吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道、「大峯奥駈道」起点で知られる
天川村は、清らかな水の流れと、緑濃い山に囲まれた山村でした。
平成23年9月の記録的な長雨による大規模な土砂災害に見舞われ、全国的なニュースにも
なり知られるようになりましたが、いまだにその爪痕を残していました。
訪れたのは、厳島、竹生島と並ぶ日本三大弁財天のひとつ 天河弁財天。
実は私どもの茶店の神職であられる御客様が、天河弁財天に請われて、大行事のある時に
度々お手伝いに行かれており、是非一度訪れて下さいと常々お聞きしており、今回ようやく叶った
参拝でした。
芸能の神様としても知られ、名高い芸能人が多数お参りされるそうです。
五十鈴(いすず)、天照大御神が天の岩戸に隠れた時に、天之宇受売命(あめのうずめのみこと)がこの五十鈴のつけられた矛をその手に持ち、聖なる舞いを舞い、大神を外にお連れし、再び光の世に戻ったとされ神宝となっています。
参拝時に鳴らす鈴も五十鈴。
本殿の舞台では能楽を初め管弦楽などあらゆる芸能が奉納されるそうです。
お供えをお持ちしてお下がりに頂いた陀羅尼助丸。 数十年ぶりの出会いです。
陀羅尼助の由来は、強い苦みがあるため、僧侶が陀羅尼を唱える時にこれを口に含み眠気を
防いだことからと伝えられる。
そう言えば、お茶もそもそもは修行僧の眠気覚ましに用いられたのが起源とされます。
陀羅尼助は和薬の元祖ともいわれ、1300年前(7世紀末)に疫病が大流行した際に、
役業者(えんのぎょうじゃ)、修験道の開祖として 尊崇される人物、がこの薬を作り、多くの人を助けたとされる。古くは吉野山および天川村の洞川(どろがわ)に製造所があり、吉野山や大峯山への登山客、行者参りの人々の土産物となっていた。
私が子供の頃、育った山村の集落に医院はあったものの、医者にかかることはほとんどなく、
胃腸の具合が悪ければ正露丸や陀羅尼助、風邪を引いて発熱しても頭を冷やし
富山の置き薬服用程度でした。(氷は手に入らないので冷たい井戸水)
それでも小、中の同級生を含め、病気で子供が亡くなったことはありませんでした。
風邪を引いたらすぐ医者へ連れていって、薬をいっぱい飲ませるのも如何かと。
私の今の主治医さんは、風邪を引いて少し熱があると言いますと、おいしい物を食べて
寝ていなさいと薬は出してくれません。 私的には信頼できる名医様です。
大峯山修験道、登山は今現在、全国唯一、女人禁制です。
母公堂(ははこどう)、登山礼拝を許されない女性たちの参籠の場となり,女人堂と呼ばれた。
女性に対する差別であると反対運動も起こされていますが、地元でも宗教上の伝統で
女性差別ではないとする意見が多いそうです。
熊野まで170 ㎞に及ぶ高地、険しい岩場を含む修験道です。
塩沼亮潤大阿闍梨は平成3年5月3日より述べ4万8000キロを歩き、平成11年9月3日に
大峰千日回峰行を成し遂げられ、大きく報道されました。
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