坂本慎太郎とCornelius、恵比寿リキッドルームを観に行った話。 | KUDANZササキゲン「散文と音楽」

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ササキゲンのソロプロジェクト KUDANZ(クダンズ)の日記

18年前、岩手に住んでた親父と姉ちゃんと三人で、今はなきzepp仙台の行列に並んで、ゆらゆら帝国のライブを観た。

sweet spotのツアーだった。

ゆらゆら帝国の「めまい」というアルバムは、十代の頃の喪失感にそれはそれは寄り添ってくれて、寄り添うどころか抜け出せないループみたいに、ぼくのなつやすみというPlayStationのゲームと完全にシンクロしてしまって、外にも出ず、俺ことボクくんは延々とそのアルバムを流しながらブラウン管の中でクヌギの木を蹴飛ばし続けた。

その先の角を曲がったら絶対におじさんが待っていて、贅沢すぎる晩飯と翌日のおねしょが確定するのが分かっているから、足が複雑骨折してたと思うけど、いつまでも木を蹴り続けた。


それから数年経って、ボクくんは一人で仙台に住んで、同じ夜行性の生き物をさがしてる最中、久しぶりに家族と合流してゆらゆら帝国のライブに行ったのだった。

一言も喋らずに、一方的に鼓膜を壊されるような2時間のライブで、人間の生きる苦しみと虚しさを浴びた。

サーーーッと鳴り続けてる耳に、親父の「ジミヘンが生きてる時に生で見たら、あんな感じのギターの音だったのかな」という言葉だけが今も脳裏に残っている。

あの時あの終わらない夏休みのループから連れ出してくれたのは、紛れもなく音楽だった。

あのままあそこにいたら、自分はどうなってたんだろう。

その後程なくして、「空洞です」という傑作を残して彼らはあっけなく解散した。

納得する他ない終わり方だった。

あのままあそこにいたら、彼らはどうなってたんだろう。


それからも多くの音楽と出会って、気づけば少しずつ自分自身も、音楽を作る側の人間になっていった。


あれは2017年だっただろうか、坂本慎太郎氏は空白の期間を経てソロ活動を開始していて、自分は前年に血の轍というアルバムを出した後くらいに、CorneliusがMellow Wavesというアルバムを出したのだが、そのアルバムに収録されている「あなたがいるなら」という曲のMVを見て、打ちのめされた。

今までもCorneliusは好きだったが、なんだかその曲だけ、言葉と音が絶妙にハマっていて、全部が「これしかない」の集約の塊のように聴こえたのだ。

そして何気なく調べて納得したのは

その曲の作詞が他でもない坂本慎太郎氏だったのだ。

小山田圭吾氏の音に対する執着は狂気を感じるほどで、ヘッドホンで聴くと360度どこからでも音が鳴るような聴こえ方がする。現代は音楽を聴くという行為そのものが、良い曲をシンプルに楽しむという嗜好の観点から、聴覚体験に変わってきている事を明確に感じた瞬間でもあった。

その音に、坂本慎太郎氏の、空虚なのにどこか温かみとウィットに富んだ言葉が重なると、鬼に金棒としか言いようのない世界が出来上がる。

小山田圭吾氏も空虚感と無機質な建築物のような冷たさを湛えているが、坂本慎太郎氏の言葉にはどこか人間として生きる事に対する諦念と共に誰かと生きていくような、ほんの少しの明るさがあって、そこが良かったのだと思う。


昨日その坂本慎太郎とCorneliusの対バンを恵比寿のリキッドルームで観てきた。

小山田圭吾氏を観るのは札幌で観たMETAFIVE以来、坂本慎太郎を観るのは18年振りの事だった。

高橋幸宏さんが亡くなった今、あの時METAFIVEを観れてよかったと思う。


Corneliusのライブはとにかくテクニカルで、決め事を淡々とこなしていく凄さと、映像や照明とのシンクロ、何より曲のアレンジの凄さにただただぼけっと観続けていた。

それぞれ聴き分けると、シンプルな事をしているのに、設計が緻密で錯覚してしまう建築物を見ているような感覚だった。

何より小山田圭吾氏のギターの音は、極力空間系のエフェクターを排除した最上のプレーンの音といった感じで、眼前で聴こえるくらい抜けてて、それでいてうるさくなくて、堪らなかった。

思ってるような方向には決していかないギターソロがとても好きだ。

最後メンバーとみんなで挨拶をしているところも良かった。


久しぶりにスタンディングで1hのライブを観て、流石に手術した腰が悲鳴を上げていたが、その後のライブの為にレモンサワーを二杯買いに列へ並ぶ。

転換中もしゃがみながら腰の辺りをマッサージして、次の坂本慎太郎バンドを待った。


そっと始まった演奏に驚いたのは、想像してたよりも音量が控えめなのと、歌詞が全部聴こえるその歌声。

あんまり考えた事なかったけど、坂本さんは歌がうまい。

坂本さんの音楽を聴いていて、歌がうまいなぁとそっちに意識が向かうとは思ってなかった。


ゆらゆら帝国の時代から、なんとなく坂本さんの歌詞には「踊る」という言葉があちらこちらに居るような気がしていたが、ソロになってそれがより明確になった気がした。

僕自身が、音楽を聴きながら身体を揺らす、みたいな事が殆ど無い人間なので、それがなんだか分かる。

この世界で空虚さや、馬鹿らしさに嫌気がさした人達がたくさんいて、はっきり言っていつもどんな時も踊るような気分になれない。

周りの人たちがどうだろうと、同じような身振り手振りで動いたりなんてできないし、なるべくそういう場所には居ないように心がけている。

そんな人達も、この日リキッドルームにはたくさん集まっていて、下はイヤーマフをした小学校低学年の子どもから、上は初老のおじさまおばさま、海外の人たち、とにかく幅広い年代の人たちが集まって、思い思いに身体を揺らしていた。

無論、僕も身体を揺らした。

皆がこの世への諦念と共に、自由に踊っていた。


ジャズ、サーフミュージック、ディスコのリズムで、音数の少ないシンプルなアレンジでありながら、あの声、あの言葉、あのギターが乗っかると、不思議とサイケデリックな空気がふわぁっとステージから客席に煙のようにながれ込んでくる。

何をしててもそこに漂う生粋のサイケデリックが変わらずそこにあった。


フジロックでも使用したらしいレーザー照明もとてもマッチしていた。

あれから長い時間が経過しているから当たり前なのかもしれないが、拍手に頭を下げたり、ありがとうと言葉にしたり、メンバーを紹介している坂本慎太郎氏を見て、じんわりとしました。

二者とも共通してるのは、音楽の邪魔にならない程度、かと言って失礼でもない、過不足の無い謝辞であったり言葉との距離感が観ていて心地よかった。

間違っても、格言みたいな事を言ったりしない。

勿論無いだろうとは思っていたが、セッションもアンコールも無いそれぞれの1hには、お互いに対する敬意が滲んでいた。


帰りの電車の中で、同じライブを観に来ていたFULL URCHINのノリ君と、それぞれの感想をLINEでやりとりして、翌日の自分のライブの事を考えながらEGの家へ向かった。


このまま年老いて、ありとあらゆる事をどんどんやめていけばいい。

その時に残ったものを自分も楽しみながら続けていこうと思った。