(劇評・11/3更新)「埃っぽい通路にレモンの香を残して」原力雄 | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

この文章は、2020年10月24日(土)19:30開演のProduce Unit 数寄屋道楽『米原ー金沢』についての劇評です。

「かなざわリージョナルシアター2020げきみる」の一環として金沢市民芸術村ドラマ工房で上演されたProduce Unit 数寄屋道楽『米原ー金沢』(作・演出:兵藤友彦)は、特急列車「しらさぎ」号を舞台にさまざまな人間模様を描く作品だった。左右2列ずつのパイプ椅子が並べられ、計7人の乗客が登場する。静かな車内には、音響効果による走行音が絶えず流れている。それに合わせて役者たちも休みなく体を左右に揺れさせる。やがてそれぞれが自分の身の上話をポツリポツリと呟く。今回の作品では、モノローグによって物語を進行させていく手法を採用しており、現代的なリアリティーを感じさせる。全員が座っているので、動きが少ない点では単調だ。しかし、電車の振動という非日常的な身体感覚を巧みに生かすことにより、普段は隠している心の声をさらけ出してもおかしくないような場を作り上げていた。

私もよく電車の旅に出かけるが、席に座ってしまえば、特にやることもない。そんな時に限って、だいぶ昔のどうでもいいような記憶が、心の奥底からいきなりヒュッと浮かび上がって来て、自分でも困ってしまうことがある。何であんなことをしてしまったのかと後悔したり、あれきり会っていない人は今でも元気にしているかと妙に気になったり……。心地良い揺れに身を委ね、規則正しいリズムを聞いていると、家から離れた気安さも手伝って、知らず知らず心の警戒も緩んでしまうのかもしれない。

乗客たちはさまざまな事情を抱えている。幼い頃にいじめられていた介護士(長山裕紀)は、仕事で信頼された自信を胸に久しぶりの福井へと帰って行く。かつて学生運動で挫折した71歳の年金生活者(新保正)は、50年ぶりの同窓会で旧友との再会を楽しみにしている。銀行員である父の都合で自分の気持ちとは無関係に転校を余儀なくされて来た女性(清水万鳳)は、ようやく自らの意志でエステティシャンという仕事と結婚相手を見つけ、今度こそ両親に会って自分らしさを認めてもらいたいと願っている。金沢の税理士(井口時次郎)は、地元に育てられたと感謝しながら、一方ではぬくぬくとした日常を嫌悪しており、ささやかな悪事で心のバランスを保っている。彼と連れ立って女を買いに行くことになった飲み友達(春海圭佑)は、離婚後に自分を慕ってくれていた子供を引き取れずに苦しんだ過去を思い返していた。

未来への希望とやり切れない思い出をないまぜにしたような車内で、一組だけ、現在進行形の問題に直面している男女がいた。米原から乗り込んだ関家(関家史郎)と彼を追って松山から来た吉野(吉野佳子)だ。男が飲みかけのペットボトルを渡すと、吉野は口をつけて茶を飲んだ。そんな二人のただならぬ関係が女の上司である部長の耳にも入っていると聞き、つい声を荒げてしまう関家。周囲の客たちも一斉に振り返る。月に一度、彼が四国へ出張した際には取引先の事務員である吉野のアパートに泊まる間柄だった。それにしても、彼女がなぜ、仕事を休んでここにいるのか。しかも会社の金庫から持ち出した五千万円をカバンに詰めて。思い余った関家は「奥さんと別れて、なんて言わないよね?それだけはやめてほしい」と必死で頭を下げる。だが、吉野は無表情だ。席を立ち、列車のデッキ(舞台前方)へ出て来て一息つく。彼女は何を考えているのだろうか。関屋と結婚したい?それとも、彼との関係を清算したい?矛盾した感情が整理されないまま、上気した頬の後ろで渦巻いているように感じられた。

加賀温泉駅に停車する間、男は彼女のカバンだけ抱えて逃げようとしたが、途中で足が止まり、列車は再び動き出す。追い詰められた鼠のような関家。その時、埃っぽい通路に落ちていたレモンを見つけ、拾い上げた。目を閉じて、甘酸っぱい匂いを嗅いでみる。彼の表情は、吉野の魅力に溺れていたこの6年間を振り返り、後悔するようにも見えた。次の瞬間、しわがれた声で男性ジャズシンガーが歌い出したブルースを合図に、回想シーンが始まる。ホリゾント(背景)を照らす赤い光の中で、乗客たちの姿がシルエット気味に浮かび上がり、各自のトラウマとなっている動作をパントマイムで何度も強迫神経症的に繰り返す。それらは自らの執着によって作り出した地獄の業火に焼かれている者たちのようでもあった。関屋は彼らの様子を呆然と見回すのだが、一方で今日これから自分に降りかかるひどい事態がトラウマとなり、彼自身もフラッシュバックに苦しむ者たちの仲間になるかもしれないと予感しているようにも私には思えた。

現実の車内に戻り、金沢まであと4分、のアナウンスが流れる。彼の妻が金沢駅で美味しいものでも食べようと迎えに来ているというのに、不倫の女は目をつむって関家の肩へとしなだれかかったままだ。ついに金沢、金沢とアナウンスが連呼される。乗客たちは降りて行く……。その先の展開は、見た者一人ひとりの想像力に任されている。関屋が拾い、再び通路に投げ出して行ったレモンだけが、残酷な甘酸っぱさを放っているようだった。

(以下は改稿前の文章です。)

(劇評)「レモン爆弾が炸裂する4分前」原力雄

「かなざわリージョナルシアター2020げきみる」の一環として金沢市民芸術村ドラマ工房で上演されたProduce Unit 数寄屋道楽『米原ー金沢』(作・演出:兵藤友彦)は、特急列車「しらさぎ」号を舞台にさまざまな人間模様を描く作品だった。左右2列ずつのパイプ椅子が並べられ、計7人の乗客が登場する。静かな車内には、音響効果による走行音が絶えず流れている。それに合わせて役者たちも休みなく体を左右に揺れさせる。やがてそれぞれが自分の身の上話をポツリポツリと呟く。今回の作品では、こうした独り言のようなモノローグによって物語を進行させていく手法を採用しており、現代的なリアリティーを感じさせる。もはや列車に乗り合わせただけの他者と何らかの価値ある対話を成立させることは不可能だろうから(大声で喋ると怒られたりもする)。全員が座っているので、動きが少ない点では単調だ。しかし、電車の振動という非日常的な身体感覚を巧みに生かすことにより、普段は隠している心の声をさらけ出してもおかしくないような場を作り上げていた。

私もよく電車の旅に出かけるが、席に座ってしまえば、特にやることもない。そんな時に限って、だいぶ昔のどうでもいいような記憶が、心の奥底からいきなりヒュッと浮かび上がって来て、自分でも困ってしまうことがある。何であんなことをしてしまったのかと後悔したり、あれきり会っていない人は今でも元気にしているかと妙に気になったり…。心地良い揺れに身を委ね、規則正しいリズムを聞いていると、家から離れた気安さも手伝って、自分の心の裏側をつい覗き込んでしまうのかもしれない。

乗客たちはさまざまな事情を抱えている。幼い頃にいじめられていた介護士(長山裕紀)は、仕事で信頼された自信を胸に久しぶりの福井へと帰って行く。かつて学生運動で挫折した71歳の年金生活者(新保正)は、50年ぶりの同窓会で旧友との再会を楽しみにしている。銀行員である父の都合で転校を繰り返してきた女性(清水万鳳)は、ようやく自分の力でエステティシャンという仕事と結婚相手を見つけ、今度こそ両親に会って認めてもらいたいと願っている。金沢の税理士(井口時次郎)は、地元に育てられたと感謝しながら、一方ではぬくぬくとした日常を嫌悪しており、ささやかな悪事で心のバランスを保っている。彼と連れ立って女を買いに行くことになった飲み友達(春海圭佑)は、離婚後に自分を慕ってくれていた子供を引き取れずに苦しんだ過去があった。

未来への希望とやり切れない思い出をないまぜにしたような車内で、一組だけ、今まさにじっとりと手を汗ばませているような男女がいた。米原から乗り込んだ関家(関家史郎)と彼を追って松山から来た吉野(吉野佳子)だ。男が飲みかけのペットボトルを渡すと、吉野は口をつけて茶を飲んだ。そんな二人のただならぬ関係が女の上司である部長の耳にも入っていると聞き、つい声を荒げてしまう関家。周囲の客たちも一斉に振り返る。月に一度、彼が四国へ出張した際には取引先の事務員である吉野のアパートに泊まる間柄だった。それにしても、彼女がなぜ、仕事を休んでここにいるのか。しかも彼女のカバンには会社の金庫から持ち出した五千万円が入っている。思い余った関家は「奥さんと別れてなんて言わないよね?それだけはやめてほしい」と必死で頭を下げる。だが、女は動じる様子がない。一息吐くために席を立ち、列車のデッキ(舞台前方)へ出てきた吉野の上気した頬が美しい。

加賀温泉駅に停車する間、男は彼女のカバンだけ抱えて逃げようとしたが、途中で足が止まり、列車は再び動き出す。追い詰められた鼠のような関家。その時、埃っぽい通路に落ちていたレモンを見つけ、拾い上げる。甘酸っぱい匂いと鮮やかな色彩。6年前に出会った頃の27歳だった吉野が思い出される。当時も今も、彼女は男にとってレモンそのものなのだった。金沢まであと4分、のアナウンスに緊張感は高まる。彼の妻が金沢駅で美味しいものでも食べようと迎えに来ているのに、女は眠ったふりして関家の肩へとしなだれかかったままだ。

梶井基次郎の有名な小説「檸檬」では、書店の棚で乱雑に積み重ねた画本の上に「時限爆弾」と見立てたレモンを置いて立ち去る主人公が出てくる。それは間もなく気付いた店員や他の客たちを驚かせたはずだ。今回の作品でも、作者によって仕掛けられたレモンは、金沢へ着き次第、炸裂するであろう。そんな幻想が目の前にありありと見えた。関屋の安穏な日常は吹き飛ばされる。もはやジタバタしても、逃れようがない。彼はしばらく虚空を睨みつけた後、観念したように吉野の横顔を眺めている。このきれいな女を捨てることができるのか、と私は気を揉む。金沢、とアナウンスが連呼される。乗客たちは降りて行く…。その先がどうなったかは、見た者一人ひとりの想像力に任された。そして、今日もしらさぎ号は無数のドラマを乗せて走り続けている。