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姫路城には過去大勢の観光で3度訪れましたが、正面から入り、三の丸広場、東側から
城を望んだだけでした。
平成の大修理を2015年に終え、白鷺城とは言うもののあまりの白さに少し時をおいて、
白色が落ち着いたであろう今回訪れて城内をゆっくり散策しました。
大きい城、松山城、熊本城も訪れましたが世界遺産だけあり、城面積、白亜の要塞、スケールの
大きさは他を抜きんでています。
本丸まで容易にたどり着けないように様々な工夫がなされていることは聞き及んでいました。
右下が西入口
天文15年(1546)に黒田官兵衛が姫路城で誕生、天正8年(1580)には官兵衛の勧めで
秀吉が入城、天正9年(1581)に秀吉が三重天守を築き、大坂城へ移る天正9年まで3年間
城主を務めました。
慶長5年(1600)関ケ原合戦の後、池田輝政が城主に。大改修を始め、慶長14年(1609)に
現在の5重7階の天守が完成。 輝政は大垣郊外の池尻城主から大垣城主、岐阜城主から
文禄3年(1594)に秀吉の仲介で家康の次女督姫と結婚、その後関ケ原合戦での武功が認められ
播磨52万石、姫路城の城主となりました。
池田家の家紋、アゲハ蝶の鬼瓦が残されていました。
3階から西の丸楼群、百間廊下。
最上階。窓には細かい金網が付けられていて外の写真を撮れません。
本丸東門。
これだけの石垣の石を集めるのもたいへんで、近くの古墳を掘り起こして右下の大長方形の石、石棺まで
利用しているそうです。
本丸(備前丸)から天守正面
先代のシャチホコ
城を出て西方向へお城を一周しました。
姫路城十景にも数えられる西北の男山(57,5m)へ登りました。 真っ直ぐ、真上に200段ほどの
階段があり、覚悟が要ります。
階段を登っていると男山神社で厄払い祭りをしているから是非寄って下さいと声をかけられました。
休憩して「厄除けそば」を頂きながら見学。
中腹に千姫が玄和9年(1623)に建立した千姫天満宮があります。
千姫が西の丸から礼拝できるように東向きに建てられています。
千姫は秀忠と江の長女で家康の孫娘、慶長8年(1603)、7歳で豊臣秀頼と結婚し大阪城へ入りましたが
慶長20年(1615)大坂夏の陣で家康により落城、秀頼と淀君は自害、千姫は助け出され
20歳の時本田忠刻と再婚、姫路城へ。一男一女に恵まれましたが、長男幸千代が3歳で亡くなり、
5年後には夫も亡くなり、江戸へ帰って尼として余生をおくり70の生涯を送りました。
姫路城での10年の生活が一番幸せだったと述べたと言われています。
北からの眺め。
東から
下さり、よくおいで下さいましたと、嬉しいひと時でした。
4時間ほどでしょうか、かってから一度は訪れたかった姫路城散策を楽しませて頂けました。