(劇評・11/5更新)「特急列車という移動空間はつかの間の異空間である」中村ゆきえ | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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この文章は、2020年10月25日(日)11:00開演、Produce Unit数寄屋道楽『米原ー金沢』についての劇評です。



 開演時刻5分前に劇場に入るとパイプ椅子が並べてあった。チラシによると特急しらさぎの車内に見立てたもので、左の列は5列、右の列は6列ある。左の前から2列目窓側に男性が一人、右側の6列目通路側に男性が一人すでに座っていた。しばらくして右側1列目に女性が慌ただしく一人乗り込んできた。汗を拭いたり、窓側に座ったり通路側に移動したり、ずっと落ち着きがない様子だ。その後、二人の男性と、一組の男女が加わった。最終的にこの車両は7人の乗客を乗せて米原を出た。
 7人は同行者以外と会話をすることはなく、それぞれのモノローグで彼らの心の内を知ることができる。トキちゃん(井口時次郎)・ケイちゃん(春海圭佑)の2人組みは飲み屋での知り合いだ。「女を買いに行く」ために米原発のしらさぎに乗車することになった。トキちゃんは昔からの人脈で仕事をしている。地元なので目立つことはできない。その窮屈さを「女を買いに行く」ことで憂さを晴らす。ケイちゃんは離婚した相手の元にいる子どもに愛情は感じているが引き取って育てるほどの自信がないことに罪悪感を持っていた。そこへトキちゃんから「女を買いに行く」事を誘われたのだ。
 同人誌即売会に参加した帰りにこの列車に乗った男性(長山裕紀)は、自分が原因で両親と共にハバ(村八分)にされるという辛い少年期を小さな村で過ごした。彼は中学卒業後にその村を離れ、今は休みの日は趣味を満喫し、職場では利用者たちに頼られていると実感できる生活を送っている。彼はこの車両でただ一人、終点まで行かずに途中で降りる。
 1列目の女性(清水万鳳)も希望が持てた。彼女は転勤の多い父親と社宅という狭い世界で生きている母親の強い思いに振り回されていた。高校卒業後、浪人したのち自分で選んだ職業に就くも、親からは否定的な言葉を掛けられていた。両親に結婚の挨拶をしたいという彼より前に一人で親に会いに行くのは今度こそ否定されたくないという思いがあってのことだろう。ただ「結婚を許してもらわねば」という言葉に違和感を覚えた。成人だから結婚に親の許可はいらない。パートナーと新しく戸籍を作るのが婚姻という制度だ。金沢到着の直前にそれまで落ち着きがなかった彼女が、表情を引き締めて髪を整え始めた。「許してもらいに行く」形はとっているが、さらに前に進むための彼女なりの区切りなのかもしれない。
 同窓会に参加する70代の男性(新保正)は若いころの自分に捕らわれているように見えた。学生運動に影響を受け、その理念のもと草の根運動に勤しんでいたが、自分より教養があるとは思えない男に「衒いがある」と言われたことでショックを受け挫折する。その頃活発な活動をしていた東北出身の同窓生に会うために彼は金沢に向かっている。車内で彼は辺見庸『もの食う人びと』を読んでいる。表紙のタイトルは周りからはっきり見えるくらい大きく書かれている。今でも彼には衒いがあるように見えた。そんな彼が同級生に会うのは、自分より活動に熱心だった彼の何かを確認したいのだろうか。
 よくわからなかったのは松山から不倫相手のセキヤ(関家史郎)を追うようにやってきた事務員(吉野佳子)だ。彼女自身に関してわかることは「上司から信頼がある」という他人からの評価だけだ。心情がわからない。セキヤに無理やりつれてこられたのかと思ったがそうではなかった。セキヤのことを好きで追いかけてきた感じもしない。お金に執着している雰囲気もなかった。ただ諦めた雰囲気は強く感じた。
 席を立っていたセキヤと事務員がそれぞれ戻ってきた。トキちゃんが意味ありげに落としたレモンをセキヤが拾ったことをきっかけに、彼だけが同じ車両に乗り合わせた人たちの内側を目撃する。一定の時間を一つの空間で過ごす人びとの心の中のセリフに結論があるものは少なかった。会話ではなく自分の中でつむぐ言葉は、こうやってぐるぐる回るものかもしれない。だらだらと続くモノローグや、彼らが深く傷ついたシーンを壊れたレコードのように繰り返す場面は、それをうまく表していた。


(以下は更新前の文章です)

 開演時刻5分前に劇場に入ると、特急しらさぎの車内に見立てたパイプ椅子が並べてあった。左の列は5列、右の列は6列。左の前から2列目窓側に男性が一人、右側の6列目通路側に男性が一人すでに座っていた。しばらくして右側1列目に女性が慌ただしく一人乗り込んできた。汗を拭いたり、窓側に座ったり通路側に移動したり、ずっと落ち着きがない様子だった。その後、二人の男性と、一組の男女が加わった。最終的にこの車両は7人の乗客を乗せて米原を出た。
 7人は同行者以外と会話をすることはなく、それぞれのモノローグで彼らの裏側を知ることができる。飲み屋で知り合って「女を買いに行く」ことになった男性の二人組(井口時次郎・春海圭佑)は、自分自身に対する思いはあるが、そんなことより目下の心配は夜失敗しないことだ。トキちゃんは黒蝮ドリンクを飲み、ケイちゃんは栄養ドリンクを購入して夜に備える。福井で降りた男性(長山裕紀)は、自分が原因で両親と共にハバ(村八分)にされるという辛い少年期を小さな村で過ごした。今は休みの日は同人誌即売会に参加して趣味を満喫し、職場では利用者たちに頼られていると実感できる。彼はこの車両でただ一人、終点まで行かずに途中で降りる。
 1列目の女性(清水万鳳)も希望が持てた。父親の職業と母親の強い思いに振り回された人生だと本人は感じているが、彼女は理由をつけて家を出て、自分の力で前に進んでいる。ただ「結婚を許してもらわねば」という言葉に違和感を覚えた。成人だから結婚に親の許可はいらない。パートナーと新しく戸籍を作るのが婚姻という制度だ。金沢到着の直前にそれまで落ち着きがなかった彼女が、表情を引き締めて髪を整え始めた。「許してもらいに行く」形はとっているが、さらに前に進むための彼女なりの区切りなのかもしれない。
 同窓会に参加する70代の男性(新保正)は若いころの自分に捕らわれているように見えた。学生運動に影響を受け、その理念のもと草の根運動に勤しんでいたが、自分より教養があるとは思えない男に「衒いがある」と言われたことでショックを受け挫折する。その頃活発な活動をしていた東北出身の同窓生に会うために彼は金沢に向かっている。何を期待して彼に会うのだろう。彼の読む本にはカバーが掛けられていなかった。それは彼の変わらない性質を現しているように感じた。
 よくわからなかったのは松山から不倫相手のセキヤ(関家史郎)を追うようにやってきた事務員(吉野佳子)だ。他の登場人物が希望も含めて「本当の自分」「本来の自分」を語っているのに対して、彼女自身に関することは「上司から信頼がある」という他人からの評価だけだ。心情がわからない。セキヤに無理やりつれてこられたのかと思ったがそうではなかった。セキヤのことを好きで追いかけてきた感じもしない。お金に執着している雰囲気もなかった。ただ諦めた雰囲気は強く感じた。
 一定の時間を一つの空間で過ごす人びとの心の中のセリフに結論があるものは少なかった。会話ではなく自分の中でつむぐ言葉は、こうやってぐるぐる回るものかもしれない。だらだらと続くモノローグや、彼らが深く傷ついたシーンを壊れたレコードのように繰り返す場面は、それをうまく表していた。事務員の女性は何を表していたのだろう。おそらくじっと座るあの姿が彼女の無表情を作り出した場面だ。彼女は何を諦めたのだろうか。私には最後まで謎のままだった。