諸行無常、起死回生、洗濯脱水 | KUDANZササキゲン「散文と音楽」

KUDANZササキゲン「散文と音楽」

ササキゲンのソロプロジェクト KUDANZ(クダンズ)の日記

右肘のテニス肘の手術を終え、術後の経過も良好だったので3日目で退院する事が出来た。

担当医が全国の肘の外科手術の会長をされている方らしく、診察日には術前の検査を全て終えて、即入院手術と、短いスパンで迅速かつ的確に対応して下さった事をとても感謝している。

術後もさほど痛みはなく、強いて言えば病院で三日間、慣れない環境でほとんど眠れなかった事以外は何の問題も無く、いいお医者さんに診てもらえてよかったと心から感謝している。

手術で患部を開いてみた結果、MRIで見たよりも状況はあまり良くなかったらしく、縫合する予定だった腱は結果的に全て切除してしまったとの事。

ただ、物を持つために使う腱は厳密に言うと2種類あって、リハビリをすればある程度のところまでは日常の動作は問題なく手を使う事が出来るようになるとの事なので、とにかくリハビリを一生懸命頑張ろうと思っている。

昨日で手術から一週間が経過し、手首から肘にかけてつけているギブスを半分取ってもらった。なんとなく手首の方を取ってもらえると思っていたのだが、手首の方のギブスが残り肘の方が無くなった。

手術痕は5センチくらいで、まだ患部の腫れと突っ張り感があるが、今の状態でも肘の曲げ伸ばしをしていかないと、筋肉が硬くなったり、後遺症が残る可能性が出るので、痛みと付き合いながらリハビリを始めている。

スポーツ選手が術後この状態から現役復帰しているのだと想像すると、本当に尊敬の念が湧いてくる。

元々腰も手術していたりと、何かと身体の事で苦労してきた人生ではあるが、仏教の教えの中では、身体の不調というのは本来、自分自身の身体の使い方を間違っているから起こるという考え方があって、確かに自分自身もその時々で沢山間違えてきたし、無理してでもどうにか越えていきたい山みたいのものの連続だったから、仕方なかったなという思いがあって、その境涯を恨んだり、後悔したりという気持ちは一切無く、やり方はもっと沢山あったかもしれないが、その時すべき事をしてきた、清々しいまでの自業自得だと感じている。

それでも側で支えてくれる人間にとってはたまったもんじゃないので、これからは今まで以上にちゃんと自分の身体と向き合って生きていかないとなと自戒している。


来週は更に手首のギブスが外れて、その代わりに着脱式の新しい装具がつけられる。

湯船に入る事が出来るようになるのが何より嬉しい。


指先は問題なく動くようになってきたので、肘が曲げ伸ばし出来るようになれば、少しずつギターを弾く事が現実的になってくる。

今は弦に指が届かなくてもどかしい。

少しでも爪弾く事ができたら、自分にとっても大きな慰めになるだろうと思う。


左腕の状態もあまり良くはないから、ライブが出来るところまでは時間がかかりそうだけど、今できる事、今しか見れないものがあると思うので、ゆっくり焦らずに向かっていきたい。

またみんなの前で演奏できる日の事を考えている。

生半可な気持ちで戻れる場所ではないというか、半端な演奏するくらいならやらないつもりでいる。

長い事歌う事で生活をしてきたので、今は不安でしかないけど、なるべく腕を使わない仕事を探し始めている。

手を使わない仕事なんてなかなか無いので、苦労しているが、なんとか社会に戻って、普通に働いてみたいという気持ちの方が今は強い。

物心ついた時から音楽が自分にとっては何より大切で、そのためにあらゆる犠牲を払ってきたけど、今こうして自分の手元から音楽が離れている期間というのは、きっと大事な何かを知るための時間なのだと思う。

自分の責任の中で、自分の人生を完結させて全うしたいなと、ずっと考えています。


次から次へと困難が降りかかる世界ですが、時々リラックスしながら考えたアイデアの一つが、自分も誰かも幸せにする可能性がその辺に実は転がってるってこと、忘れずにいよう。


文字を打ち込むのが大変なのでこの辺で。