最近GYAOがすごいです。 明成皇后がクライマックスを迎えて | 気になる映画とドラマノート

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しばらく観ないでいて、きのうのぞいてみたら、GYAOがすごいですね、

「王道」「明成皇后」「快刀ホン・ギルトン」「ボディガード」「ハン・ミョンフェ」「人魚姫」などなど、時代劇から現代ものまでラインナップの多いこと。

「明成皇后」を観たところ、ちょうど例の問題の日本人に明成皇后が謀殺される場面が放映されていました。

 このサイト、感想、コメント欄があって、案の定、「史実と違うだろ」というコメントがあって、それに対して、「歴史」と「ドラマ」とは別物でしょう」という反論が載っていました。

 この意見、もっともといえるかもしれませんが、ただし、日本歴史ドラマと韓国の一部の歴史ドラマとは、少し違う事情があることを理解したほうがいいでしょう。

 たとえば、高句麗の「朱蒙」、高句麗から渤海までの「テジョヨン」は、製作放送の前年に現実世界で、中国政府、報道機関と韓国政府マスコミとの間で、「高句麗のあった場所の民族はもともと中国人だった」、「いや朝鮮民族の先祖なんだ」という論争が行われて、この反論意図を込めて、作られて、同時に韓国国内のナショナリズムの高揚を図ることも、含んで放送されたということは有名な話です。

 日本のドラマが外国との歴史論争をきっかけにして、ひとつの答えを表明する手段としてドラマを制作し、放送するということはまずないでしょう。

 日系移民、中国残留孤児などのの歴史事実をテーマとすることはあっても、たとえば「竹島」や北方領土の歴史をドラマにするというドラマへのかかわり方を日本はしてきませんでした。

 ところが、明らかに韓国の場合、日本や中国に対する批判の意識をこめて、韓国国内の人に「こうなんだよ、こうだよね」という意識を共有する目的を持って作っている側面は、一部の作品には、間違いなくあるのですから、単純に歴史とドラマは別物といいきれない面があります。

 日本人もまた、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長、伊達政宗などの歴史人物について、ドラマの総合的な印象から好き嫌いを感じることから逃れられません。

 ましてや、韓国の人たち(の一部)は、いまだに明成皇后の謀殺事件を日本人嫌いの主な理由のひとつにしているのは紛れもない事実ですから、「立派な皇后が殺された」のか、「民の貧困には、無頓着で湯水のようにお金をぜいたくに使い、親戚一族に官吏の職業斡旋をして権力を独占した悪女、が殺されたかは同じとはいえないでしょう。

 もし、どんなに悪女だとしても、他国の皇后を殺すのはよくない、というのなら、それはたしかに愚かな策略ではありましたが、では私たちは「チェコスロバキア」のあの独裁者チャウシェスク夫妻が銃殺されたのをニュースデ見て、本当にいたましい思いをしたでしょうか。

 イラクのフセインやリビアの独裁者が殺された時、真剣にいたましく思ったでしょうか。もっとも、彼らがいかに立派な人物だったかを私たちがだまされて聞かされていたなら、かの国に国民も、わたしたち他国の人々も悲しい思いをしたことでしょう。

 日本人が明成皇后を謀殺したことは、その国の人々が王族を憎悪していない以上、怨まれる種をまいたと言えるので、愚かな行為です。しかし、立派な皇后を殺したというドラマと、民の悲惨な暮らしをかえりみないひどい皇后ではあったが、それでも、朝鮮人自身が王位を剥奪するべきだった、日本人がすることではなかった、という見方のドラマではぜんぜんちがうと思います。