先に前田家の庭園、兼六園を訪れてから金沢城址を訪れました。
実は兄が金沢大学に通っていまして、私が高校生の頃、妹と共に金沢を案内してもらいました。
その頃、「お城のキャンパス」と言われ、世界でも珍しい、お城の中にある大学でした。
平成元年から7年までに大学は現在地の角間へ移転。
兄は下宿から兼六園を通って石川門をくぐって大学へ。
私の学校は新設校で木々も植樹したばかりでしたが、金沢大学はうっそうとした木々に囲まれ、
石垣が彼方此方にあって、こんなところで学べ、生活できることを本当にうらやましく感じた
記憶があります。
数十年ぶりに訪れた金沢城址は石川県の管轄になり新しく復元が始まっており、有名な
石川門も修復の最中でテントが被さっており、櫓も新品同様。
三の丸へ入りますとまず目に入りますのが新設、河北門。
校舎が木に囲まれていたのがまるで広大な映画セットを観るようでした。
三の丸の鉄砲狭間
平成13年に作られた二の丸菱櫓、五十間長屋、橋爪門櫓。
こちらが元々二の丸への表門。
賤ヶ岳の戦いの後、秀吉の命で前田利家が入城したのが天正11年(1583)、
慶長6年(1601)には3代利常に家康の孫、珠姫がお輿入れ。
翌慶長7年(1602)には天主が落雷により消失。
その後明治14年に二の丸が火災により全焼するなど、何度も火災にあい、現在残っているのは
国重文の石川門、本丸下の三十間長屋(倉庫として作られた建物)、鶴丸倉庫(武具の保管庫)
のみです。
消失後、天主(本丸)が再建されることはありませんでした。
旧来、金沢城といえば石川門が代表して記載されています。
二の丸から本丸へ空堀をわたる極楽橋。
本丸の手前に国重文、三十間長屋。
三十間長屋のすぐ前に鉄門(くろがねもん)跡。
頑丈な鉄門があつたらしい。
本丸跡は今では森に。
本丸の石垣
国重文 鶴丸庫(武具庫)
明治4年より陸軍省の所管になり、堀が埋められたりしてしまいました。
ここで学生生活を送った多くの金沢大学生や金沢市民の方はこの景色を如何に感じるのでしょう。
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