木村グロースようこです。
私の場合は、
父方のおじいちゃんと、
最初の流産で見送った双子です。
おじいちゃんの誕生日が、
8月26日なんですよね。
もう何年も前に、
大往生の老衰で亡くなったんですが、
その時はまだコロナ前で、
父から連絡を受けてすぐ
日本に帰ることができたので、
本当に幸運なことに、
おじいちゃんの最後の2週間を
家で一緒に過ごすことができました。
今でも、誕生日カレンダーに
おじいちゃんの誕生日が書いてあって、
8月は、よく思い出します。
大好きなおじいちゃん。
そして、最初の流産をしたのも、
8月でした。
本当に初期だったんですが、
診断でふたつお豆が見えていて、
担当の医師には「双子じゃないか」
と言われていたこともあって、
私は双子だったと思っています。
なぜこの話をするかというと、
相手がパートナーでも、
そして大切な友人でも、
関係を育てていく中で、
「相手のことを分かろうとする努力」が、
必要ではないこともあるなぁと
お伝えしたかったからです。
自分自身に対しても、
相手に対しても、
もっと心に余裕を持って
生きるヒントになったら嬉しいです。
私たちは、えてして
「相手の立場になって考えなさい」
って言われて育ちますよね。
英語でも、
Put yourself in someone else's shoes.
という表現もあるように、
相手に対する共感の姿勢を持つことは、大切。
それ自体には、疑う余地はありません。
ただ、ここでふたつ、
思うことがあります。
〇「相手の立場に立って考えよう」とする時に、
相手の気持ちを理解できなければいけない、
というプレッシャーを自分が勝手に
背負ってしまうと辛い
ということ。
そして逆に、
〇同じような経験をしたから、
自分には相手の気持ちが分かる、
と考えてしまうことは気を付けたい
というのも、究極的に言えば、
その人が経験した感情というのは、
その人にしか分からないからです。
一番分かりやすい例でいくと、
私たち夫婦にとって多分
一番大きな「立場の違い」は、
夫には子供がいて、
私にはいないこと。
そうすると、
彼には「子供がいない」という喪失感は、
努力して理解しようとしても、
まぁ無理なわけです。
一方で私にも分からないことがあります。
それは、娘が離れて暮らしていることで、
娘の成長を毎日傍で見ることができない、
という夫が感じている喪失感です。
だからね、
彼が悲しんでいる時に私ができるのは、
彼の悲しさを理解しようと
努力することじゃなくって、
悲しんでいる彼の存在を
まるっと受け入れること
だと思うんですね。
逆に、私が子供がいないことで悲しい時も、
彼に同じように悲しんでもらいたい
という期待はナンセンスで、
悲しんでいる私、とうい存在を、
まるっと受け入れてもらえれば
もうそれでよしとする。
多分、理解できないことに対して、
人間は拒否反応を示しがちだと思うんです。
だからこそ、
パートナーシップ、
そして大切な友人関係では、
理解できないことも含めて、
そうなんだね、って寄り添うだけ。
だけ、って言ったんですが、
それさえできれば、
なんだか怖いものなしな気もしませんか?
全て分かり合えないと関係が築けない、
なんてことはなくて、
自分と相手との違いに向き合って、
その違いと、自分の中で折り合いをつけて、
そこを土台にして育てていく関係性は、
ゆるぎのないものになる、と、
夫の関係を振り返って、思います。
もちろん、
相手に分かってもらいたいと願い、
言葉を尽くして伝えよう
とすることも、大事です。
それも価値があること。
そこは努力して、
相手に分かってもらえたと感じたら、
それでラッキー♡
つらつらと語ってしまいましたが、
お伝えしたかったのは、
分かり合おうとする気持ちは大切。
でも、無理して理解しようとする努力が
必要じゃない時もあるし、
そういうときは
心から寄り添うことだけで十分だよ、
ということです。
さて冒頭の質問に戻りますが、
あなたが、8月に、
思い出す人は誰ですか?
思い出したい人は、誰ですか?
もし良かったらぜひメッセージで
教えていただけたら嬉しいです♡