演劇女子部『ネガポジポジ』
初日を観てきました。
なんと言っていいかわからない。
良くも悪くもエンターテインメント性が高く商業寄りの舞台をやってきた演劇女子部が、とんでもないものを出してきた。小劇場で演じられるような、一歩間違えば「自己満足だよね」と言われそうな「説明しない」「受け手に委ねる」「観客にド直球な熱をぶつける」、そんな脚本と演出を、大手事務所のアイドル(とそのタマゴ)がやるという実験作というか野心作というか、事務所なに考えてんだふざけんなありがとうございますというのが今の正直な気持ち。
『LILIUM ~少女純血歌劇~』のときに「アイドルにここまでやらせるのか」という驚きがあったが、今回はその比ではない。脚本と演出を担当した江本純子さんという方の経歴や稽古の日記から一筋縄ではいかないものが出てくるだろうと予想はしていたけれど、まさかこういうものを出してくるとは。
Aの主演は加賀楓と山岸理子(香盤表では逆だが、観た感想としては順番はこうだろう)。落ち着いたタイプの加賀とおっとり天然な山岸が、その普段の姿からは想像もつかないような姿でほとばしる感情を時にセリフで、多くは歌に乗せてぶつけ合う。その衝撃波が客席に飛んでいく。そんな舞台。
2人は客席を見て演技していない。お互いしか見ていない。観客は2人から飛んできた波とその感情の渦にただただ巻き込まれていく。とんでもない熱量が放出されて、受け止める客席はひたすらそれに打たれる。わかりやすさとかカタルシスとか、なにそれおいしいの状態で「はい、終演です」と言われて外に出てきたが、足の震えがずっと止まらない。2人の熱が自分の中をグルグル駆け回っていつまでも落ち着いてくれない。
山岸理子のブログに2回ほど「かえでぃーとみんなより早く稽古場に入って感情を表に出す練習をしました」と書いてあったが、なるほど、多分この2人が苦戦しただろうことは容易に想像がつく。最初は全員で台本をやらずにそういう稽古やワークショップをやったというのも頷ける。まず、演技をしているという気持ちを追い出さないとこういう芝居はできないと思う。
加賀楓という子は、もともとテンションの上下が見えにくいタイプで、ヲタになってじっと見ているとわかるようになってきた、というくらいで、時々「あの子は笑わない」「楽しそうじゃない」と他ヲタからは心無い批判を受けることもある(実際はそんなことはないと声を大にして言いたいが今は置いておく)。
そんな加賀楓が絞り出すように歌い、泣きむせびながら叫び、声を枯らして感情をほとばしらせている。巧拙を超えて、何かを懸命に表現している。表面だけ見ればかっこ悪いかもしれないが、その姿は美しく、観る者の心を縛り付ける強さを持っている。
歌は、多分あえてきれいには歌っていない(彼女の歌唱力ならもっと歌い上げることもできただろうが)。どこか不器用さとか、悔しさとか、もどかしさを残している。「私はどうしたらいいいの」「なんでうまくいかないの」「誰か教えてよ」。そんな思いが剥き出しのままちょっと調子の外れたメロディに乗ってくる。
詳しくはネタバレになるから書けないが、加賀楓が今置かれている立場とオーラーラップするようなセリフもあった。彼女を応援してきた身として胸が締め付けられる思いもしたが、それはまったく脚本の意図ではなかっただろうし、演じている加賀楓自身もそれを強く意識はしていないだろう。むしろ、そういうものを排除して臨んでいるはずだ。
加賀楓はパンフレットに、自分の役どころについて「私と少し似ているところがある」と書いていた。それはどういうことなのか、彼女の心中を完全に推し量ることはできないが、おそらくは、自分に自信が持てない、一生懸命自分に言い聞かせないとポジティブになれない、そんなところを自分と重ねているんではないかと思う。
自分は、加賀楓を「不器用な器用貧乏」だと思っている。何をやらせても水準以上のことはできるし、なんでもできる子だと周りから思われているけれど、自分では必死でもがいてどうにかやっている、そんな状態。それでいて突き抜けられない、天性の何かを持っている人間になれない。そんな悔しさをこの数年、彼女はずっと抱えて生きているのではないかと考えている。
その彼女にとってこの舞台は大きな転機になるかもしれない。すべての日程を終えたとき、加賀楓はどんなことを思うだろう。成長という言葉では片付けられない。脱皮とか、もっと言えば変身。加賀楓にとってそんな舞台になる予感がする。りさという役を加賀楓に与えてくれた事務所には感謝したい。
千穐楽までAは全8公演。アンサンブルとして出るCも合わせると16公演。できる限り参加し、加賀楓の姿を見届けたいと思う。





