ツキザワの家 友部正人さんと | KUDANZササキゲン「散文と音楽」

KUDANZササキゲン「散文と音楽」

ササキゲンのソロプロジェクト KUDANZ(クダンズ)の日記

朝、車に機材を載せて仙台を出て、お昼頃友部さんを北上駅でピックアップ。

今回は由美さんが来られず、やまびこに一人で乗って来てくださった。

途中、錦秋湖SAで軽く食事を済ませて、湯本温泉で友部さんの宿のチェックインを済ませて、ツキザワの家まで。



着いてすぐ、通り雨が過ぎていった。
草刈りをしてくださったそうで、辺りの草がキラキラ光っていてとても綺麗だった。

中に入ってすぐ目についたのは、瀬川強さんが描いてくれた二人の絵。

左の二つは壁紙に木炭で描いたとの事。

他にも様々なおもてなしの気持ちが随所に溢れていて、本当に嬉しい。


PAのオソラックさんは、盛岡からわざわざ駆けつけてくれました。

もう長い事岩手はオソさんにお願いしてるので、音響まわりは安心です。



リハーサルも無事終わり、父の古くからの友人であり、今回の主催者である写真家、瀬川強さんのお話のあと、ライブが始まった。



セットリストはいつも来てくれるお客さんから拝借。

一応二ヶ月続いたツアーのファイナル、何を歌うか少し悩んだが、友部さんと会う時はいつも新しい歌で対峙したくなる。

それは、友部さん自身がいつも新しい歌を聴かせてくれるからだ。


続いて友部さんの演奏。

僕は映像を撮りながら聴いていたので写真はないが、強さんが撮ってくれていたのでのちほど共有したい。

友部さんが以前西和賀にライブに来たのは1991年の5月との事。

強さんが当時会場で詩集に貰ったサインにそう記されていた。

強さんの息子で、今はほっと湯田駅の近くでネビラキカフェというお店をやっている然くんが1991年の5月生まれらしく、強さんは長男が生まれた三日後くらいに友部さんのライブに行った事になる。

強さんにとって、どれだけの存在だったかが窺える。

古くからのお客さんもいらしてくれたので、友部さんは新旧織り交ぜたセットリストを組んでくれて、大好きな「どうして旅に出なかったんだ」も歌ってくれた。

昔の曲もさることながら、新しい曲がとても素晴らしくて、襟を正されるようなって、こういう感覚だなとライブを観ながら思った。


兄が、父親と母親の写真を持ってきてくれた。

幼少期、両親に連れられて行ったライブの時のあの頃の空気が、ツキザワの家に充満していた。


最後に二人で、友部さんの「朝は詩人」を歌った。

友部さんの声量が凄かったので、僕も大きな声で重ねました。


ライブの後はそのまま会場で打ち上げ。

強さんの奥様、ようこさんの手料理とお酒でみんなと語り合う。

最後は仙台から来たみきこ先生と妻と3人で一時くらいまで飲んで、そのまま畳の上に寝袋を3つ並べて眠った。


朝、友部さんを宿に迎えに行って、友部さんは風呂を済ませていたので、町を散策、僕たち3人はほっと湯田駅の温泉で汗を流して、そのあとすぐ近くにあるネビラキカフェで落ちあった。

各々好きなだけ風呂に入り、好きなだけ散策してそれぞれ勝手に合流する感じがとてもよかった。



その後春乃家で蕎麦を食べて



左草の方に立派な天然記念物の夏椿の木があってそろそろ見頃だと、宿のお婆さんに言われたそうで、その木を探しに行きました。






やっとこさ見つけたのだが、まだ蕾でした。

一日しか咲かない白い花らしく、見てみたかった。

それにしてもこんなに大きな椿の木は見た事がない。

その後は何故か向かいの田んぼで延々と蛙の観察会をしていました。


僕はその後兄と会う予定があったので、友部さんとみきこ先生とはここでお別れ。

夜が少し短かったので、今度またゆっくり会えたらと話しました。



コロナが明けて初めての、二ヶ月間に渡るツアーが終わりました。


コロナ禍に、ある日突然友部さんの奥さんの由美さんから連絡が来て、駅前のお店で友部が歌っているので良かったら来てとお誘いを頂いて、ギターを持って行った。

他人に会う事もましてや歌を歌うことも憚れるような状況の中で、友部さんは、営業自粛しているお店の中で、椅子に座って紹興酒を飲みながら黙々と歌っていた。

離れた所でお店の人や由美さん達何人かだけがそれを見ていた。

僕もお酒を頂いて、歌ったら?と言われて、鈍った喉で歌った。

最後に二人でテーブルに向かい合わせに座り、唾が飛ぶ距離で「朝は詩人」を歌った。

自分がコロナの菌を持っていたらとか、そういう色んな思いもあって、最期みたいな歌をあの時歌った。


今こうしてまた、友部さんと一緒に歌を歌えている。


歌が無くてはどうにも人生がつまらない。

会いたい人には、歌を持って会いに行きたい。