清洲城 濃姫像 信長のもとへ  平成24年7月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         


清洲城



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清洲城、模擬城は平成元年に造られたばかり。

JR東海道線の列車の窓からいつも見ておりまして、いつのまにか

お城が新しく造られ、古来伝わる構造物としての城を訪ね歩いていた

私には興ざめで訪れる気もありませんでした。


ところが今月初旬、模擬城敷地に平成4年に造られたばかりの濃姫像を

昭和11年寄贈の清洲公園の信長像のそばに一緒にしてあげたいとの

要望が多々あり移設、除幕行事が行われ、地元新聞に紹介されたほか、

yahooニュースにまで取り上げられ、敢えて訪れてみました。


現、清洲城は旧清洲城跡の清洲公園の五条川対岸に建てられました。




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信長像は1560年(信長27歳)、今川義元を桶狭間で討った桶狭間の戦いへの

出陣をイメージして造られたもの。

美男で精悍な様相です。


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片や信長15歳(1548年)で嫁いだ濃姫は、桶狭間の戦いに出る

信長を見送るような目線に配置されました。




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新しく造られた清洲城にはそれなりの訪問者があるでしょうが、五条川を

渡ってどれだけの人々が数百メートル離れたお二人の像に会いに

来てもらえるであろうかと少し寂しい気にも陥りました。




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それ以前、1556年(信長23歳)に濃姫の父、斎藤道三敗死、その後、1563年(信長30歳)には

小牧城に移り、1564年(信長31歳)には犬山城を落とし、1567年(信長34歳)

稲葉山を攻め、名前を岐阜に改め居城を移した。




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天主の家紋は織田木瓜



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この地は平地城で度々五条川の氾濫による水害に見舞われており

1609年、家康は名古屋(那古野)への遷府を決定、「清洲越」と

言われる城下町を人も名古屋へ引っ越したものである。


名古屋城の西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため

「清洲櫓」とも呼ばれる(国重文)。



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名古屋城も出来たばかりの子供の頃家族で訪れましたが

エレベーターに乗ってまるでビルディング。

歴史的に貴重な資料は展示されているでしょうが、今だ中まで

訪れる気になれません。



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