お盆明けの夏休みは瀬戸内巡り その1 令和元年8月 | Chajinの 徒然フォトブログ

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

8月に入ってからお盆まで多忙な日々を過ごして、3日の夏休みを頂きました。

明石海峡から淡路、鳴門は数度訪れておりますが、兼ねてから訪れたかった香川を訪れました。

明石海峡を渡る頃小雨が降り始め、明石へ着いた頃には明石大橋も見晴らしがききません。
晴れ女の家内との旅行は海外、国内を問わず雨に降られたことがありませんでしたが
今回はいつもと違いました。




鳴門大橋を渡り、鳴門海峡の渦潮を楽しみに出かけました。
大昔、中学校の社会科教科書にあった写真のすりばち状の渦潮が今でも忘れられません。

ネット検索で渦潮が最も楽しめる時間を選び、私は三度めになりますが、なかなかすり鉢状程の
渦潮は現れませんでした。










四国鳴門へ渡り、まず訪れたかったのが四国八十八ケ所霊場巡りの一番札所「霊山寺」。

私の知人数人や家内の友達、兄夫婦などが霊場巡りを完遂しておられ、知人の表具屋さんに
朱印軸の表具なども紹介しておりますが、小企業の経営者はとてもそれ程の時間的余裕が
ありません。
昔、奈良の信貴山で朱印帳は頂き、その後寺院には数多くお邪魔しましたがその頃御朱印を集める
という意識がなく、どれほどの寺院を訪れたか数えきれない程ですが、今更ですし、少し悔やまれる
所もあります。
高野山も訪れております。

仁王門



雨の中お遍路さんの姿も。



泉水池






本堂、土砂降りでした。



本堂、ろうそくをお供えしてお守りを頂きました。



多宝塔





初日宿泊は高松港や台形状の屋島が一望できるホテルでした。

大昔ですが、東京で仕事、瀬戸内海をまたぐ橋が無い頃、岡山宇野から高松への国鉄、宇高連絡船に
乗って徳島へ行政無線のプロポーザルに訪れた懐かしい思い出があります。





小豆島へのフェリーなど、次々に船の出入りが見られました。




翌朝、雨も止んで高松城址がホテルの真下です。

周辺の海が「玉藻の浦」と呼ばれたことから玉藻城とも呼ばれました。
堀は海と通じて直接軍船が出入りできるようになった海城でした。今でも堀には鯛などが見られる
そうです。 江戸初期に徳川光圀の兄で常陸の国から12万石で移封された松平頼重により改修
されたと伝わります。



今も残る月見櫓。



天守は三重四階地下一階で松山城を抜いて四国一の規模であったと伝わるが、明治17年(1884)に
老朽化で解体されました。






月見櫓は藩主が江戸から船で帰られるのを望み見たことから「着見櫓」とも呼ばれました。
延宝4年(1676年)頃完成、重要文化財。









本丸跡



天守跡



唯一の本丸への通路、鞘橋。 攻められた場合、この橋を壊せば近寄れなかった。



堀の先は海。



江戸時代の松平氏時代に披雲閣と呼ばれる現在の2倍の規模の御殿がありましたが
1817年(明治5年)に老朽化により取り壊されました。

現在の披雲閣は1917年(大正6年)松平家別邸として建設され昭和天皇が宿泊したり
しました。








(うしとら丑寅)櫓、城の北東にあることから名付けられた。1677年造、重要文化財。








この後栗林公園、丸亀城へ向かいます。


にほんブログ村 写真ブログ 中部風景写真へ
にほんブログ村


  にほんブログ村 花・園芸ブログ 季節の花へ    


   クリック頂けるとありがたや。 

私の店
お茶、茶道具、健康茶、抹茶アイス・グリーンソフト
  httpS://www.suigyoku.co.jp/      
 ヤフー店
    httpS://store.shopping.yahoo.co.jp/suigyoku/