金沢城 金沢を訪ねて その2  平成24年9月 | Chajinの 徒然フォトブログ

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         


先に前田家の庭園、兼六園を訪れてから金沢城址を訪れました。



Chajinの 徒然フォトブログ


実は兄が金沢大学に通っていまして、私が高校生の頃、妹と共に金沢を案内してもらいました。

その頃、「お城のキャンパス」と言われ、世界でも珍しい、お城の中にある大学でした。

平成元年から7年までに大学は現在地の角間へ移転。


兄は下宿から兼六園を通って石川門をくぐって大学へ。


私の学校は新設校で木々も植樹したばかりでしたが、金沢大学はうっそうとした木々に囲まれ、

石垣が彼方此方にあって、こんなところで学べ、生活できることを本当にうらやましく感じた

記憶があります。


数十年ぶりに訪れた金沢城址は石川県の管轄になり新しく復元が始まっており、有名な

石川門も修復の最中でテントが被さっており、櫓も新品同様。



Chajinの 徒然フォトブログ



Chajinの 徒然フォトブログ


三の丸へ入りますとまず目に入りますのが新設、河北門。


校舎が木に囲まれていたのがまるで広大な映画セットを観るようでした。


Chajinの 徒然フォトブログ




三の丸の鉄砲狭間




Chajinの 徒然フォトブログ




Chajinの 徒然フォトブログ


平成13年に作られた二の丸菱櫓、五十間長屋、橋爪門櫓。




Chajinの 徒然フォトブログ



Chajinの 徒然フォトブログ




Chajinの 徒然フォトブログ


Chajinの 徒然フォトブログ


こちらが元々二の丸への表門。



Chajinの 徒然フォトブログ


賤ヶ岳の戦いの後、秀吉の命で前田利家が入城したのが天正11年(1583)、

慶長6年(1601)には3代利常に家康の孫、珠姫がお輿入れ。

翌慶長7年(1602)には天主が落雷により消失。


その後明治14年に二の丸が火災により全焼するなど、何度も火災にあい、現在残っているのは

国重文の石川門、本丸下の三十間長屋(倉庫として作られた建物)、鶴丸倉庫(武具の保管庫)

のみです。

消失後、天主(本丸)が再建されることはありませんでした。


旧来、金沢城といえば石川門が代表して記載されています。



二の丸から本丸へ空堀をわたる極楽橋。


Chajinの 徒然フォトブログ


本丸の手前に国重文、三十間長屋。



Chajinの 徒然フォトブログ



Chajinの 徒然フォトブログ


三十間長屋のすぐ前に鉄門(くろがねもん)跡。

頑丈な鉄門があつたらしい。



Chajinの 徒然フォトブログ


本丸跡は今では森に。


Chajinの 徒然フォトブログ


本丸の石垣


Chajinの 徒然フォトブログ


国重文 鶴丸庫(武具庫)


Chajinの 徒然フォトブログ


明治4年より陸軍省の所管になり、堀が埋められたりしてしまいました。



Chajinの 徒然フォトブログ



ここで学生生活を送った多くの金沢大学生や金沢市民の方はこの景色を如何に感じるのでしょう。




にほんブログ村 写真ブログ 中部風景写真へ
にほんブログ村    クリック頂けるとありがたや。

 

私のお店


お茶、茶道具、健康茶、抹茶アイス・グリーンソフト


 すいぎょく園

  http://www.suigyoku.co.jp

 ヤフー店
  
http://store.shopping.yahoo.co.jp/suigyoku/index.html


 Amazon.co.jp

   http://www.amazon.co.jp/gp/site-directory/ref=topnav_sad