(劇評・12/4更新)「現代の人間関係自体がマルチ商法的?」原力雄 | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

この文章は、2021年11月20日(土)19:00開演のフガフガLaboratory『マルチダ』についての劇評です。

フガフガLaboratoryの作品『マルチダ』(作・演出:ロビン!)が11月20、21日、金沢市民芸術村ドラマ工房で上演された。人々が突然血を吐いて倒れる原因不明の感染症やマルチ商法、催眠術といったテレビのワイドショー的な時事ネタを巧みに織り交ぜながらも、人間が他者とともに生きていく上で避けて通れない「信じること」と「騙すこと」の本質について考えさせる骨太な悲劇となっていた。

段ボール箱が積み上がった地下倉庫の一角に6人が集まり、談笑している。彼らは共同生活を送りながら、スマホやパソコンの画面を通して誰かと会話し、さまざまな勧誘を行っている。バーや健康食品を売る店舗の運営にも携わっているようだ。最近入った新人のうち、宝屋茉莉子(坂本☆ユキ枝)は離婚したばかりで経済的な自立を目指している。もう一人の堂本美里(坂井紗衣)は親からの仕送りにより、このグループに参加するためのノルマである月額15万円を払っている。他のメンバーらは彼女たちが一人前に育つことを見守り、新人たちも皆が応援してくれるから頑張れるという。ここは理想的なユートピアなのだろうか。

彼らの生活は必ずしもバラ色ではなさそうだ。堂本が親から支送りを断られたと先輩の小宮あきら(伊藤梢)に相談するが、慰めてくれるどころか、厳しく叱責され、バイトでもして稼ぐように忠告される。堂本をグループに招き入れたのは小宮だが、彼女は毎月のノルマがきちんと入金されることを何よりも重視しているようだ。ウィキペディアによれば、「会員が新規会員を誘い、その新規会員がさらに別の会員を勧誘する方法によって組織を拡大させ、かつ一定額以上の商品を継続的に購入しなければならない販売形態」はマルチ商法である。斉藤和文(塚町幸憲)は結婚をにおわせることで女性をまるめ込み、ジョー秋川(福田ユキヒロ)は催眠術師として活動している。

そんな中で、メンバー同士のドロドロした人間関係が浮かび上がってくる。このグループを作り上げた首謀者は「師匠」と呼ばれているが、彼は小宮と付き合っていた。ところが、小宮が勧誘した「マリコ」という女性はよほど魅力的だったらしく、師匠と肉体関係になって小宮から奪ってしまった。小宮はそんなマリコが憎くて仕方なかったのか、彼女に売春まがいの行為をさせて稼がせた。やがて彼女は父親が誰かわからない子を妊娠。絶望のあまり、薔薇の花束を抱えて高い建物から身を投げて死んでしまった。

その話に驚いたのが斉藤だった。マリコに誘われてグループに参加した彼は、自らの得意技が結婚詐欺まがいであるにもかかわらず、自分こそマリコの婚約者だと信じていた。マリコの復讐を遂げるため、斉藤はさまざまな小細工を仕掛けて着々と準備を進めてきたが、最後の仕上げとして小宮と秋川と佐山正平(ちゃ〜り〜)に自分は死んでいるという催眠術をかける。3人は死んだようにぐったりと倒れ込み、身動きもしない。その後、斉藤は何もかもどうでも良くなり、一人だけ催眠術が効かなかった堂本に自分を殺してくれという催眠術をかける。その催眠術はやはり堂本には効果がなかったが、その代わり、横にいた佐山に(二重に)かかってしまう。やがて堂本の助言で斉藤は3人の催眠術を解くが、斉藤を殺すという催眠術がまだ残っていた佐山は、いきなり彼に飛びかかって首を絞める。

そもそもマルチ商法とは、各人のかけがえがない魅力である上機嫌や愛想や信頼性などによって築き上げた人間関係を資本として切り売りし、お金に換える商売だ。メンバーたちがグループに入った動機として、経済的な自立に加え、誰も自分を認めてくれないとか、仲間がほしかったなどと言われると、何だか切なくなる。素直に自分を表現しても効果がなく、相手を騙すことによってしか好意や優しさを引き出せないと本気で思っているのだろうか。そもそも現代の人間関係自体がマルチ商法的にしか成り立たなくなっているのではないか、とつい不安になってしまった。

その上、降って湧いたように謎の伝染病が外部で発生。(斉藤によって)通信網も遮断されたことにより、マルチ商法のメンバーたちは地下空間に閉じ込められ、自転車操業の輪を回せない状態に追い込まれた。このことは、世界中に市場経済が浸透した結果、新たなフロンティアを獲得できず、成長が止まってしまった(さらにコロナ禍によって著しく停滞させられた)現代資本主義のメタファーとなっていた。この狭い地下倉庫は、地球全体の縮図と考えられるのだ。資金源となる新たな会員を勧誘できなくなった登場人物たちは、暇を持て余した挙句、お互いを不審な目で見るようになった。隠されていた事実が日常会話の中でほじくり出され、同類同士がまるで共食いでもするかのように憎み合い、殺し合う結末へと突き進んでいく。行き詰まった資本主義社会の中で、マルチ商法でしか生きて行けないと信じ込まされてしまった人間たちの悲劇という気がしてならなかった。

(以下は更新前の文章です。)

フガフガLaboratoryの作品『マルチダ』(作・演出:ロビン!)が11月20、21日、金沢市民芸術村ドラマ工房で上演された。人々が突然血を吐いて倒れる原因不明の感染症やマルチ商法、催眠術といったテレビのワイドショー的な時事ネタを巧みに織り込みながらも、人間が他者とともに生きていく上で避けて通れない「騙すこと」と「信じること」の本質について考えさせる骨太な悲劇となっていた。

段ボール箱が積み上がった地下倉庫の一角に6人が集まり、談笑している。彼らは共同生活を送りつつ、バーや健康食品を売る店舗の運営に携わっている。最近入った新人のうち、宝屋茉莉子(坂本☆ユキ枝)は離婚したばかりで経済的な自立を目指している。もう一人の堂本美里(坂井紗衣)は親からの仕送りにより、このグループに参加するためのノルマである月額15万円を払っている。他のメンバーらは彼女たちが一人前に育つことを見守り、新人たちも皆が応援してくれるから頑張れるという。ここは理想的なユートピアなのだろうか。

彼らの生活は必ずしもバラ色ではなさそうだ。6人はスマホやパソコンの画面を通して誰かと会話し、さまざまな勧誘を行っている。そのうち3人は、ネット越しに喋っていた相手が次々に血を吐いて倒れてしまった。外部で何が起こっているのだろうか。別々の場所にいる3人がほとんど同時に血を吐いたということは、伝染病のようなものがかなり広範囲に流行しているのではないかと一同はパニックになる。一方では、堂本が親からの支送りを断られたと先輩の小宮あきら(伊藤梢)に相談するが、慰めてくれるどころか、厳しく叱責され、バイトでもして稼ぐように忠告される。堂本をグループに招き入れたのは小宮だが、彼女は毎月のノルマがきちんと入金されることを何よりも重視しているようだ。会員が新規会員を誘い、その新規会員がさらに別の会員を勧誘する方法によって組織を拡大させ、かつ一定額以上の商品を継続的に購入しなければならない販売形態はマルチ商法である。斉藤和文(塚町幸憲)は結婚をにおわせることで女性をまるめ込み、ジョー秋川(福田ユキヒロ)は催眠術師として活動している。

そんな中で、メンバー同士のドロドロした人間関係が浮かび上がってくる。このグループを作り上げた首謀者は「師匠」と呼ばれているが、彼は小宮と付き合っていた。ところが、小宮が勧誘した「マリコ」という女性はよほど魅力的だったらしく、師匠と肉体関係になって小宮から奪ってしまった。小宮はそんなマリコが憎くて仕方なかったのか、彼女に売春まがいの行為をさせて稼がせた。やがて彼女は父親が誰かわからない子を妊娠。絶望のあまり、薔薇の花束を抱えて高い建物から身を投げて死んでしまった。

その話に驚いたのが斉藤だった。マリコに誘われてグループに参加した彼は、自らの得意技が結婚詐欺まがいであるにもかかわらず、自分こそマリコの婚約者だと信じていた。マリコの復讐を遂げるため、斉藤は小宮と秋川と佐山正平(ちゃ〜り〜)に自分は死んでいるという催眠術をかける。3人は死んだようにぐったりと倒れ込み、身動きもしない。その後、斉藤は何もかもどうでも良くなり、一人だけ催眠術が効かなかった堂本に自分を殺してくれという催眠術をかける。その催眠術は相変わらず堂本には効果がなかったが、その代わり、横にいた佐山に(二重に)かかってしまう。やがて堂本の助言で斉藤は3人の催眠術を解くが、斉藤を殺すという催眠術がまだ残っていた佐山は、いきなり彼に飛びかかって首を絞める。

この作品では、屋外で謎の感染症が発生して通信網も遮断されてしまった結果、マルチ商法のメンバーたちは資金源となる新たなメンバーを勧誘することができなくなった。このことは、世界中に市場経済が浸透した結果、新たなフロンティアを獲得できず、成長が止まってしまった現代資本主義のメタファーとなっていた。すなわちこの狭い地下倉庫は地球全体の縮図とも考えられるのだ。自転車操業の輪を回せなくなった登場人物たちは、改めてお互いに不審の目を向けるようになり、知らなくてもよかった事実をほじくり出し、まるで共食いでもするかのように殺し合う。

今回の上演を見て感じたのは、そもそも現代の人間関係自体がマルチ商法的にしか成り立たなくなっているのではないか、という不安だった。マルチ商法とは何よりもまず、本来なら人と人の心を繋いでくれるはずの上機嫌や愛想や信頼性など、かけがえのない長所を切り売りしてわずかなお金に換える商売だ。登場人物たちがマルチ商法のグループに入った動機として、経済的な自立に加え、誰も自分を認めてくれないとか、仲間がほしかったなどと言われると、何だか切なくなる。素直に自分を表現しても効果がなく、相手を騙すことによってしか好意や優しさを引き出せないと信じ込んでしまったのだろうか。彼らの心がそのように捻じ曲げられてしまったことこそが最大の悲劇ではないかと考えさせられた。