本年最後の観桜は郡上八幡   令和2年4月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

岐阜県でも昨日緊急事態宣言が発せられ、本日4月11日(土)は数日前から当地のような
田舎街でも患者が出だして他所ごとではなくなり、今まで経験したことのない人出の少なさ、
静かさでした。

市内の桜は散り始め、好天の4月6日は郡上八幡へ桜を楽しみに出かけました。

一番の桜の名所、愛宕山公園は新型コロナ対策のためか閉鎖されており、郡上八幡城へ
向かいました。


市街地の中央を流れる長良川の支流の清流吉田川。夏になると正面の水面まで高さ12mの
「新橋」から小中学、高校生、青年などが飛び込む姿で知られます。








城山にはそれほど桜の木は見られませんが、城下の駐車場公園の桜は満開でした。

山内一豊とその出世を支えた賢夫人として名高い千代の銅像。
一豊は愛知岩倉の生まれで美濃の松倉城(各務原市)、牧村城(安八町)などの城主に使え、
永禄11年(1568年)頃から秀吉の家人となり高知城主、掛川城主などとしても有名です。
度々の記載で失礼ですが、私の山県市大桑の実家の一族の系図は一豊からと、子供の頃
祖父や父から幾度も聞かされていてご縁を感じます。
千代は郡上八幡城始祖、遠藤盛数の娘と言う説が有力です。











梅や桜にメジロの写真をよく見ますが、私は美濃地方で見たことがなく、はじめてメジロが桜の蜜を
吸う姿に出会うことができて大感激でした。

隣り合った2本の木に十数羽のメジロが留まっていたでしょうか。残念なことに、写真を撮り始めてすぐ
ヒヨドリが現れて散り散りバラバラに逃げてしまいました。






郡上八幡城は初代郡上八幡藩主遠藤慶隆慶長5年(1600年)から16代青山幸宣の明治2年の
版籍奉還まで続き、城も取り壊されましたが、昭和8年には大垣城を模して、日本初、木造再建
されました。



東京港区の青山は郡上八幡城主の青山氏の江戸屋敷があったことから残った地名、菩提寺が港区南青山の梅窓院で、平成に入って郡上踊りが披露されているようです。



吉田川が長良川へ流れ込む西方には白山禅定道、白山長滝神社、更に白川郷へ通じる
国道156号、東方は高山へ通じるせせらぎ街道です。









紺碧の青空に映える白亜の郡上八幡城、桜の美しさを楽しませて頂きました。


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