(劇評・12/1 更新)「ことの発端がマルチだっただけ」なかむらゆきえ | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

この文章は、2021年11月20日(土)19:00開演のフガフガLaboratory『マルチダ』についての劇評です。



開演前、セットが組まれたステージ上にモニターが一台置かれていて、動画が流れていた。しばらくして耳に飛び込んできた台詞が「お声掛けしましょう!」だった。思わず顔を上げた。マルチ商法の定番トークだ。フガフガ Laboratory『マルチダ』の予告動画だったのだろうか。作品に対する興味のゲージの針がグンと上がった。マルチ商法のお誘いトークを聞くことを一時期趣味にしていた。話を聞いた団体の数は多くはないが、行きやすい(行っても断りやすい)場所には何回も通った。何かを信じた人びとの集う会場の高揚感が面白くて楽しかった。


作中では独立を目指すという誘い文句で集まったマルチ商法の信者がシェアハウスに住んでいる。マルチではあまり聞かないが宗教では同じ家に住む話はよく聞く。マルチ商法と宗教にはまる人たちは信じてのめりこむという部分が似ていると常々思っていたので、私のツボに入った。マルチの手法の再現はとてもよく作られていて、何度も笑いがこみ上げた。私が趣味にしていた頃と大きく違うのは、オンラインを使うところだ。2名の新人が友人と家族にそれぞれ拒絶され、オンラインを切断されていた。人間関係が破綻するのもマルチ商法あるあるだ。


その後、通信をしていた他の3人の通信相手にほぼ同時に異常が起きた。2人は血を流し死んだように見え、残る一人も急に画面から消えた。程なくして、すべての通信そのものが同時に切れた。オンラインの相手の様子から6人は外で何かが起こっていると、なぜか全員思い込んだ。携帯電話は探しても見つからないか、あっても充電が切れていて、外の様子を知る手段がない。陸の孤島。密室状態だ。ここから住人の一人による復讐が始まる。


マルチ商法を茶化したコメディの部分はとてもよく描かれていたし、後半のミステリー部分もそのテンポを崩さず、ラスト近くまで面白く見ることができた。だが残念なことに種明かしがされた後の説得力のなさはそれまでの良さを崩してしまった。ただでさえトリックは催眠術だったという時点でどうやって納得しようかと頭をめぐらせているところに、いきなりオンラインの相手だった3人が声だけで登場し、結託して死んだふりをするという今や熊相手でも通用するかどうかわからない種あかしを上乗せされたのだ。私には消化できなかった。ラストがうまく受け止め切れなかったことで、作品全体の印象が負の状態で残ってしまった。


そもそも6人はなぜシェアハウスに集まったのか。登場人物の設定を整理してみると、宝屋(坂本☆ユキ枝)と堂本(坂井紗衣)については経済的な状況がわかる。特に宝屋の設定は絶妙だった。冒頭の場面で宝屋から公務員かそれに近い職業の雰囲気を感じていたのだが、彼女の勤務形態はパートだった。小宮(伊藤梢)が彼女のことを専業主婦だったのにプライドが高いと評していて、演ずる坂本がそこまで計算して表現していたのだとしたらすごいと思う。15 万円の手取りの給料で一人暮らしをするために実家から仕送りをしてもらっていたという堂本の設定も、リアリティがあってその暮らしの様子が想像できる。小宮はお誘いをするときの表の顔と、仲間をジャッジしたりお金のことになると声を荒げたりする裏の顔があることがはっきり描写されていた。カワニシマリコへの感情も彼氏を取られて恨んでいると周りから思われていた表の顔だけでなく、堂本が見ていた裏の顔があった。小宮ではなく堂本のセリフで語られたことは自然だったが、小宮自身から複雑な

心理状態が表現されていたら、ラストの斉藤と堂本が小宮について語る場面でもっと重みをもたせられたのではないだろうか。


対して、男性のパーソナル情報は薄い。秋川(福田ユキヒロ)は消息の知らない両親と妹がいて妹の名前はマリコであることと、職業が催眠術師であると具体的な設定があるが、これは自殺したカワニシマリコとの関係をミスリードするためだろう。男女の恋愛のもつれに導くために必要じゃないものは端から省いている。しかし斉藤(塚町幸憲)の人となりについてはもっと情報が欲しかった。男性たちのパーソナル情報が少ないのはラストの意外性につなげるためだったとしたら、確かに意外だった。小宮だけでなく秋川や佐山に対しての殺意に気づかなかったからだ。秋川と佐山も殺そうとしたのはカワニシマリコを自殺に追いやった噂に加担でもしていたのだろうか。具体的に殺したくなった理由をもっとはっきり描いてもよかったのではないかと思う。そもそも、マルチ商法とは人間関係を利用して成り立つ商売形態である。そこに惹かれてしまう人の深層心理も一人一人違うだろう。うまく表現できればもっと面白いものが出来たのではないかと思う。




(以下は更新前の文章です)



開演前、セットが組まれたステージ上にモニターが一台置かれていて、動画が流れていた。ちゃんと見るには少し遠かったので手元の携帯を見ていると耳に飛び込んできた台詞が「お声掛けしましょう!」だった。思わず顔を上げた。マルチ商法の定番トークだ。フガフガ Laboratory『マルチダ』の予告動画だったのだろうか。作品に対する興味のゲージの針がグンと上がった。マルチ商法のお誘いトークを聞くことを一時期趣味にしていた。話を聞いた団体の数は多くはないが、行きやすい(行っても断りやすい)場所には何回も通った。何かを信じた人びとの集う会場の高揚感が面白くて楽しかった。


作中では独立を目指すという誘い文句で集まったマルチ商法の信者がシェアハウスに住んでいる。マルチではあまり聞かないが宗教では同じ家に住む話はよく聞く。マルチ商法と
宗教にはまる人たちは信じてのめりこむという部分が似ていると常々思っていたので、私のツボに入った。シェアハウスにはマルチ商法の商品が入った段ボールが堆く積みあがっている。商品で一部屋埋まっている人は実際にいた。シェアハウスには6人住んでいるので6人分だ。壁が箱で埋まるのもわかる。人を誘うために電話で話すときの言葉の選び方やしゃべり方も、独特で既視感がある。人を誘いやすいように直営のお店(この作品ではバー)があるのも、そこまで再現するのかと笑いがこみ上げた。私が趣味にしていた頃と大きく違うのは、オンラインを使うところだ。2名の新人が友人と家族にそれぞれ拒絶され、オンラインを切断されていた。人間関係が破綻するのもマルチ商法あるあるだ。


その後、通信をしていた他の3人の通信相手にほぼ同時に異常が起きた。2人は血を流し死んだように見え、残る一人も急に画面から消えた。程なくして、すべての通信そのものが同時に切れた。オンラインの相手の様子から6人は外で何かが起こっていると、なぜか全員思い込んだ。携帯電話は探しても見つからないか、あっても充電が切れていて、外の様子を知る手段がない。陸の孤島。密室状態だ。ここから住人の一人による復讐が始まる。

マルチ商法を茶化したコメディの部分はとてもよく描かれていたし、後半のミステリー部分もそのテンポを崩さず、ラスト近くまで面白く見ることができた。ただ種明かしがされた後の説得力のなさはそれまでの良さを崩してしまった。あのバーの設定が、伏線の中で一番座りが悪くて違和感が強い回収がされていたことも残念に思った。そもそも6人はなぜシェアハウスに集まったのか。登場人物を整理してみると、男性のパーソナル情報がとても薄い。秋川(福田ユキヒロ)は消息の知らない両親と妹がいて妹の名前はマリコであることと、職業が催眠術師であると具体的な設定があるが、これは死んだカワニシマリコとの関係をミスリードするためだろう。宝屋(坂本☆ユキ枝)の設定は絶妙だった。冒頭の場面で宝屋から公務員かそれに近い職業の雰囲気を感じていたのだが、彼女の勤務形態はパートだった。小宮(伊藤梢)が彼女のことを専業主婦だったのにプライドが高いと評していて、演ずる坂本がそこまで計算して表現していたのだとしたらすごいと思う。15 万

円の手取りの給料で一人暮らしをするために実家から仕送りをしてもらっていたという堂本(坂井紗衣)の設定も、リアリティがあってその暮らしの様子が想像できる。小宮はお誘いをするときの表の顔と、仲間をジャッジしたりお金のことになると声を荒げたりする裏の顔があることがはっきり描写されていた。カワニシマリコへの感情も彼氏を取られて恨んでいると周りから思われていた表の顔だけでなく、堂本が見ていた裏の顔があった。小宮ではなく堂本のセリフで語られたことは自然だったが、小宮自身から複雑な心理状態が表現されていたらラストの種明かしにもっと重みをもたせられたのではないだろうか。


斉藤(塚町幸憲)の人となりについてももっと情報が欲しかった。男性のパーソナル情報が少ないのはラストの意外性につなげるためだったとしたら、確かに意外性はあった。小宮だけでなく秋川や佐山(ちゃ~り~)に対しての殺意に気づかなかったからだ。斎藤だけでなく秋川と佐山も殺したのはなぜだろう。カワニシマリコに関する噂に加担でもしていたのだろうか。具体的に殺したくなった理由をもっとはっきり描いてもよかったのではないかと思う。マルチ商法を扱った作品だと知ってテンションが上がった私としては、最後までマルチ商法を茶化しきって欲しかった。同時に、もっとじっくり人間を描いた作品を見てみたい気もした。