昨秋から野山、寺院などを訪れて来ましたが、久々、海の景色を見たくて曇天では
ありましたが舞鶴を訪れました。
舞鶴引揚公園の展望台から舞鶴桟橋跡。
舞鶴港は第二次世界大戦後、昭和20年10月に引揚港に指定され、昭和33年まで
延べ346隻の引揚船が入港しました。
中国やソ連からの引揚船の乗船人員は2000から3000人で、この湾の右方は狭く、
水深も浅く、引揚船に小型船が横付けされ、引揚者はこれに乗り換えて桟橋に
上陸しました。
若い方はご存じないでしょうが、二葉百合子の歌「岸壁の母」で知られる地です。
義父も召集された終戦後中国より引揚ました。大垣駅へ降り立つと一面焼けのヶ原、
大垣城も八幡神社も燃え落ちて、我が家を探すのも大変であったと聞かされたものです。
およそ六十六万人余の引揚者と無言の帰国をされた一万六千余の御霊を受け入れました。
平和の群像
下へ降りて桟橋跡
この後、自衛隊の舞鶴基地巡りの遊覧船を楽しみました。
先回、平日午前11時、午後13時の二度の出港時に間に合わず、今回は11時に間に合う
ようにスタンバイしました。切符売り場で今日は少し船が少なくて申し訳ないとも言われ
ました。
遊覧船を待つ間、停泊する船、688は機雷掃海艇「あいしま」。
遊覧船。船長さんも、案内の方も自衛官OBとの自己紹介がありました。
戦前、日本軍の赤煉瓦の建物が多数残っており、一部開放されています。
この左は舞鶴市役所。
就役して35年、昨年退役したばかりの護衛艦「まつゆき」。
ヘリコプター3機が見える飛行場。
修理ドック
船番号でネット検索できます、181はヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」。
海保の船もドックで修理中。
118は護衛艦「ふゆづき」
YO31は給油船。 火気厳禁の赤字が読みとれます。
攻撃練習艦。 後部の赤いヨット風の船はリモコンで動く1億円を超す小さい船。
まともに当てたら大変なので少し離れた位置を攻撃するのだそうです。
青い海、青い空が船にも似合いますが少し残念。先の大戦でも 山々に囲まれて、日本海からも
察知され難くかった舞鶴港です。
ウクライナ戦争、中国、ロシアの日本海での動きなどが気になる昨今、従来のように船の姿を
楽しむだけでは済まされない感覚を覚える今回でした。

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