(劇評・1/5更新)「死を思い、生を全うする」大場さやか | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

この文章は、2021年12月11日(土)19:00開演の演劇ムーブメントえみてん『異邦人の庭』についての劇評です。

 息を潜めて二人を見つめている。静まりかえった会場に満ちる緊張の中、彼らが動く瞬間を待っている。短くはない沈黙の時間。二人の些細な動作や表情の変化から、この芝居が何を語りかけているのかを、読み取ろうとしている。発せられる言葉を聞き逃さないように、耳をそばだてている。

 演劇ムーブメントえみてんによる『異邦人の庭』(作:刈馬カオス・演出:天神祐耶)は、のとえみと天神祐耶の二人による会話劇だ。会場に入ると、3段の客席が左右に分かれて設置されていて、その間の床面が舞台となっている。中央に白い四角の机と、2脚のパイプ椅子が置かれている。机の真ん中には、アクリル板が立てられている。男性が登場し、観劇の注意事項を説明する。彼はアクリル板と机の上をアルコール消毒して拭いたことを確認し、去る。
 
 一春(にのまえ・はる:天神祐耶)は火口詞葉(ひぐち・ことは:のとえみ)に会うため、拘置所を訪れた。落ち着かない様子で、春が目の前のアクリル板に触れてみていると、詞葉が現れる。劇作家である春の目的は、詞葉を取材し、彼女に関する脚本を書くこと。詞葉は7人を殺害した死刑囚であった。しかし、彼女は警察からの逃走時に事故に遭い、数カ月の記憶を失っている。自分が殺人を犯したことも覚えていないのだ。詞葉は取材を受ける条件として、「結婚してください」と春に告げる。その理由は「執行日選択権」だ。法改正により、死刑確定から5年以内に父母か配偶者の同意があれば、自分が死刑に処される日を選べるようになっていたのだ。「私を殺してください」と詞葉は言う。春は全ての取材が終わったあとに同意することを条件に。詞葉は脚本の上演は自分が死んでからとすることを条件に。二人は形式上の婚姻関係を結ぶことになる。それから春は拘置所を訪れ、詞葉と会話を重ねていく。自分が殺人を犯した記憶はない、しかし多くの証拠から詞葉が犯人であることは明らかだ。詞葉が殺した7人は自ら死を望んでいたという。それでは、7人に死を与えた詞葉は、彼らにとって救いであったのか。

 死を巡る二人の会話に引きつけられているうちに、物語は幕を閉じた。ラストで詞葉は選択を迫られる。詞葉は春に2枚の書類を送っていた。執行日選択権の同意書と、離婚届。春はその両方にサインをして持ってきたのだ。詞葉はどちらを取るのか。明確な答えは示されない。同意書を選べば、彼女は自らの意志で死刑に処される。離婚届ならば、いつ訪れるともわからない処刑の日を待つことになる。どちらを選んでも死からは逃れられない。

 アクリル板越しに手を合わせてみようと春は言った。だが、詞葉はそれを拒んだ。記憶にない罪を死刑で償うことの矛盾も、残された人には復讐を願う気持ちがあることも、苦しみから逃れたい心情も、同時に存在する死への恐怖も、そもそも死刑制度の是非も、死ぬ権利と生きる権利についても。様々な葛藤があることを理解した上で、春は、詞葉に少しでも長く生きてほしかったのではないか。手を合わせたくなるような情を持ってしまっていたのではないか。詞葉は手を合わせることで、情が深まることを恐れたのではないか。決めた心が揺らぐから。二人の静かな、しかし沈黙にも耐えるだけの存在感を持った演技が、想像力をかき立てた。そのような心の動きを観客に起こすことが、演者の目的の一つであっただろう。この簡単には答えの出ない問題を、複雑なまま受け取って、考えてみてほしいと。だから詞葉の最後の選択は、暗示はされても明示はされなかった。

 終演後、もう少し二人を観ていたかった気持ちが残った。考えてもらうために余韻を残す、それもまた彼らの狙いであったかもしれない。しかし少々物足りない思いがあった。全体に淡々と進む雰囲気が強かった。多くの問題点を正確に伝えるために、二人は冷静である必要があったのだろう。だが、抑えきれない感情が漏れ出てしまうような瞬間を、ラストシーン付近以外でも観られるとよりよかったと感じる。

 誰にだって突然、死が訪れる可能性はある。死を思うことは同時に、生を思うことである。その生が例え苦しいものであっても、自らの手で終える権利は、今はまだほとんどの人が持てない。いつか死の日を誰もが選べるようになる未来が訪れるのかもしれない。そうなれば、詞葉が犯したような嘱託殺人は減るだろう。自殺が罪ではなくなるとしたら、私もそちらを選んでしまいそうだ。危うい問題を突き付けられて、心が揺さぶられる。

 春は戯曲を書き始めた。彼が詞葉に戯曲を読んでほしいと言うと、彼女は「早くしてくださいね」と返した。詞葉の死亡後でないと戯曲の上演はできない。それでも、春には書くことしかできないのだ。生きている者として、死者を悼みながら、自分のやるべきことを行っていくしかないのだ。そうすることしかできない春の姿に、彼らが直面した問題について、考えることしかできないもどかしさを重ねた。


(以下は更新前の文章です)


 息を潜めて二人を見つめている。静まりかえった会場に満ちる緊張の中、彼らが動く瞬間を待っている。短くはない沈黙の時間。二人の些細な動作や表情の変化から、この芝居が何を語りかけているのかを、読み取ろうとしている。発せられる言葉を聞き逃さないように、耳をそばだてている。

 演劇ムーブメントえみてんによる『異邦人の庭』(作:刈馬カオス・演出:天神祐耶)は、のとえみと天神祐耶の二人による会話劇だ。会場に入ると、3段の客席が左右に分かれて設置されていて、その間の床面が舞台となっている。中央に白い四角の机と、2脚のパイプ椅子が置かれている。机の真ん中には、アクリル板が立てられている。男性が登場し、観劇の注意事項を説明する。彼はアクリル板と机の上をアルコール消毒して拭いたことを確認し、去る。
 
 一春(にのまえ・はる:天神祐耶)は火口詞葉(ひぐち・ことは:のとえみ)に会うため、拘置所を訪れた。落ち着かない様子で、春が目の前のアクリル板に触れてみていると、詞葉が現れる。劇作家である春の目的は、詞葉を取材し、彼女に関する脚本を書くこと。詞葉は7人を殺害した死刑囚であった。しかし、彼女は警察からの逃走時に事故に遭い、数カ月の記憶を失っている。自分が殺人を犯したことも覚えていないのだ。詞葉は取材を受ける条件として、「結婚してください」と春に告げる。その理由は「執行日選択権」だ。法改正により、死刑確定から5年以内に父母か配偶者の同意があれば、自分が死刑に処される日を選べるようになっていたのだ。「私を殺してください」と詞葉は言う。春は全ての取材が終わったあとに同意することを条件に。詞葉は脚本の上演は自分が死んでからとすることを条件に。二人は形式上の婚姻関係を結ぶことになる。それから春は拘置所を訪れ、詞葉と会話を重ねていく。自分が殺人を犯した記憶はない、しかし多くの証拠から詞葉が犯人であることは明らかだ。詞葉が殺した7人は自ら死を望んでいたという。それでは、7人に死を与えた詞葉は、彼らにとって救いであったのか。

 死を巡る二人の会話に引きつけられているうちに、物語は幕を閉じた。ラストで詞葉は選択を迫られる。詞葉は春に2枚の書類を送っていた。執行日選択権の同意書と、離婚届。春はその両方にサインをして持ってきたのだ。詞葉はどちらを取るのか。明確な答えは示されない。同意書を選べば、彼女は自らの意志で死刑に処される。離婚届ならば、いつ訪れるともわからない処刑の日を待つことになる。どちらを選んでも死からは逃れられない。

 アクリル板越しに手を合わせてみようと春は言った。だが、詞葉はそれを拒んだ。記憶にない罪を死刑で償うことの矛盾も、残された人には復讐を願う気持ちがあることも、苦しみから逃れたい心情も、同時に存在する死への恐怖も、そもそも死刑制度の是非も、死ぬ権利と生きる権利についても。様々な葛藤があることを理解した上で、春は、詞葉に少しでも長く生きてほしかったのではないか。手を合わせたくなるような情を持ってしまっていたのではないか。詞葉は手を合わせることで、情が深まることを恐れたのではないか。決めた心が揺らぐから。二人の静かな、しかし沈黙にも耐えるだけの存在感を持った演技が、想像力をかき立てた。そのような心の動きを観客に起こすことが、演者の目的の一つであっただろう。この簡単には答えの出ない問題を、複雑なまま受け取って、考えてみてほしいと。だから詞葉の最後の選択は、暗示はされても明示はされなかった。

 終演後、もう少し二人を観ていたかった気持ちが残った。考えてもらうために余韻を残す、それもまた彼らの狙いであったかもしれない。しかし少々物足りない思いがあった。全体に淡々と進む雰囲気が強かった。多くの問題点を正確に伝えるために、二人は冷静である必要があったのだろう。だが、抑えきれない感情が漏れ出てしまうような瞬間を、ラストシーン付近以外でも観られるとよりよかったと感じる。

 生きていることは当たり前のことではない。誰にだって突然、死が訪れる可能性はある。死を思うことは生を思うことである。その生が苦しいものであっても、自らの手で終える権利は、今はまだほとんどの人が持てない。いつか死の日を誰もが選べるようになる未来が訪れるのかもしれない。しかしそこに至るまでには、もっと多くの議論が必要だろう。

 春は戯曲を書き始めた。詞葉に戯曲を読んでほしいと言うと、彼女は「早くしてくださいね」と返した。詞葉の死亡後でないと戯曲の上演はできない。それでも、春には書くことしかできないのだ。生きている者として、死者を悼みながら、自分のやるべきことを行っていくしかないのだ。死の存在を無視することなく、今ある生を実感して、いつか必ず来る死の日まで生きて行くこと。そうすることしか、できないのだ。