小谷城、浅井氏の支城でありましたが、信長、秀吉に滅ぼされた後、天正18年(1590年)に
石田三成が佐和山に入城しました。
慶長5年(1600年)関ケ原の戦いで敗れた三成に代わり、井伊直政が佐和山城主となりましたが
慶長9年、彦根城築城開始により、石垣をはじめ多くの部材が彦根城に転用され、その後
徳川方により城割(徹底的な破壊、廃城)されました。

井伊直政が井伊谷(現浜松市内)の菩提寺を分寺した龍潭寺(りょうたんじ)が佐和山への
登山口になります。

龍潭寺の入り口には三成像が鎮座していました。
城跡や登山道の整備などは地元の「石田三成顕彰会」の皆さんが活躍されています。
三成が居城したのはほんの10年ほどですが、城下の民から親しまれる存在であった
ようで、三成を破滅させた徳川方の井伊直政はこの城には居ずらく、早々に彦根城の建築にかかったようです。
滋賀県は家康の敵、「悪役」イメージを返上しようと、三成 本当はいい人なり と
you tube の動画で宣伝しています。
石田三成宣伝CM第一弾
https://www.youtube.com/watch?v=Bp_JCOWYorA
第2弾
https://www.youtube.com/watch?v=yAaNoci3_FQ
私が生まれ育った大桑城主の土岐頼芸が、400年を経ても土岐の殿様として
親しまれ、尊敬される存在であり、斉藤道三は我が城主を追いやったにっくき
人物とされていたことを思い出します。
緑に包まれた静かな境内には仏足石や七福神などが設置されていました。


入り口からおよそ1kmの登山道ですが、ハイキングというよりも登山ともいえる、丸太の階段などが
続くきつい山道です。
佐和山は龍潭寺と、隣接する清涼寺の私有地になります。
本丸跡

石碑が建てられているのみです。
城跡の北側には彦根の町並と琵琶湖が広がります。

高さ50mの平山に建つ名城、彦根城。

西側、左中央にうっすら見える三角の低い山は安土城跡の安土山(190mほど)。

この後下って何度も訪れてはいますが彦根城へ。
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