清洲城
清洲城、模擬城は平成元年に造られたばかり。
JR東海道線の列車の窓からいつも見ておりまして、いつのまにか
お城が新しく造られ、古来伝わる構造物としての城を訪ね歩いていた
私には興ざめで訪れる気もありませんでした。
ところが今月初旬、模擬城敷地に平成4年に造られたばかりの濃姫像を
昭和11年寄贈の清洲公園の信長像のそばに一緒にしてあげたいとの
要望が多々あり移設、除幕行事が行われ、地元新聞に紹介されたほか、
yahooニュースにまで取り上げられ、敢えて訪れてみました。
現、清洲城は旧清洲城跡の清洲公園の五条川対岸に建てられました。
信長像は1560年(信長27歳)、今川義元を桶狭間で討った桶狭間の戦いへの
出陣をイメージして造られたもの。
美男で精悍な様相です。
片や信長15歳(1548年)で嫁いだ濃姫は、桶狭間の戦いに出る
信長を見送るような目線に配置されました。
新しく造られた清洲城にはそれなりの訪問者があるでしょうが、五条川を
渡ってどれだけの人々が数百メートル離れたお二人の像に会いに
来てもらえるであろうかと少し寂しい気にも陥りました。
それ以前、1556年(信長23歳)に濃姫の父、斎藤道三敗死、その後、1563年(信長30歳)には
小牧城に移り、1564年(信長31歳)には犬山城を落とし、1567年(信長34歳)
稲葉山を攻め、名前を岐阜に改め居城を移した。
天主の家紋は織田木瓜
この地は平地城で度々五条川の氾濫による水害に見舞われており
1609年、家康は名古屋(那古野)への遷府を決定、「清洲越」と
言われる城下町を人も名古屋へ引っ越したものである。
名古屋城の西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため
「清洲櫓」とも呼ばれる(国重文)。
名古屋城も出来たばかりの子供の頃家族で訪れましたが
エレベーターに乗ってまるでビルディング。
歴史的に貴重な資料は展示されているでしょうが、今だ中まで
訪れる気になれません。
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