早大生のポイント映画感想文 -4ページ目

『蘇りの血』は実写版『戦国BASARA』

蘇りの血 [DVD]/中村達也,草刈麻有

¥3,990
Amazon.co.jp

「豊田利晃の監督復帰作!」ってことで観ました。(※補足 豊田監督は色々あってケィムショウにいたので「復帰」という言葉を使いますた)

豊田利晃監督…
この方には個人的にもの凄く思い入れがあります。

忘れもしない高2の夏。ミニシアターといふものに初めて行ったんです。洛南高校のすぐ近くにある京都みなみ会館。そこで出会ったのが豊田監督の『空中庭園』。あまりの衝撃に映画が終わってもそのまま座り続けてもっかい観たのは良い思い出です(たしかあの当時は入れ替え制じゃなかった…はず)。

それ以来、豊田監督のトリーコでDVDを貪るように観ました。『ナイン・ソウルズ』なんて好き過ぎたあまりに、ホビット系俳優・マメ山田の手品をわざわざ見に行ったくらいです。



っで、本作『蘇りの血』も当然期待して観たのですが、
あまりに中二すぎて観てるこっちが恥ずかしくなる!そんな代物でした。

まさかの褒めまっくてからのdis!

本作は小栗判官伝説をベースにした話で、物語の時代設定も中世日本になってます。しかし、忠実に当時の日本を再現すればいいものの、かなり「脚色した世界」にしてしまっているのが実にいただけない。

というのも、この豊田監督が作った世界観ってのが、中学生がノートの端っこに書いているようなレベルのものなんです。金かけて何やってんだよ?恥ずかしい!




ここでちょっと、わかりやすく説明するために例を出します。

『戦国BASARA』ってゲームがありますよね。



「実用性を無視した武具」や「封建社会なのに上下関係を無視した言葉遣い」でオンパレードな歴史ゲームです。ほんと、ご先祖様が見たらご立腹するような内容です。

僕はこおゆう「現実をデフォルメしまくった世界観」が反吐がでるほど嫌いなんですが、まぁアニメ・漫画・ゲームの類ならまだokでしょう。

しかし!
『蘇りの血』は『戦国BASARA』の世界を実写でやってしまっている。

これは痛い!痛すぎる!




『蘇りの血』の痛すぎる事例を書くと、


・大王(渋川清彦)の言葉遣いがえらく現代風

「かんぱーい」とか「なにコレ?」とか中世の時代に言わねぇよ。


登場人物の装備&装飾が酷い

昔の日本なのに、みんなド派手な入れ墨をしています。たぶん、主演の中村達也の本業がミュージシャンでもともとtattooしてる人だから、みんなそれに合わせたんでしょう。

特に酷いのが女性の入れ墨。なぜかみんな顔に彫りもんしてます。マイク・タイソンですか?


・アイテムのネーミングセンスが酷い

「蘇生の湯」
これはギリギリセーフ

「河童の皿を煎じた薬」
「天国産のハチミツ」
「大蛇の泉」

この辺までくるとかなり痛い。

大の大人に「天国産のハチミツを飲めば病が治るぞ!」と真顔で言われても困る。というか、ブッとばしたくなる。いややっぱり、呆れてものも言えなくなる。



いやーとにかく何もかもが観ていて恥ずかしい。





ということで、『蘇りの血』についてでした。

散々disりましたが、「音楽の使い方だけは良い」ってことは確かです。豊田監督は本作で音楽の使い方をマスターされたと思うので、次回は是非ともそれにプラスして、今までみたいに「プロットも良い」映画を撮ってほしいものです。

『バーン・アフター・リーディング』の不謹慎ネタ

バーン・アフター・リーディング [DVD]/ブラッド・ピット,ジョージ・クルーニー,フランシス・マクドーマンド


コーエン兄弟の久しぶりのオリジナル作品(原作なし作品)ってことで観ました。

『burn after reading』という原題ですが、『the burn after reading』じゃないとこがミソですね。名詞ではなく命令形のタイトル、直訳すると「読んだら燃やしちゃえ」。この作品を上手く言い表している実に良いタイトルです。

ちょっとここで軽くストーリーを紹介します。

国家機密(っぽい)CD-Rを手にしたお馬鹿さん、これを元に大金をせしめようとするが、とんでもない(っぽい)事件に巻き込まれるというもの。

『ファーゴ』『ビッグ・リボウスキ』などコーエン兄弟お得意の「すべては些細なことから始まる」展開です。「はじめからCD-Rなんか捨てれば良かったのに」と教訓めいたお話となっております。burn after reading !!!



(こっからが本題!)
(でもって、若干の不謹慎さあり!)





とにかく笑える本作ですが、その根底にあるのが宗教ネタ下ネタ


アル中のマルコビッチがCIAを解雇された時に上司に放ったセリフ 「お前はモルモン教か!」

ブラピがそんなマルコビッチをゆすろうと電話口で放ったセリフ 「もしもし。僕はサマリア人です」

出会い系大好きジョージ・クルーニーがあくせく作った 「女性用全自動式オナニーゆりかご」


もう馬鹿すぎる。げっはげは笑いました。よくもまぁ、こんなネタを超一流の俳優にやらせたなぁと感心してしまいます。さすがはコーエン兄弟!やっぱ天才です。



(こっからネタバレ!)




そんな僕ですが、一瞬笑いが止まりました。ジョージ・クルーニーが誤ってブラピを殺してしまったシーンです。
「いくらなんでも人の死をネタにするのは不謹慎すぎるだろ…」


これまでの、サウスパーク的といいますかシンプソンズ的といいいますか、そんなブラックネタ志向がちょっと度を過ぎてしまったと感じました。そのため、物語終盤の展開にはどことなくのれませんでした。


けど、ラストのCIAのやりとりでこのモヤモヤ感が一気に解消したのも事実。


ラストで一連の事件の関係者がバタバタと死んでいったのが判明しますが、やたらと四文字言葉を使うCIAのお偉いさん(J.Kシモンズ)「あまりの倫理観の無さ」が実に痛快であると共にゾッともします。


平気で「あいつは死んだのか。OK!!!」「あいつは生きてるのか。fuck!!! 金を積んで黙らせておけ」とのたまいやがります。およそCIAのお偉いさんの言葉ではないですね。ただ、ここまで不謹慎だと逆に笑える。


っで、ラスト「人の死すら笑えてくる(巧みに笑わせてくれる)」ことで気付くんです。
「ブラピが死んだときに笑えばよかったんだ…!」


うーん。後悔!




映画にはいろんな楽しみ方もありますが、人の死すら笑っていいなんてスプラッター映画くらいだと思っていました。その意味で、サスペンスでありながらそれに成功した『バーン・アフター・リーディング』は稀有な映画です。

ここまで不謹慎ネタをOKにしてしまうなんて、やっぱりコーエン兄弟恐るべし!

『ガブリエル・デストレとその妹』 奇跡のポージング

$早大生のポイント映画感想文-ちくび
『ガブリエル・デストレとその妹』1954年ころ、描き人知らず(どこぞやの宮廷画家)

右側「指輪をつまんでいる乳首をつつまれている女性」がガブリエル・デストレ、仏王アンリ4世の愛妾です。




アンリ4世についてざっと説明しますと

(1553~1610)
ユグノー(フランスのプロテスタントのこと)とカトリックの宗教戦争「ユグノー戦争」で、はじめユグノー側のリーダーだったけど、後にカトリックに改宗。っでまたユグノーに改宗するも、またまたカトリックに改宗。最終的には「ナント勅令」でユグノーにも信仰の自由を認め、40年続いた戦争に終止符を打ったのであった!(けど、狂信的なカトリックに暗殺されちゃう…)

とまぁ、カトリックになったりプロテスタントになったり、おまけに最後には「んもぉ!どっちでもいいよ!」と信仰の自由を認めた人です。




ガブリエル・デストレはその愛人であり、アンリ4世がめちゃんこ愛した女性です。ちなみに、アンリ4世は嫁とはセックスレスだったのに、彼女との間にはぽこすか子供をこしらえてます。

そんなアンリ4世、嫁さんと別れたくて仕方がない。当時、離婚には教皇の承諾が必要でしたから、ローマまで馬をかっとばして「嫁と離婚させてください!ガブリエルと結婚したいんよ!」と懇願するほどでした。

しかし!教皇に離婚申請している最中、ガブリエル・デストレは死んでしまう…享年28。1599年のことでした。うーん、悲劇です。




こっから本題!
ここまで書くとこの絵の謎が解けます!
$早大生のポイント映画感想文-ちくび

この時(1594年)、ガブリエル・デストレ(向かって右側)は妊娠しています。
(後にルイ13世と骨肉の権力争いを繰り広げるセザールです)

ガブリエル「よっしゃ妊娠や!男児がいないアンリ4世の正妻になれるんじゃね!?」と嬉しかったに違いありません。ようやく結ばれるんですから。事実、後にアンリ4世はそうしようとしました。

しかし!
自分はたかだか愛人…。この喜びを伝えようにも正妻とその派閥貴族の眼が怖い!

しかしのしかし!
この喜びをどうしても伝えたい…。




この喜びを彼女は絵に託し、名もなき画家は見事に応えました。
(ガブリエルの喜びは彼女自身の死によって実現こそしませんでしたが…)

実に寓意に満ちたポージングですが、ちゃんとした意味があります。

「つまむ」という行為は、つまんでいる対象物をフォーカスする!

乳首をつままれているのは「妊娠」を意味します。おっぱい&乳首ってbabyを暗示しますからね。
指輪をつまんでいるのは「結婚」を意味します。エンゲージリングです。

そして、極めつけはこの「無表情」!

あからさまな「喜び」の表現を避け、「喜び」をあくまでポージングだけで表現する。その結果が、「指輪をつまんでいる乳首をつままれた女性」というイメージに結実したわけです。




「如何にリアルを描写するか?」「如何にリアルに描写するか?」が至上命題であった近世以前のアートにおいて、このような奇妙で寓意に満ち溢れた絵画が産まれたなんて奇跡ですよ。

「愛人」というやるせない立場と、彼女の喜びをどうにかして伝えたい画家が産んだ奇跡!

僕は『モナリザ』よりも『最後の審判』よりも、この名もない画家が描いた『ガブリエル・デストレとその妹』の方がよっぽどアートだと思うんです。(僕は美学を専攻しているわけではないので、解釈に一部誤りがあるかもしれませんが、まぁどうでもいいです。)

『テハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる』

テハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる [DVD]/出演者不明

¥3,990
Amazon.co.jp

『息もできない』『カンナさん大成功です!』などなど「最近の韓国映画はスゴイ!」ってことで、レンタルしてみました。

が、しかし!期待外れ!

およそ60分程度の短い映画だったのが救いで、監督のマスターベーションを延々と見せつけられているような感じ。観客を全く意識しない井口昇監督作品みたいな映画だよ!



ストーリーはほんとタイトル通りです。

ちょっと加えて、

「テハンノで(担任の先生相手に)売春をしていて(先生の子を身ごもったために)バラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにい(て先生に復讐す)る」

こうすると、60分の内容そのまんまになります。

っで、「先生VS女子高生」の戦いがメインなんですが、とにかく先生が色々とひどい…。なぜか眉毛がないし、出席簿を持ち歩いているし…。女子高生の武器もひどい…。スカートめくったらアソコからニョキニョキっと鉄砲(?)でてくるし…。

これが笑えたらなんら問題ないんですよ。井口昇『片腕マシンガール』『ロボゲイシャ』みたいにね。
けど、本作はクスリとも笑えないから困る。妙にアートぶっているんですねー…。片腹痛し!




ということで、『テハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる』についてでした。感想すら書きたくないので、今回はこのへんでsee you !!!

『アメリカン・ギャングスター』は出オチ映画

アメリカン・ギャングスター [DVD]/デンゼル・ワシントン,ラッセル・クロウ,キウェテル・イジョフォー

¥3,990
Amazon.co.jp

伝記映画です。ベトナム戦争を利用してヘロインでボロ儲けしたギャング、フランク・ルーカスをデンゼル・ワシントンが、そして彼を追う刑事をラッセッル・クロウが演じています。

そして監督はあの『ブレード・ランナー』のリドリー・スコット

もう期待せざるを得ない布陣ですが、実に冗長で愚にも付かない伝記映画になっています。



【『ミルク』の興味深いセリフからゲイについて考える】って記事でも書きましたが、本作も叙事的すぎます。伝記映画がよく陥るパターンです。

史実を淡々と紡いでいくだけで、そこにハラハラする展開や登場人物の心理や映画全体のメッセージは実に感じ取りにくい。ただの「あったことの紹介」に成り果ててしまっています。

しかも本作は157分もあり、実に退屈です。はっきり言ってWikipediaの「フランク・ルーカス」の記事の方が映画よりも面白いし、分かりやすい。(詳しくはコチラ

では、「157分もなにをやっているのか?」ですが、ギャングの豪華な生活やラッセル・クロウの離婚裁判をたっらたら映し続けているだけ。特に裁判のくだりは至極退屈な上に、それが物語に果たして必要なのかどうかも疑問です。はっきり言って無駄だよ!



そんな『アメリカン・ギャングスター』ですが、映画史に残るような名シーンが1つだけあります。

冒頭の冒頭、いちばんはじめのシーン。

$早大生のポイント映画感想文-アメリカン・ギャングスター(←イメージ図)

葉巻をふかしているデンゼル・ワシントン。目の前には椅子に縛られた男。デンゼルは男にガソリンを浴びせかけ、ジッポを投げつける。ボッワー!!男は炎に包まれる!そして、炎の中で阿鼻叫喚する男に数発銃弾をブチ込む!バン!バン!バン!

もういきなり鳥肌です。けど、これ以上のシーンが残り156分間なし…。「これぞ出オチ!」って感じです。



というわけで『アメリカン・ギャングスター』についてでした。

ネットの感想をみると「ギャングスター」を「gang star」と勘違いしている人が結構いるみたいです。正しくは「gangster」「ギャングの人」なので、別にギャング界のスターを描いた映画じゃないよ!

日本語ラップと上田敏

前回のネット詩人にて、晴れてポエットの仲間入りを果たしたました。佐々木くずひろです。

今回は格調高きポエムと日本語ラップの素敵な出会いについてっす。



(↑ライムスター『グレートアマチュアリズム』とモーニング娘。『恋愛レボリューション21』のマッシュアップというものすごい組み合わせの曲です)

2:38くらいのDJ JINさんのヴァースは、上田敏(1874~1916)の訳したロバート・ブラウニング(1812~1889)『春の朝(あした)』をほぼそのまんま引用しています。


ちょっとここで、該当箇所だけを引用してみます。ミュージシャンの歌詞をネットに書くのはJASRAC的にはNGですが、僕の解釈も書きますし、あくまで「引用」という体なのでたぶん問題ないでしょう。

【引用元】
上田敏全訳詩集 (岩波文庫 緑 34-1)/上田 敏


ザ・グレート・アマチュアリズム/Rhymester





『春の朝』

揚雲雀(あげひばり)なのりいで
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ
神、そらに知ろしめす
すべて世は事も無し


『グレートアマチュアリズム』

揚雲雀、風に舞い
蝸牛、枝に這い
神はそらに知ろしめし
世はすべて事も無し



比較すれば一目瞭然ですが、JINさんは明らかにブラウニング(というか上田敏)を引用していますね。ただ、ラップですから押韻するために敢えて元のポエムに手を加えています。

風に舞い
枝に這い
(文末3音iai)

知ろしめし
事もなし
(5音に統一)


これらが、それに該当しますね。



「ライムスターが上田敏を引用したのはわかった。っで、だから何なの?」ってことですが、僕はこういう現代の大衆文化(ここではヒップホップ)が古典を引用するのがすっごい好きなんです。

どことなく難しく思われがちな古典っていうものを、フロウにのっけてさらりと吐き出すあたりにものすごくカッコ良さを感じます。

ラッパーなんて、だっぼだぼの服に首からはじゃらじゃらのシルアク、それにつばがピーンと張った帽子なんかかぶって「yo!yo!」なんて言ってる連中ですよ。彼らは圧倒的な俗物、圧倒的マイノリティじゃないですか。

そんな人間がさらりと古典を引用する。俗の塊から放たれる歴史に裏打ちされた文化は、実に金ぴか。難しく云えば、アウフヘーベン萌え。わかりやすく云えば、ギャップ萌えです。



そもそも、日本語ラップってのは短歌みたいなものですからね。押韻、掛詞、枕詞、好きな言葉を自由に使うのではなく、一定のルールを自らに課してポエムをつづるので。

こんなにも敷居の低い正統派日本文化はなし!



ネット詩人

僕はよく人のブログを読みます。

友人の、映画のブログがわりかし多いですが、いちばん読んでいるのはポエムブログです。自作のポエムを載せている人って結構多いんですねー。

僕が地味に使っている「アメーバなう」に以前こんな投稿をしました。

ネットは素人の言葉で溢れ返っている。アウトプットしやすい環境は素晴らしいが、本当にどうしようもなく香ばしい言葉も溢れてる。特に好き(?)なのは素人のポエム。夜な夜な読みながら「ぷぷぷー」ってなるのが日課。ネットポエットはどんな思いであんな言葉を垂れ流しているのだろう?気になる。

…140字ジャスト!すっごい性格悪いつぶやきです(笑)




ここで、僕のポエム論を書きたいと思います。

ポエムってのは「如何に誰も見たことのないような表現・言葉の組み合わせをつくるか?」のかが重要です。それができたものが優れたポエムって云われるんでしょう。芸術なんですから、「新しいものをつくる」ってのは大前提です。

好例としてプロ中のプロの作品を引用してみます。

中原中也『汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる』

実に平易な単語だけで構成されていますが、「悲しみ」を「汚れちまった」と形容するところに天才性を感じます。しかも、そんな悲しみに小雪が今日も降りかかると…。昨日も降りかかったんでしょうねー。ここで云う「悲しみ」ってのは発作的なものでなく、慢性的な悲しみなのがわかります。

うーん。たった2センテンスで、あと400文字は解釈を書けそうです。




っでネットに溢れる素人ポエムってのは、不思議とどれも似ているんです。

主な共通点としては

①一人称が、男なら「私」、女なら「ぼく」
②テーマは大体、生と死、もしくは恋愛
③行間をあけたがる
④倒置法を使いたがる
⑤やたらと寛容「~でもいいんだよ」的な
⑥空、雲、月、太陽、雨、緑、花、風、光、とにかくネイチャーな単語が多い
⑦すぐ誰かに語りかける。「あなた」「きみ」の多用
⑧簡単な単語でも、あえて平仮名で書く。漢字を使わない

特に「③行間をあけたがる」はよくみられます。

まったくどれも似たりよったりです。それをネットで公開しちゃうってことは共感を求めているんでしょう。だったら散文で書けばいいのに。韻文で書く必要は全くないと思います。なぜなら、多くのネット上のポエムは、わざわざ韻文にしなくても散文で言い直せる内容、もしくは支離滅裂のどちらかが多いからです。




ちょっと僕もポエムを書きたくなったんで書いてみます。

「しあわせ」


私のしあわせは、どこ?


あの雲の切れ目


あの月の裏側


いつまでたっても見つからない


けど、いま見つかったんだ


それはあなたのポッケの中


やーあっと見つかった


何が?


しあわせが。





30秒で書きました。恥ずかしくて死にそうです(笑)

映画館のススメ① 『2001年宇宙の旅』の「なんかすごい感」

映画を観るってのは、

①映画館で
②自宅で(DVDで)

この2つがあります。

同じ作品を観るのでも、映画館とDVDでは全く違う印象を受けるものです。そして、大体はDVDで観るより映画館で観た方が「良い」体験ができるってのが僕の持論です。

僕が足繁く通う池袋の名画座「新文芸坐」のキャッチコピー「感動はスクリーンから」とはよくいったものです。



では、なにが違うのか?

いちばんの違いは、画面と音響の違いです。よっぽどのことがない限り、映画館の方が画面・音響ともに自宅よりは数段勝っています。でっかいスクリーンに高性能スピーカーってのは作品のポテンシャルを最大限に引き出します。

さらに違いを言うとすれば、集中力が持続する点です。こちとら高い金払ってみてるわけですからね。集中力を代償にいやがおうにも最後まで観てやります。

しかし、これがDVD鑑賞だと、カウンターを見ながら「あと30分か~」なんて思ったり、一時停止して次の日観るなんてことしちゃいます。

っで、僕がこれらをいちばん感じたのが『2001年宇宙の旅』って映画です。




僕は高校生の時にDVDで一度観たんですが、極めて退屈、そして全く意味が分からない。「こんなにつまんない映画が世にあるとは!」と嘆いたほどです。

しかし、近所の名画座・早稲田松竹で観たときは、スクリーン一杯に広がる大迫力な映像と爆音で奏でられるクラシックの調べに「確かにつまんない…けどなんかすごい!」となったものです。

1968年の映画ですから、もともと劇場鑑賞が前提で作られているし、DVDだと魅力が半減してしまうのもわからなくはないです。



映画を小難しく考えながら観るのも面白いですが、この「なんかすごい!」を感じるのもまた一興!

それに適した環境が映画館という「恵まれた設備の中、一対一で映画と向き合える場所」です。意味が分からない映画に出会ったら、劇場でもっかいその作品を享受してみるのが吉!

ただ、そんな都合よくリバイバル上映なんてやってないけどね…。

『インセプション』と「映画を種明かす」とは?

間違いなくコレ、歴史に残ります。

すべての「自称☆ミニシアター派(わらい)」をひれ伏させる作家性とエンタメ性が融合した大傑作。21世紀版『ブレード・ランナー』です。

あそこまで複雑で魅力的な世界観を、「原作」に依拠せずに、10年かけて練り上げたクリスファー・ノーラン監督は天才としか言いようがないでしょう。

役者陣の演技もほんとピカイチで、特に渡辺謙は主演のディカプリオに匹敵する存在感でした。もう、渡辺謙じゃなくて、謙渡辺です。謙渡辺は日本をfar awaiして、もうハリウッドの大俳優になってしまわれました。



っで、『インセプション』を僕の無い頭で必死に書こうと思ったんですが、一回観ただけじゃ無理です。しかも、原作がないからさらに掘り下げるのが難しい。

いままで、本ブログでは色んな映画の種明かしを試みてきました。
(詳しくはブログテーマ『種明かし』をご参照!)

僕が一つの映画を紐解くプロセスは

①その映画を観る
②難解なところをDVDで繰り返し観る
③映画の周辺知識を漁る(原作を読んだり、戦争映画ならどんな戦争だったかを調べる)
④製作者(主に監督)がどんな人か調べる

って感じでして、大体②で止まります。そして、②がいちばん重要です。

しかし!『インセプション』の場合は肝心の②ができない!だってDVD出てないんだもん!しかも③も難しい!だって原作ないんだもん!



ということで、色んな人の感想をネットで見つつ哲学の本でも一冊買った上で、もっかい『インセプション』を観に行きたいと思います。んで、種明かしてやる!

とりあえず今のところの見解としては…

(以下、ネタバレ!)










【夢落ち】だと思っています。そもそも、ディカプリオの嫁と子供は、彼が創り出した存在であって現実には存在してません。

根拠は、子供が庭で遊んでるイメージ(2人が背を向けしゃがんでいるイメージ)が統一されていること。夢の中で散々使いまわされるイメージが、ラストの現実(と思われる)シーンでも使われています。コレ、どうも「臭い」。あれは現実ではなく夢でしょう。


うーん、浅い…。

『トイ・ストーリー3』は優等生すぎる映画

※俄然ネタバレありです。

淡々と『トイ・ストーリー3』を批判していきたいと思います。あらかじめ言っておくと、僕はこの映画、結構好きです。けど、ただマンセーするだけじゃつまんないんでdisってみますー。



本作ほど予定調和って言葉が似合う映画はないです。

「きっちりと」伏線を回収していきながら展開していくストーリーは観ていて安心はしますが、面白味がありません。この展開に馴れてしまうと、「ストーリーを追う」という行為に驚きもなにも感じられない

具体例を出します。

幼稚園を脱出したウッディ一行は、ゴミ処理場に到着します。その途中で、宇宙人3人組とはぐれてしまう。残されたウッディたちはあれよあれよと溶鉱炉へ。皆、死を覚悟したその時、はぐれていた宇宙人3人組が彼らを救出する!

はぐれた時点で、宇宙人がアンディたちを助けるのが眼に見えています。だから、驚きがない。

このシークエンスをはじめ、本作は「それぞれのキャラクターが余すことなくバリューを発揮する」という不文律の上に成り立っています。

幼稚園脱出作戦で、それぞれのおもちゃがその特性を生かすところなんて、その良い例でしょう。

これをラストに当てはめると、ウッディたちの持ち主・アンディが最後に行くところは、途中で出番が少なくなっていた「おもちゃ大好きっ子」ボニーの家ってのが丸わかりです。ほんとに驚きがない! オチなのにオチていない!



僕はピクサー作品というか全アニメ映画中『モンスターズ・インク』がいちばん好きなんですが、この作品は、見事にラストですとんとオチます。

「子供たちの泣き声をエネルギーにするのをやめて、笑い声をエネルギーにする」ってラストは実に教育的かつ童話的ですし、「その発想は無かった!」と感嘆してしまいます。

しかし、『トイ・ストーリー3』には最後の感嘆がない。この点で、同じピクサー作品でも『モンスターズ・インク』の方が一枚上手でしょう。



しかし、そんな本作ですが観ていて面白いってのは事実。

ストーリー的な面白さ(驚き)は無いにしても、ハイセンスな小ネタの連続には思わず笑ってしまいます。これが面白い(バズがスペイン語しゃべったり、トトロがいたり)。

逆にこれすら無かったら全くつまらなかっただろうし、小ネタにだいぶ助けられている映画だと思います。もっと言ってしまえば、それ以外の見どころがない。小ネタを観に行く映画です。




というわけで、『トイ・ストーリ―3』は超面白いんだけど、なんか違う映画でした。

優等生すぎる、真面目すぎるんですねー…。「観客を全く裏切ってくれない」とでもいいましょうか。

僕としてはもっとぶっ壊れた映画が観たいので、そこんとこちょっと残念です。ただ、デートムービーとしては他の追随を許さないほどの出来だと思いますー。なんせ、当たり障りがなさすぎるからね!