(劇評)「LAVITとは何者なのか?模索と再生の物語」小峯太郎 | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
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#劇評講座2021
この文章は、2021年12月4日(土)19:00開演の LAVIT『404 NOT FOUND』についての劇評です。

 映画「マトリックス」のようなサングラス型デバイスにインパクトがある。舞台背後のスクリーンには、パスワードを入力してサイバー空間にログインする近未来的な映像。このデバイスはVRのディスプレイで、装着したダンサーのLAVIT(ラビ)が見ている仮想現実がスクリーンに映し出される演出に見える。
 だが、この小さなデバイスはLEDで発光する電光掲示板としても機能する。正面、つまり客席に向けて「ERROR」などの文字や心電図の波形などの形象が次々と現れる。そのメッセージの意味は時にあいまいで、移りゆく文脈の中で観客に委ねられる。
 スクリーン上では、5名ほどのダンサーによる群舞の映像が始まる。舞台には上、斜め、横からの射し込む赤、青、黄のサーチライトが明滅する。大音量のトランス系エレクトロニック音楽に合わせてLAVITは一人、仮想現実の映像と同じ振付をタイミング的に完璧にシンクロさせながら踊るのだ。
 スクリーンの映像とメガネ型デバイスの表示との間に挟まれて、ストリートダンスをベースに激しく踊る身体。関係者の証言から、群舞の映像は、LAVIT自身が10年前に振付・出演した過去の作品であるという。過去の自分と現在の自分がシンクロするように、複数のレイヤーが時空を越えて重なり合うマルチメディア化された身体性がとても新鮮に映った。
 まさに10年ほど前から金沢を拠点にマルチな表現活動を続けているLAVIT。トータル40分ほどの今回のソロダンス公演(会場:金沢市民芸術村)では、赤いライトを浴びた戦闘や強迫観念を連想する激しいダンスシーンもあれば、青の舞台照明の中で、ピタッとしたトップにシースルー質感のパンツの衣装でゆったりと妖艶に舞うシーンもある。ダンススタイルの変遷や多様性を表していると同時に、LAVIT自身のジェンダーを含めたアイデンティティの揺らぎや多様性をも想起させる。
 激しい動きとは対照的に、ラストシーンのLAVITは不動で、木村弓「いつも何度でも」をあまり抑揚をつけずに淡々と無伴奏で歌う。歌の最後はこの歌詞で締め括られる:「海の彼方にはもう探さない、輝くものはいつもここに、私の中に見つけられたから」。
 コロナ禍の期間、鬱々とした巣篭もりの中でサイバー空間に耽溺した時間。過去作品の映像の中に自分のスタイル、ダンサーとしてのLAVITのアイデンティティを模索する日々だったのかもしれない。しかし、過去のログは消え去るものであり、答えは見つからない。そもそもLAVITという存在自体、表現者として作られたフィクショナルな存在なのだ。
 スクリーンに404 NOT FOUNDと表示され、デバイスを外すという印象的なシーンがある。仮想現実を出て、再び現実の舞台に立ち、観客を含む他者との交流の中で一緒にLet’s Danceすることが自分のダンスであるという新たな再生の歓びと決意が表れていた。
 ただ、VRで過去や異空間とシンクロしながら踊るシーンが、僕にはタイムリーで一番興味深かったというのは何とも皮肉ではある。

小峯太郎(劇評講座受講生)