Chajinの 徒然フォトブログ -27ページ目

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

毎年のように訪れる関市武芸川町保木山のカタクリの里です。

発芽から開花まで8,9年かかり、直径1センチ、長さ4,5センチの球根から
かってはカタクリ粉が取られた。地上に姿を現すのは4~5週間で群落での
開花期間は2週間程度、天候もあり、なかなか開花に出会うのが難しい。





毎年のように訪れていてギフチョウに近くで出会えて写真を撮れたのは8年来、2度目です。

地元のお世話する方によりますと、今年はギフチョウ10頭ほどの今までにない多くの
羽化があったそうです。
(珍しいチョウは昔ヨーロッパでは動物園で飼われていて、動物と同じように[head]で
数えられ、日本でも頭で数えられるようになりました)

写真に凝る方は朝から夕方まで粘っておられるそうですが、私にそれほどの根気は
ありません。7,8人のカメラマンがおられました。

かたくりの蜜を吸う姿が写真に撮れれば最高ですが、2,3頭が彼方此方飛びまわって花に
止まることは殆どありません。





































春の妖精と呼ばれる代表格、カタクリ、さらにギフチョウにまで出会えて嬉しいひと時を
過ごしました。
 




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今年も春の妖精(springephemeral)を楽しみに恵那市上矢作大平を訪ねました。






今年は野の花々の開花も早く、集落の入口の受付で今年は少し早く満開です、お楽しみ
下さいと案内頂きました。

福寿草の咲くこちらの集落は昔は林業、炭焼き、狭い棚田の農業のみでしたが、現在、
家屋は3軒のみ。












福寿草は夏の日光に弱く、日陰の梅の木などの下、棚田の土手などに群生しています。












今から300年程前にこの地の先祖が長野の赤石山系より持ち帰り移植したとされる。




旧正月に合わせて咲かせるおめでたい花ですが、毒性が強いそうです。














イチゲソウ。











黄花セツブンソウ。



エゾネコノメソウ




キケマン




休憩、接待所があってお茶を頂きながら話に花が咲きます。







昨年は此処から山越えの国道418号を飯田へ向かい、妻籠(つまご)宿を訪れましたが
今年は中津川から中山道馬籠(まごめ)宿を訪れました。
 
中山道は中津川宿、落合宿から馬籠宿、山越で妻籠宿になります。








正岡子規が親友の馬籠が故郷の島崎藤村家を訪ねた時に読んだ句碑が
中山道沿いに設けられています。
















馬籠宿は、中山道43番目の宿場(中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町。

かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の
越県合併により岐阜県中津川市に編入された。 (次の妻籠宿は長野県)

1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と
枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。

桝形の水車。






桝形の上から残雪がわずかに残る恵那山。









お土産物屋さん。



島崎藤村の生家は馬籠宿の本陣であったが、1895年(明治28年)の大火で焼失した。
その本陣跡に1947年(昭和22年)再建。
その後、1950年(昭和25年)に、博物館運営のため財団法人藤村記念郷を設立。
1952年(昭和27年)には、藤村の長男である島崎楠雄から約5000点の資料を寄贈され、
長野県内の教員や小中高生の寄付を受け日本初の文学館として開館した







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先週は土、日まで雨が降り続いていたのが、3月27日は雨が上がり、初めて満開の桜を
楽しめる日になりました。

大垣城西広場。




桜の美しさは青空に映えますが、真上や南方は、春霞か、黄砂か一面真っ白でした。

江戸時代に入り、徳川家康の家臣「戸田 氏鉄(うじかね)」は尼崎藩主から、
十万石の初代大垣城藩主へ移封されました。
その後戸田家が幕末明治まで存続。

 










お隣、郷土歴史館の枝垂れ桜。





桜の季節になると大垣観光協会主催で掘割でもある水門川で船下りが催されます。
船着き場は我が家から2,300mの場所。
人気があって乗船予約を取るのは難しいようです。






戦後まで揖斐川から伊勢湾への水運で栄えた川湊船町の奥、船溜まり。
人工滝が作られています。




滝の後ろから。













船町港には常時水運に利用された船が観光のため係留されています。
右上は川港灯台。




船旅30分程で終点、船町港。




奥の細道結びの地、船町の芭蕉像。










大垣から根尾の淡墨桜へ。
毎年のように訪れますが今年は満開。15年、20年前には大垣の桜が散った後、
4月10日前後が満開で10日ほど早くなっています。
大正11年に国の天然記念物に指定、彼岸桜の一種、うば彼岸。

右が樹齢千五百年の淡墨桜、左は大正2年に植えられた淡墨桜二世。







散る間際に花びらが薄墨色になるので淡墨桜と呼ばれるそうですが、
残念ながら実感したことがありません。




裏側の高台から。





 樹齢の凄さを感じる幹。穴の開いた幹の間から反対側の光が見えます。








訪れた前日まで続いて雨模様、一時間ほど楽しんで帰る頃に国道は訪れる車で大渋滞でした。

淡墨桜の地から残雪を抱く能郷白山。





いつも根尾川左岸の国道ではなく、右岸の山道の県道を通ります。








根尾川の鉄橋。




数年前高科駅の観光看板で偶然見つけた土岐頼芸の墓所へ再び訪れました。

私の故郷、岐阜城の北方、大桑城を斎藤道三に攻め落とされ、その後は各地を転々とし、
信長の甲州征伐時、武田氏に身を寄せていたところを発見され、稲葉一鉄の計らいで
この地に戻り、半年後、天正10年(1582)、81歳で亡くなったとされる。

子供の頃400年も経た時点でも年寄りからは「土岐の殿様」と崇められていましたし、
この地でお二人のお年寄りに墓所を訪ねた時も、「土岐の殿様の墓所をお探しですか」と
丁寧に教えて下さいました。今読む歴史上の人物とは異なった面があったのでしょう。








朽ちて読めませんが、法名は「東春院殿文関宗藝大居士」。





 




桜の開花時期、天気模様、休日と、なかなかベストのタイミングでの出会いは難しい
所ですが、今年は有難い1日でした。
昨日、本日、桜や船下りを楽しんだ方々が大勢、私共の店を訪ねて下さいましたが、
桜の美しさや静かで穏やかな大垣の地が素晴らしいとお褒め頂き、
遠い方は札幌から、北陸、静岡、名古屋や三河の方々までお会いしました。


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春の妖精と言われる「セツブンソウ」の群生地、伊吹山西山麓、米原市大久保へ
今年も出かけました。




伊吹山西側は残雪は無し。琵琶湖へ流れる姉川と山の間の狭い土地に
集落があります。





数年前には集落あげてセツブンソウ祭りが開催されて、セツブンソウが咲き誇る
ダンダン畑の整備や各種のおもてなしが行われていましたが、高齢化が進み
ここ数年は小規模になり、畑も少し荒れています。
家の小さい庭に野の花を育てる方も多く、花談義をするのも楽しみの一つでしたが
お姿を見ません。













その昔、セツブンソウは畑にはびこる雑草でしかなかったそうですが、今では
準絶滅危惧種になっています。




径1~1,5センチの可憐な純白の花ですが出会える場所は近隣では本当に限られています。




キバナのアマナ(黄花の甘菜)。



福寿草



フキノトウ



エゾネコノメソウ。




梅も満開でした。







マンサク



アオキの実




毎回拝見する集落中心部の松音寺の掲示板。






この後、琵琶湖西岸、高島市今津町のザゼンソウ群生地へお邪魔しました。

饗庭野(あいばの)の伏線水が創り出した自然の傑作、ザゼンソウの群生地。
サトイモ科のこのめずらしい植物は、毎年2月から3月にかけて、僧侶が座禅をしているように
見える赤紫色の花が咲き、湖西地方に春の訪れを告げてくれます。




こちらも地元の方々がお世話されていますが、今年の株数、花の数は近年記憶に無いほどの数
とのこと。








水芭蕉と同じサトイモ科で、私も岐阜の高鷲へミズバショウを楽しみに訪れた際に初めて
出会うことが出来ました。
ミズバショウは無臭で、ザゼンソウは悪臭を放つそうですが、感じられず。

















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菜の花まつり開催中(1/14~4/2)の渥美半島を今年も訪れました。

道路沿いの休耕畑などにも彼方此方に菜の花が植えられていますが、メイン会場が
伊良湖岬手前の菜の花ガーデン。








小さなミツバチですが多数飛び回って、羽音がぶんぶんと聞こえます。















西方は山の上に伊良湖ビューホテル。




渥美半島に入ると目に入るのがキャベツ畑。
キャベツの生産量は県別では群馬が1位、愛知が2位でダントツ。
冬キャベツではここ田原市が日本一。






伊良湖から遠州灘、浜名湖まで一直線に50km続く太平洋の海岸は片浜十三里と
呼ばれています。

紺碧の空と海、素晴らしい景色に出会えました。

 



太平洋ロングビーチはサーフィンでも名高いものの、強風で静か。








上の写真手前の大岩をはじめ太平洋の荒波に浸食された洞穴があります。




恋路ヶ浜、伊良湖岬を一望、左手の神島との間、伊勢湾、三河湾へ大きな船も通る
伊良湖水道。





恋路ヶ浜。山の上が伊良湖ビューホテル。

恋路ヶ浜は近年観光スポットとして命名されたものではなく、江戸時代の和歌に残り、
その昔、高貴な身分の男女が許されぬ恋いゆえこの地に暮らしたという。

「椰子の実」島崎藤村 

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一ひとつ
故郷の岸を離れて 汝はそも波に幾月

旧の樹きは生いや茂れる 枝はなお影をやなせる
われもまた渚を枕まくら 孤身の浮寝の旅ぞ

実みをとりて胸にあつれば 新なり流離の憂
海の日の沈むを見れば 激り落つ異郷の涙

思いやる八重の汐々 いずれの日にか国に帰らん

もっとも藤村は訪れたことがなく、しばらく逗留した柳田国男が伊良湖岬に椰子の実が
流れ着いたことを明治31年に藤村に語ったことから作られたと伝わります。

中学唱歌で歌いましたか?遠い昔。





伊良湖水道を守る伊良湖岬灯台。昭和4年(1929)の建立。

伊良湖水道を隔てた先が神島。




30年以上前から伊良湖を訪れると家族でも決まってお邪魔する恋路ヶ浜の貝料理の店で昼食。





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