約3年ぶりの一時帰国で
実家のある鳥取県に帰っています
今回の里帰りの大きな目的のひとつが、
おばあちゃんとの最後の時間を
一緒に過ごすこと
今年95才になったおばあちゃんは
認知症が進んで
今は実家で寝たきりなんですが
今回おばあちゃんと両親と
一緒に過ごしていて、
つい二日前に気が付いた
大切なことをひとつ
シェアしようと思います
それは
知っておくことで
残された日々が輝き出す
コミュニケーションの本質について
人生の終焉は勿論、
ひとそれぞれだと思いますし
いろんな考え方もあるでしょうが
今日は私個人の、
本当に個人的な考えだと思って、
わたし自身はどうだろう?
と考えながら
読んでいただけたらと思います♡
散歩で出会ったコスモス
「自信がない」で立ち止まる自分を
「行動できる」自分に変えていく
夫婦間コミュニケーションコーチの
木村グロースようこです。
まず最初に、
この気づきの元になった
エピソードについてお話ししますね。
今週の水曜日、二週間に一回の
自宅入浴サービスがありました。
専門会社のスタッフさんが3人チームで、
風呂釜とお湯を自宅に持ってきて、
自宅でおばあちゃんを
お風呂に入れてくれるんですね。
さすが鳥取で、
毎回いろんなところの温泉のお湯を
ポリタンクで持ってきて、
お風呂のお湯に混ぜてくれるんですね。
いらっしゃってから
作業を終えて帰られるまで、
ものの40分くらいだったんですが、
こんなに心が震えたのはいつぶりだろう、
というくらい感動したんです。
半分に割った形の風呂釜を
部屋の中で組み立てて、
そこにお風呂のお湯を張って、
丁寧かつ手際よく
身体も髪も洗ってくださいました。
耳に水が入らないようにとか、
尊厳を持った一個人として、
ちゃんと白いタオルで
身体全体が隠れるようにして
洗ってくれるとか、
感動ポイントは沢山あったんですが、
やっぱり嬉しかったのは、
お風呂から上がった後の
おばあちゃんの変化でした。
それは、お風呂に入った後、
それまで話しかけてもほぼ
反応がなかったお婆ちゃんが、
声を掛けたら答えてくれるように
なったんですね。
お風呂気持ち良かったね、とか、
髪もサラサラだね、とか、
おやすみなさい、とか声をかけると、
「はい」って

そしてさらに心が動いたのが、
そういう反応をしているお婆ちゃんを見て、
父と母がほんとうに喜んでいたことなんですね。
「あぁ~また返事が出てきたね~!」
ってね。
これについて、
一緒に鳥取に帰ってきている夫とも、
話をしました。
私たちは普段はベルリンに住んでいて、
今回はほぼ3年ぶりに
おばあちゃんと両親に会ったんですが、
両親は毎日、おばあちゃんの
お世話をしているわけです。
一人でもごはんを食べられていたところから、
徐々に視力が落ちて来たり、
箸が使えなくなったり、
飲み込むのが難しくなったり、
そういう老いのプロセスを、
直接見ているわけですね。
寝たきりになってからも、
体重が減ってきたり、
目の動きがほぼなくなって来たり、
反応が薄くなって来たり。
これはまさに「長いお別れ」です。
このお別れは、
これまで普通だったこと、
できていたことができなくなることを、
ひとつひとつ認めていくこと。
あぁそうなんだなと
納得していくプロセスです。
そのプロセスの中に、
話しかけても反応がなくなった、
というのが入っていたんですが、
今回お風呂に入れてもらって
脳が少し覚醒したせいか、
また反応が戻ってきた。
それが、「はい」の一言だけでも、
手放していかなければいけない、
見送る側の期待を、
あぁまだもう少し持っててもいいのかな、
と思わせてもらった、というのかな。
やっぱり、いくら順番だからと
自分たちに言い聞かせていても、
お別れは辛いわけです。
特に自分の両親、
私の父にとっては母親なわけで、
もし本人が苦しくないのなら、
できるだけ長くそばにいて欲しい。
こんな風に返事してくれるのは、
今日だけかもしれないなとは思いつつも、
返事をしてくれること、
反応をしてくれること、
なによりも、
コミュニケーションが取れているという実感は、
本当に宝もののような瞬間だと感じています。
残された日々が輝き出す、
コミュニケーションの本質。
それは、
コミュニケーションが取れている
という実感に喜ぶ自分の気持ちを、
そのまま認めることかなと思います。
多分、聴覚は最後まで残っている。
だから反応がなくても
聞こえてはいると思うけど
これまでのコミュニケーションスタイルとは
大幅に変化したわけですよね。
受け入れないといけないと
自分に言い聞かせつつも、
反応が返ってきた幸運を、
ありがたく喜ぶ。
喜ぶ自分を認めたいなと思ったんですね。
うまく伝わっているかどうか
わからないんですが、
伝わっていたらいいな。
鳥取に帰って一週間。
これまで以上に、
人生勉強をさせていただいています。