(劇評)「無意味という名の実験」小峯太郎 | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

#劇評講座2021
この文章は、2021年11月20日(土)19:00開演のフガフガLaboratory第14回研究発表会『マルチダ』についての劇評です。

 女がピンクのバラを持ってビルから飛び降りる。ピンクのバラの名前は「マチルダ」。花言葉は、上品、愛を持つ、私の気持ち……。女には婚約者がいて、その男は、彼女を死に追いやった者たちを突きとめ、その内部組織へと侵入し、壮大な復讐劇を計画する。
 だが、しかし、もし「マチルダ」の花に意味がなかったとしたら。自死ということはもちろん衝撃的なこととしても、その動機や意味を婚約者が勘違いしているとすれば、復讐劇自体が何やら可笑しい喜劇に見えてくる。
 観客に配布された当日パンフレットに記載されたタイトルらしき言葉。周りにはご丁寧にバラの花模様が散りばめられている。劇が始まる前にぼんやりと目を通してさして気にも留めていなかったその言葉は、劇の内容にのめりこむに連れて、すっかり「マチルダ」になってしまっている。だが、芝居のオチが教えてくれたようにそこに書かれていた言葉は似て非なる「マルチダ」。タイトルはマルチ商法の話でもあり、さらに深く言うと意味の無限の複数性の話でもあると最初から教えてくれていたのだ。
 2009年に結成され、福井県で活動するフガフガLaboratoryによる金沢初公演。金沢市民芸術村ドラマ工房のフラットな空間に、書類保管用の段ボールが壁のようにうず高く積み上がる。壁の前には、同じく段ボールを土台にして、6人の登場人物に合わせて6本の放射線を伸ばす星型の舞台。星の先端は個室で、中心は共有スペース。マルチ商法の勧誘者と勧誘される側の被害者が同居する特異なシェアハウスの空間をうまく表していて面白い。
 作・演出のロビン!は、サルトルの「嘔吐」を引き合いに出しながら、「いろんな状況はただ起こっている出来事であり、意味なんてなくて良いじゃないか」とパンフレットに書いている。意味がないというのは否定的に聞こえるかもしれないが、全部無意味と考えれば自由にやれる、それが今回自分の書いた戯曲であると。
 意味がないことをふてぶてしくここまで大胆に宣言されると観客も楽になれる。陳腐で微笑ましくさえもある催眠術のトリックで人が操られ、踊らされている様にも意味はない。外部の世界に何らかの疫病が起こり、外とのつながりが遮断されるというホラーやミステリーにつきものの密室の状況が作り出されることにも深い意味はない。ないない尽くしで、全ての事象はお芝居という狂言であり、本質的な意味なんてさらさらないのだと嗤い飛ばす。
 ある意味、演劇自体も外部との接触を遮断された劇場という密室で起こる集団催眠と言えるかもしれない。そんな演劇に対するメタ批評を軽やかにやってのける、観客をも巻き込んだ壮大な催眠実験に付き合ったのだと思うとなぜか不思議な爽快感が残った。

小峯太郎(劇評講座受講生)