ちゃんと説明してなくて、色んな方から心配のご連絡を頂くので、ここに記しておきます。
昨年から古民家改修作業をしている中で、両肘に痛みを感じるようになって、整形で診察を受けた所、テニス肘と診断されました。
いわゆるオーバーユース、使い過ぎということで、痛み止めのステロイドを注射してもらって、湿布など渡される感じ。
注射をしてもらうと多少痛みが引くので、変わらず作業などを続けていたのですが、作業中突然痛み出す、また病院行く、その繰り返しで。
ツアー前にも注射を打たないと、スーツケースを引きずって歩く事も出来ない感じで、ギターもよく腕の様々な神経を使うので、しんどい時は痛み止めを飲んでライブをする、帰ってきたら古民家作業をする。
古民家の方も、業者さんに頼んでる部分は僕の作業が終わらないと入れない部分もあったりして、誰かに頼む事も出来ないので、いつも時間に追われていました。
ちょっと無理してるなと思ってたけれど、あの家を完成させる事は、僕にとってほんとうに切実な思いだったので、何が何でも進めていかないといけない、人生がかかっていました。
そのうちに注射も効かなくなり、先生もお手上げになって、別の病院を探しました。
新しい病院で新しい治療を始めました。
ステロイドの打ちすぎだったので、そこからは一切使わなくなった結果、慢性的な両肘の痛みと向き合わなくてはならなくなり、治療とリハビリを数ヶ月続けましたが、遂に右腕を三角巾で吊ってないといけない状態まできました。
手術しないとダメだなと思ったけど、手術後も良くなる確証がない事と、術後長期にわたってギターが弾けなくなる、仕事が出来なくなるというのが正直しんどいと思って、今までは保存治療の選択を取ってきましたが、もうさすがに限界だなと思って。
そしたら江ノ島でのライブの話を頂いて、ずっとやりたいと思ってたし、これは何かの機会だからと、そのライブを一区切りにして、治療に専念しようと思いました。
当日はみんなが気遣ってくれて、荷物を持たせないようにしてくれたり、ほんとうにありがたかった。
三茶と江ノ島の二日間は、人生最後の弾き語りライブのような気持ちで、どばどばと脳内物質が溢れ出して、集中力が最後まで途切れない時間だった。
自転車どころかバス停まで倒れるような強風の江ノ島。いつかこんな天気の日があったなと思い返したら、親父の火葬の日もこんな強風の日だった。
きっと両親も観に来てくれたのだろうと思う。
七尾旅人さんから連絡が来て、歌ってくれた事、鹿児島から上京したてのYOLKの悠作も一緒に演奏してくれた事。
今までの全てが繋がるような一日だった。
あの日あの場所にいた人たち、なんとなくみんなどこかしら、纏っているものが似ている気がした。
物静かで優しくて、個が個のままそこに居て、あの時間だけ一緒に宇宙船に乗って旅をしているみたいな時間。
来てくれて本当にありがとう。大切な人たち。
また一緒に旅をしましょう。
それまで、沢山の物語が書けたらいいな。
良い景色が書けたらいい。
清々しい程の激痛に唇を噛み締めながら仙台まで車を走らせて、翌日目が覚めて、ああ、もう腕ほんとに終わったわ、と観念しました。
紹介状を出してもらうまでに3度も病院を訪れた。一回で済ませてほしい。
多分手術は来年になると思う。
とにかく日常生活を普通に送れるくらいまでは回復して欲しい。
どちらかというと左利きだが、今までお尻を右手で拭いていた事に気づいた。
使い分けがよくわからない。
今まで理性的に尻を拭いていたが、今は本能の赴くまま、感覚的な左手で拭いている。
むずいです。
左手を多用するので、左も悪くなってきている。左も一切使えなくなったらと思うと怖くてたまらない。
人間、手が使えないと殆ど何もできない。
これはなってみないと分からない事だった。
服を脱いだり着たり、髪の毛を洗ったり、ご飯の準備や洗い物、洗濯、運転。
無茶苦茶文句言いながら、無茶苦茶優しく日々助けてくれる妻には頭が上がらない。
仕事しながら、何も出来ないおっさんの世話を毎日しているこの人には、感謝しかない。
古民家について、妻と散歩しながら話した。
山で自然と共に生きていく事は長年の夢だったから、何が何でも完成させたかったけれど、仮にもしこの腕が普通に使えるところまで回復しなかった場合は、手放すつもりでいると伝えた。
満足に体が使えない人間が住めるほど、甘くはない。薪の用意も出来ない程度なら、潔く都市部で暮らしていこうと話した。
こういう時、昔なら酷く落ち込んだものだが、人生悩みに悩んだ結果、悩むだけ無駄だと知った。
なので、開き直って、のほほんとしている。
思えば僕は、母親が歳とってから産んだ子供なので、小さい時から身体が弱く、ずっと身体の不調と付き合ってきた人生だった。
なるようにしかならない。
根性が無いのかと思って、散々無理したが、どんなに無理しても他人と同じ様には出来なかった。
でも、音楽が自分の人生を変えてくれた。
沢山の街、沢山の人に出逢わせてくれた。
足が動くから、これからもみんなには会える。
音楽に出会わせてくれた両親に、まっじっで感謝している。
無かったらヤバかった。絶対終わってた。
休んでる間何か出来ないかと、いつぶりだろう、履歴書を作って面接に行ってみたりもしたが、腕が使えない人間など誰も雇ってはくれない。
俺でも雇わない。
やっぱり簡単に社会には戻してもらえない。
歌を歌って生きてきたから、どうにかこうにか、これからも淡々と続けるだけだ。
ライブは伴奏者が居てくれれば何とかなるかな。
作詞や作曲の依頼があれば何なりと、僕でよければいつでもご連絡ください。
昨日もとある人との合作をレコーディングしたりしていた。(超良い感じ)
あとは自分で書いている文章を作品という形にするのと、何か文章などの依頼があれば、僕が書ける内容であればご相談ください。
腕あかんくても仕事はせねばなるまい。
というわけで、なんかあったら仕事よこしてください。私らしさ満載でお戻しします。
とりあえず今は、手術を待つ日々。
詩は相変わらず毎日書いてるよ。
みんなも日々大変だと思うけど、お互いのらりくらりやっていきましょう。
気が向いたら、反対の手で尻を拭いてみてください。