天台寺門宗の総本山である三井寺は 正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)と
いいます。 滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有しています。
また、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。
667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。
勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました
金色堂(本堂・国宝)
現在の堂は北政所により1599年に再建されたもの。
三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に
用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたことに由来。
現在、金堂西側に
ゴボゴボという音を立てて水が湧き出していました。(格子が狭く撮影は叶わず)
三井の晩鐘
重要文化財 桃山時代(慶長七年 1602)
歌川広重の三井の晩鐘図
一切教経蔵(重文)
慶長六年(1601)徳川家康により寄進された三重塔。
奈良の室町初期のものを移築。
独特の画風の「大津絵」
訪れた日は開山「智証大師」の生誕1200年慶讃大法会が執り行われており
御廟の特別拝観などをさせて頂けました。
三井寺下の琵琶湖疎水。ここからトンネルを経て京都へ。
琵琶湖疏水は、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称。
素晴らしい紅葉と共に室町、鎌倉時代の多くの仏像の荘厳さ、お顔の凛々しさ、怖さ、優しさに
癒された三井寺の参詣でした。
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