映像の数え方。
映画は、1本、2本。DVDは、1枚、2枚。ビデオは、1巻、2巻。テレビは、1回、2回。または、1話、2話。you tube は、、??
映像が物体に乗っかっている時は、物体の数え方に準じ、映像が物体に乗っていない時は、物語の数え方に準じる。で、you tube は、、??
映像が物体に乗っかっている時は、物体の数え方に準じ、映像が物体に乗っていない時は、物語の数え方に準じる。で、you tube は、、??
忙と閑。
結局、仕事というものは、ちょっとチャンとやろうと思ったら、たちまち持ち時間いっぱいまで使い切ることになる。
だから、自分の状態としては、何もない、か、パンパンか、どっちかしか、ない。適量というのは、適当というのと同義、か。。んー、でも、そうじゃないやり方も、あっていいと思うのだが。
だから、自分の状態としては、何もない、か、パンパンか、どっちかしか、ない。適量というのは、適当というのと同義、か。。んー、でも、そうじゃないやり方も、あっていいと思うのだが。
かけ言葉には、意味がある。
頭韻、脚韻、ダジャレ、おやじギャグ、、、かけ言葉は、無意味な、ナンセンスなものではなく、必ず、何かしら、意味が隠されているのではないか?と、ふと、思った。なぜなら、同じ「音」の言葉同士は、必ずなんらかの出生に因果関係があるはずだし、脳の同じところを刺激するはずだから。一見意味のない語呂あわせが、強く人の印象に残るのには、何か、隠された意味の秘密があるはず、だと。。
メディアアート広告元年に、思うこと。
今日のアドイノベーターの記事に、まさに、我が意を得たりと思い、リンクしておきます。
http://adinnovator.typepad.com/ad_innovator/2007/10/media-arts.html
織田さんの解説 からコピペ引用すると、
「現在、ネットの普及が進み、ブランデッドエンターテイメントやブログパーツのように、コンテンツ、メディア、テクノロジーが一体化したものを作らなければならない広告会社にとってみれば、「TVのためのスポットCM」を作るということではなく、「メディア」あるいは消費者が参加するようなもので「プラットフォーム」を作るような時代になっている。」と。
私のシンプルな所見を申しますと、
絵画・版画から→ポスター・チラシ、が。
映画から→CF(広告映画)が。
そして、
メディアアートから→メディアアート的広告が、発生するのは、歴史の必然。
つまり、新しい表現メディアを人類が手に入れて喜んだら、、必ず、広告屋はそこに行って、真っ先に踊らないと。しかも、ステキな踊りを。ユーザーが使っているメディアを、広告屋が使えなきゃダメだし。最新技術が、ごくごく普通のユーザーも、刻々と進化・変貌させているんだから、広告屋だって、追いついて進化・変貌していかなきゃダメでしょう、、と。しかも、勿論、当然、面白く、ですね。