪ったことが理由ではない。もっと言うと、日本の各藩はそれぞれに財政改革して、さほど破綻財政とも言えなかったが、韓国のほうは、日本の藩に相当する独立採算組織がなく、中央政府そのものが、財政破綻していた。これが、韓国の発展の根本理由であって、日本は韓国の発展の遅れにまったく、関係がない。発展が遅れたから、仕事があって、漁船の底でしならくがまんすればこれくらいの距離の他国に来たのであって、師岡の言う「侵略戦争と植民地」が理由というのは、間違いだ。むしろ、なぜ、特別永住権があるかというと、師岡のような勘違いがあるからだ。
要するに、江戸時代に、たまたま幕府藩制度を採用して、独立採算制度を取ったことが、偶然、日本に幸いした。さらに、幕末までに、各藩が財政改革を成功させたこと・・・これが、留学や外国文物の輸入を可能にした。これが韓国になかったことが韓国最大の悲劇である。あとは、民衆は相対的に豊かな地域に移動しただけの話であって、支配されたから、来日したわけではない。仕事のために、がんばって、右も左もわからない場所に、故郷を離れて来た人たちだと言っていい。そう言う意味では、生き抜く気概のある立派な人たちだった。師岡のいうように、無理やり連れてこられたわけではない。自殺せず、勇気を出して、知らない土地に行ったのだ。
つい先日在日コリアンの人が討論番組で、「われわれは強制連行されたとは言っていない。言っているのは、日本のマスコミだ」と言っていたが、最近では、在日の一般の人も、自分自身が祖父母から聞いた実感を優先していうようになった。ウワサではなく、当人が言った、という例では、「強制連行」は「就職のつきそい」のことを言っていることがほとんどで、あとは「密航」なのだが、「密航」は生きるため、という意味ではやむを得ないと言える。肝心なのは、ありもしない強制連行を言うことが問題なのだ。
ちなみに、「世界」10月号では、脱原発の闘士小出裕章が、「東京電力は倒産させるべきなのです」と明言していることに注意願いたい。
沖縄の独立を言う人たちに、私がひたすら願うのは、小出裕章ら、脱原発派は、「東電は倒産させましょう」とはっきり言うがいい。だれがそんな非現実的な空論を聞くものか。