私的ノスタルジックヒーローシリーズも、だいぶ語り尽されてきましたね、今回、三栄の「レーサーズ」から待ちに待ったNR500特集が発売になりました。
それに触発されたわけではないのですが、NR少し語ってみたいと思います。
当時からアンチも少なくなかったNRですが、今となっては「それほどのモノなのか?」とか、「天文学的な開発費を費やした失敗作」などと、揶揄されがちです。今書物で読む当時の事より、少ない情報でじりじりしながら出場する日を待ち望み、走るようになるのを熱望した当時の私自身の気持ちを書きたいと思います。
時は1977年ちょうど2年目のF1選手権が日本で開催された年の6月にあの有名な「GP復帰宣言」が当時の河島社長の名前で新聞発表されました。
私は中学2年になっていてバイクよりもF1に興味のすべてを注ぎ込でいる時でした。
私と級友S君で休み時間のたびに、ハントは嫌いだとかシェクターが好きだとかロータスが凄い車を開発しているとか、夢中になって話していたのを覚えています。
そして年は明け、3年のクラス替えで今の私の趣味嗜好の80%位を成形したと言っても過言ではない、O君が近所の席にやってきました。
休み時間にオートスポーツばかり読んでいる私に、ある日O君から話しかてきました。
「片山敬済ってしってるか?」
当然前年350ccでチャンピオンになった事とか、プライベーターでタイトルを取ることの凄さとか知る由もありません。
「誰??? 片山義美なら知っているが??」のようなことを応えたと思います。
その返事にO君は明らかに見下し蔑んで「オートバイのことはカラキシなんだな」と嗤われたのを覚えています。
このO君、年の離れた従兄の影響で、大のバイク好きレース好きホンダ好きで、その後私はこのO君に師事して、ホンダ好きになっていくわけです。
「月刊少年チャンピオン」だったか「コンチネンタルサーカス」という、片山の伝記漫画が連載されていたのを覚えています。
そして翌年めでたく高校に入学した私は、待ちに待ったNR発表を知ります、しかし発表したのはいいが、いっこうにレースに出たという話は聞きません。
そうしている内に、シリーズ終盤戦になりイギリスグランプリに「NR・片山敬済が駆って出場」というニュースが舞い込みます。
ここで記憶があやふやなのですが、このイギリスとフランスグランプリの2戦に関して大してバイク雑誌等で扱われなかった気がしています。
結果、ニュースになるような内容でもないので、仕方がないと思いますが、発表前のスクープ合戦、発表後の盛り上がりを鑑みると1ファンとしては、どうも消化不良気味の報道だったのを覚えています。
確か「ポールポジション2」だったと思いますが、NRを押すミック・グラントのスタートシーンがちらっと映っています。フランスはスタートまで漕ぎつけなかったので、多分イギリスのスタートシーンだっと思いますが、なかなかエンジンがかからない感じが伝わってきます。
そして翌年、片山が市販RG500で入賞したリザルトを雑誌で見た私は混乱します。あとから資料を見ますと、開幕直前の鈴鹿テストでモノコックフレームに見切りをつけたホンダが外注してあった、マックストンフレームの完成を待つ間当然グランプリには不出場。
レース感を維持させるという態でRGでの出場をホンダに打診した片山は「止められなかった」そうです。これは、黙認という意味にとるのか「言わずもがな」ととるのかむつかしいところですが、当の片山は数戦RGでグランプリに出場して入賞しています。
状況を知らない私というかファンは、ホンダ撤退か?とまで考えたのも事実でした。
しかし、翌年だいぶデザイン的にもエンジン的にもアカ抜けたNRが突然「鈴鹿BIG2&4」に片山のライディングで出場してきたのです。
片山、木山の2台体制で出場したNRは、お約束のスタートで遅れるも2台ランデブー状態でトップを追走し、最終的にクラッチトラブルにより2台絡んで転倒リタイヤ終わました。けどようやっとの期待感は覗かせてくれる走りをするようになっていました。
一方車両の方は、アカ抜けたと書きましたが、言ってみれば「普通になった」ともいえるわけで、79年発表当時の近未来感はそぎ落とされてしまい、現実的なマシンになったとも言えます。片山のマシンはスクリーンがスタンダードと違っていたようでしたね。エンジンはVバンクと搭載角度が変更になり、V90°というよりもむしろL90°といった方がらしい感じです。
取り巻く環境では、2年たっても結果が出ない、ピットはターフで覆いつくされ徹底した秘密主義。
空ぶかしで時折噴き上げる白煙などで「エンジンのヘッド部分はダミーで、実は2サイクルだ」などど揶揄されたり、NR及びその部隊への風当たりは強くなってきていました。
そんな中、この年より木山、阿部の二人で全日本の鈴鹿戦にスポット参戦していたNRは、木山のライディングで鈴鹿200kmに優勝します。
この優勝が結構な物議をかもします。NRがフォーメーションラップを回らなかったことや、給油を行わなかったことなど、事前にレギュレーションが変更になっていてソレについてのインフォメーションが無かったとか、そんなようなことだったと思います。私の知った限りではレースによってフォーメーションラップを回らないと、最後尾とかピットスタートとかになる規則はあったと思います。
この鈴鹿200kmがどうだったのかは今となっては知る由もありませんが、NR優勝を讃えている雑誌もありましたし、Mr Bikeだったと思うのですが、かなりシツコク問題視する記事を書いていたと思います。かいつまんで言うと「それほどまでして勝ちたいのか!」的な内容でしたが、まー「それ程まで」が、どれほどまでなのか不明ですが、勝ちたかっことには変わりなかったのだと思います。
バイクに興味を持った時を同じくして、ホンダNRという企画から誕生を遠巻きながら見てきた私としては、この優勝はほろ苦い感じのものになってしまいました。思い出すと今だに何とも言えない感情が蘇ってきます。
しかし全日本で優勝したNRもGPでは相変わらずの悪戦苦闘を繰り返しています。4期のF1でもそうですが、結果が出ない→外野の声→疑心暗鬼→方向性がブレる→イジリすぎ、やりすぎ、試しすぎ。のような、スパイラルにハマりがちのようです。サクラの浅木さんも言っていました。
「総てを試して良い物を!」なんて言うのは、所詮素人の空論なのかもしれませんね。生き馬の目を抜くレースの世界では、余計なことをしている暇はないってことでしょうか。勉強になります。
まー当然NRもワークス3年目エンジンは壊れなくなってきたけど、新規採用したパーツなんかのトラブルでリタイヤしてた場合もあるらしいです。
イギリスグランプリでのスペンサーの快走も焼け石に水の気配で、ホンダの開発がNRからNSにシフトする壁にはならなかったのだとも思います。
後に「NRは如何だったか?」という問いに対して「あのエンジンは、始動性に問題があったね、いいところまで行けたかもしれないけどNSのようにチャンピオンマシンにはなれなかったと思う」というスペンサーのインタビュー記事をみた事があります。
スペンサーのNRに対しての印象は大方の予想に反して”結構好意的”に映るのは、色々言われすぎた結果の反動なんでしょうかね。よくよく見てみると、やんわりダメ出ししているようにも見えます。
後の開発者インタビューで何人かの人が(当然NRのエンジン開発中心的な方々)、85年位からGPのエンジンの在り方が変わって、さらに高出力を求められるようになったそうです。タイヤのグリップ力なども上がったんでしょうね。
つまり、あのままNRを開発していても、あと1~2年で対2ストに対してどうしようもない差を付けられる時が来たということですね。Maxでリッター当たり270馬力に到達していた当時の4ストロークエンジン開発者は、若干の無念を感じながらも、本格的な開発に終止符を打ったのだと思います。
レギュレーション上、消滅したNRターボや出場できるカテゴリーの無いNR750、市販NRに関して、これは私個人的な感情ですが、GPレーサーNRのようなメラメラした高揚感を覚えなくなっていたのは、私の中の何かが変化してしまったんでしょうか?。