あヽ野麦峠  平成27年11月     | Chajinの 徒然フォトブログ

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         


せせらぎ街道の紅葉を楽しんだ後は高山から飛騨川沿いに木曾街道、

野麦街道から野麦峠へ。



大昔の中学生の時、社会科の先生が美濃、飛騨の生業を調査、研究して

本まで出版されている方で、女工哀史を語って下さいました。

その後、昭和43年に、10年にもおよび女工経験者などからの聞き取り、

飛騨各地、信州、岡谷などの紡績工場を調査するなどして刊行された

山本茂実氏の、「あゝ野麦峠」を手に入れることになります。





野麦とは、峠に茂る熊笹の実を飢饉時に麦代わりの食料としたことから名付けられたと

伝わります。  (本の表紙の写真は熊笹です)


高山から岡谷までは140kmほど、飛騨中の数千人の女性達が12,3才から信州の

生糸工場へ向かいました。


年に一度、正月前に雪に覆われた野麦峠を一年分の給金を抱いて飛騨へ戻りました。

女工哀史と、悲しい史実として伝えられ、一日13時間にもおよぶきつい労働でしたが、

女工経験者によると、飛騨の生活も同じように厳しく、工場では食事もきちんと与えられ、

ベテランの女工さんは明治末期や大正初期に100円工女と呼ばれ、100円と言えば

一年の給金で家が建てられるほどの大金で、飛騨の貧しい村々を潤したと伝わります。



高山からずーっと乗鞍岳を望みながら進みます。











今でも冬季は多雪地帯で、山沿いに続く厳しい道筋ですが、飛騨川に高根第一、第二ダムが

造られて水を湛えています。









岐阜、長野県境が野麦峠です。






野麦峠の頂上から飛騨側、熊笹に覆われた野麦街道と乗鞍。





長野側。






哀しい物語として知られる野麦峠の頂上で「飛騨が見える」と言い息を引き取った

と伝わる兄におぶさった河合村角川の「政井みね(20才)」。

工場から「みね病気引き取れ」との電報が届いて兄辰次郎(31才)が迎えに出た。

河合村角川は高山から更に30km程北に位置します。







頂上下には峠を行き来する旅人の休むお助け小屋が造られていました。







頂上から信州の山々。





高山から安房トンネルを越えて松本が大変近くて便利になりましたが、岐阜からも恵那山越え、

その昔、信州は遠い遠い地でありました。


今でも岐阜と長野県はお隣ながら、東海、北陸の各県に比し今ひとつ縁遠く感じられます。






日本ブログ村  クリック頂けるとありがたや。


お茶、茶道具、健康茶、抹茶アイス・グリーンソフト



すいぎょく園



http://www.suigyoku.co.jp

 ヤフー店
  
http://store.shopping.yahoo.co.jp/suigyoku/index.html


 Amazon.co.jp

  http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_ss_i_2_6?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%8E%E3%82%87%E3%81%8F%E5%9C%92&sprefix=suigyo%2Caps%2C314