私達は、産業廃棄物処分場について、安定五品目についてもほとんど知らないまま運動を始めました。ちょうどその時期、福岡県内では産業廃棄物処分場反対運動、一般廃棄物場反対運動が各地で起きていました。弁護士に紹介されて、それらの学習会に参加して、情報を集めることができました。また、京大防災研究所の中川鮮氏を講師に町内でも、350人ほどの住民を集めて学習会をしました。また、九大名誉教授安藤毅氏を講師に豊前川崎商工会議所青年部が開いた学習会、井上道夫弁護士を呼んでの学習会等、頻繁に学習会を開催しました。また、香川県田島の香川県全体を市町村で学習会を開いたという経験に学んで町内41の行政区(自治会)を対象にして、学習会を行う計画を行いました。また学んだことをパンフレットにまとめて、町内に配りました。

 産業廃棄物処分場には学習会が不可欠です。住民の迷惑施設であることを学ぶことで実感して運動を進めたのでした。

 吉永町に視察に行った報告を掲載しておきます。


 岡山県吉永町視察報告 
    
 岡山県吉永町の「管理型」の産業廃棄物処分場設置について、岡山県知事は、「不許可」という決定を下しました。川崎町大ケ原産業廃棄物処分場反対住民会議は、この「不許可」という決定がどのような経緯で行われたかを調査しました。吉永町で聞いたこと、見たことを報告します。

 まず、その調査の日程等を簡単に報告します。調査団は、5人で、日程は、
川崎町を午前4時17分に出発し、吉永町に午前8時40分に着きました。午前9時より役場で助役、振興課長さんより2時間にわたって、町の取り組み、県、業者の動きなどについて、詳しい書類を出してもらい説明を受けました。
 午前11時より、産廃阻止町民の会と水を守る会の方に食事の時間を含め、
午後4時まで反対運動のの経過、課題、今後の見通しについて話を聞くことができました。
 午後5時に吉永町を出発し、午後10時40分に川崎町につきました。往復約1000㎞の行程を一日でまわるという強行軍のために、十分調査出来なかったところもあると思っています。
 報告については、一問一答を記録したものを用意しようとしましたが、わかりにくいために、感想を含めて、次のような項目で内容を報告します。

①住民投票までの反対運動の経過について
 
 平成4年、奈良県の産廃業者である㈱スリーエーは、吉永町の業者より直接土地を購入し、予定地である吉永町大藤地区住民の産廃設置についての合意と行政区長の同意書をとるなどして、水面下で処分場建設計画を進めていました。そして、この計画を近隣の長船町(おさふねちょう)が出資する「第三セ クター」として経営することで、吉永町に産廃場がきたのは、平成6年になっ
てからのことでした。
 この計画に対して、その白紙撤回を求めて、平成7年5月7日に町、議会、
区長会を中心とする『産業廃棄物最終処分場阻止連絡協議会』(会長 北川禎昭吉永町長)が設立され、反対運動が始まりました。吉永町民への反対署名とカンパの呼びかけ、長船町へのアピール行動、近隣の自治体への協力依頼、県議、国会議員への陳情、県に対する、陳情や抗議行動など、町の積極的な反対運動は、日増しに全町的な住民運動へと広がっていったのです。
 平成8年9月30日に町は県の指導のもと、業者との事前協議(岡山県では、許可手続きを円滑に行うために、事前協議制をとっています。)を開始し安全性を中心とした技術論、処分場の管理・運営及び事後責任等について、
平成9年7月まで通算10回の事前協議を行いましたが、町が業者に対して「産業廃棄物処分場撤回要請」を出したことで協議はいったん打切りとなりました。
 この間、業者と吉永町会議員の間で金銭のやりとりがあったなどの噂が出て、町議会に100条委員会を作って調査が行われました。しかし、真相の解明はならず、灰色のまま終わったため住民が立ち上って、議会リコールを起こし、議会は解散となりました。町、議会に対する不信感と産業廃棄物処分場反対の強い願いのもとに、平成8年12月に『産廃阻止町民の会』が結成されたそうです。
 平成9年10月には、町と業者との事前協議が再開されました。町側は、弁護士2名と専門家(中川鮮氏)をつけ、安全性や公害発生時補償等の41項目の協議項目を提示し、それにそった協議が進められていきました。(12月まで。通算14回)それまでの協議は非公開で行われていましたが、住民の強い要求によって第11回目からは、協議の様子をモニターテレビで中継するなど、一応公開されるようになったそうです。
 平成9年11月に、産廃阻止町民の会は3273名の署名をもって住民投票条例制定の直接請求を行い、平成10年1月の町臨時議会で住民投票条例が可決されました。
 「自分たちの町は、自分たちで守るという住民自治の立場に立った運動は、
この時から始まった」という「産廃阻止町民の会」の岡本さんのことばが、とても印象的でした。

②どうして産業廃棄物処分場に反対なのか。

 吉永町で問題になっている産業廃棄物処分場は、面積が8万7470㎡、容量が140万‰という「管理型処分場」です。「管理型」とは、処分場から有害物質が漏出する危険性があるのでそれを防ぐために、厚さ5㎜(ミリメートル)のビニールシートを敷く必要があるという施設です。また、この産業廃棄物処分場の経営は、近隣の長船町(おさふねちょう)という自治体が出資する 第三セクターとして行うというものです。             
 吉永町民が産業廃棄物処分場設置に反対しているのは、次の三つの理由があることがわかりました。
 A長船町が出資する第三セクターによる産業廃棄物処分場設置は、地方自  治を侵害するものである。
 B水道水源地への産業廃棄物処分場設置は、下流域の水質汚染をもたらす。
  それは、吉永町民だけでなく、2市10町村30万人の飲料水、灌漑用  水を汚染する。
 C住民との合意がないままに、産業廃棄物処分場の「技術的条件」さえあ  れば、許可しなければならないという廃掃法は国民の命と暮らしを守る  上で極めて不十分である。
 以上のことから吉永町の反対の理由は、地元の水質汚染の危険性に対する危機感だけでなく、県、国の廃棄物行政を正すという視点に立った、グローバルな内容を持ったものだということでした。

③県知事はどのような判断で不許可にしたのか。
 
 私たちが、いちばん関心があったのは、廃掃法では許可しなければならない産業廃棄物処分場の設置に「不許可」を出した、県知事の判断の理由でした。それは、次のようなものでした。
 県知事は、水質、防災などの専門家の意見を聞いた上で
  
 ▽処分場計画地は、飲料水の水源近くの上流に位置し、安全性確保に支障  をきたす。            
 ▽『県の産業廃棄物処分場適正指導要領』に基づく地元と事業者 (産業  廃棄物処分場業者)との協議が終わっておらず、住民合意ができていな  い                            
 と判断したのでした。
 廃掃法(廃棄物の処理及び清掃に関する法律)では、産業廃棄物処分場設置において、法律の基準にかなっていれば許可すべきものになっています。これに対して岡山県知事は、「国の委託を受けて、廃掃法の運用をしている自治体の長としては、住民の安全を守り、健康を維持する責任があり、今後も民意の反映を廃棄物行政の柱に据えていく」と考えているというのです。
 しかも、吉永町長から出された-「生活環境保全上建設を容認できない」-という意見書を「住民投票の結果をふまえた要望として尊重した」と言っています。県知事が判断の材料としたといわれる、住民投票は、『産業廃棄物処分場の反対』が投票総数の97.75%、3773票(ちなみに賛成は、
68票でした。吉永町の人口は、5000人余り)つまり、吉永町民の圧倒的多数の声を県知事は無視できなかったのです。また、吉永町民は、産業廃棄物処分場の下流域にある2市、10町村に住む30万人の住民に呼び掛け、
産業廃棄物処分場反対を14万4462名の署名として県知事に陳情しています。
 吉永町の産業廃棄物処分場反対を、岡山県民の声にしていくという力こそが県知事の不許可という決定を出させたのだということがわかりました。

④どのような運動をしているのか。 
 
 吉永町では、町、議会、住民が力を合わせ反対運動を進めていくために、「産業廃棄物処分場最終処分場阻止連絡協議会」をつくっています。また、住民本位の組織として「吉永町産廃阻止町民の会」をつくり、自主的に活動をしていました。この会の活動の特徴は、産業廃棄物処分場阻止のために運動を進めていくだけでなく、環境問題にまで大きく活動の幅を広げていることです。
 また、女性だけで構成される「水を守るグループ」は、行政区の組ごとにミニ学習会を数十回開催することで作られた組織で、会員は、730人とのことでした。これは、「町民の会」の「サポーター」として、女性の目線 (めせん)でものを考え行動しているそうです。「水を守る会」の活動として驚かされたのは、ドイツのブント(ドイツ環境保護連盟)のエヤハルト、シュルツさんの「ドイツにいらっしいませんか」という誘いを受けて、10名の女性が、自費でドイツの視察を行ったというのです。ドイツのいわゆる「資源循環型社会」を見学し、その経験を吉永町に生かしていこうとしているそうです。
 もっと特徴的なことは、20-25才という青年60名余りが、吉永町の「緑と自然を守るグループ」をつくって、学習会に参加したり、産廃反対を訴えたり、町内のあき缶拾いをしたりと積極的に活動しているということです。自然を守る活動に携わるといえば、「真面目な青年」を想像されるかも知れませんが、まったく違うというのです。いわゆる「茶髪に、ピアス」という、まさに 《現代的》で、外見からは、産業廃棄物処分場、環境などと無縁のように見える青年が、携帯電話とポケベルで連絡を取りながら活動しているというのです。
 そして、町民の会は、これ以外に「自分たちが出すゴミは、自分の町で解決する」という立場で、ゴミの減量化、ゴミのリサイクル、再利用(=リユー
ス)にも取り組んでいます。今年4月からは、トレイや牛乳パックの回収、ビンの四種類分別、生ゴミの堆肥化等にも取り組んでいるそうです。
 川崎町と比べてみると、運動の方向を町民全体で確認して、自分たちの生活の有りようを見なおすという取り組みが進められているということがよくわかりました。
                                 
⑤吉永町の産業廃棄物処分場反対運動の特徴
 
・まず、吉永町と議会の産業廃棄物処分場反対運動にたいする姿勢、熱意のに驚かされました。「産廃阻止町民の会」の人に言わせると「そうではない」
といわれるのですが、私たちから見れば、町は反対運動において、重要な役割をはたしていました。例えば、『産業廃棄物処分場阻止連絡協議会』の会長に町長が就任されていました。当然事務局は、役場のなかにあって、連絡などの事務的仕事を行っています。対外的には、吉永町から長船町への訴えだけでなく、近隣自治体や県議会、国会議員等も巻き込んでの運動を地道に行ないました。町の公報誌に、平成7年4月から平成10年7月まで50枚にわたる、産業廃棄物処分場反対の運動についての記事が掲載しています。住民投票条例の制定を提唱したのも町でした。

・次に住民運動の幅が広いということです。吉永町では、産業廃棄物処分場反対は当然のこととして、環境問題について、とりわけ資源循環型社会の実現などの広い目標を持って活動しているために、それに参加している住民、県民の数は岡山県をも包んでしまうような勢いを持っています。それは、すでにのべた97.95%にのぼる反対投票数に見られるだけでなく、女性、青年などが活発に運動を進めていくための組織をもっていること、あるいは、
買物では、自分たちで作った袋を持参するようにしていること、トレイや牛乳パックの回収等に見られるように、住民のニーズに応えた多様な反対運動を行っているということです。また、2市10町村の16団体で「岡山県産廃環境問題ネットワーク」の結成を行う予定だそうです。

・「産業廃棄物処分場問題を考えるつどい」などの学習会を500人規模で行なったり、香川県豊島へのバスを連ねての視察、山川町等で開催された産業廃棄物処分場反対全国討論集会への参加、ドイツへの視察などを行い、住民が自分で考え、学習し、行動するという運動のスタイルが出来ているということです。
 
 吉永町の反対運動の特徴、業者や県の対応をしっかりと見つめながら、大ケ原産業廃棄物処分場の反対運動の在り方を考えるための貴重な視察になりました。
 吉永町の皆様に、心から感謝しつつ、視察報告のまとめとします。 

   吉永町での感想     
                              
 吉永町への視察には川崎町大ケ原産業廃棄物処分場反対住民会議弁護団より武藤糾明弁護士が同行されました。武藤弁護士の視察の感想を資料として載せておきます。                                     
  吉永町を訪れたのは、二度目ですが、今回県知事が、なぜ産廃処分場設 置不許可という英断を下すことが出来たか、その理由がわかりました。地 元住民の方々が、なぜ処分場が作られてはならないかをよく勉強して、徹 底的に反対の意思を示し続け、その輪を広げていったため、行政にいい加 減な言い逃れや不当な判断をさせないように追いつめることが出来たので す。                                 町づくりの問題を人まかせにせず、自分たちで決めていく、また処分場 問題をきっかけにして、資源循環型社会を実践し始めた住民のみなさんが 自信にあふれ、生き生きとしているのが大変印象的でした。       










西吉野村の『産廃富士』と

          豊島産業廃棄物処分場からの報告
                       河野礼至
 (はじめに)
 わずか二日で、西吉野村と豊島の産業廃棄物を見学し、反対運動の人たちと懇談したことについてのささやかな報告をします。なにぶん、見たこと、聞いたこと、知ったことがあまりにも膨大なので、わずかなスペースに十分まとめることができませんでした。しかし、「百聞は一見にしかず」ということをまざまざと確かめた思いです。
A『産廃富士』と豊島を見学した立場
 わたしは、今まで、川崎の産業廃棄物処分場反対運動と他の運動を比較したことはありませんでした。しかし、行く前の準備の中で、さまざまな資料を読むうちに、川崎の運動は「なかなかたいしたもの」のように思えてきました。他の運動が、鏡の役割をはたしてくれました。映しだしてくれるのです。運動の長所も弱点も、少しずつ見えてきたのです。それに、もうひとつ知りたかっ
たことは、全国的にもあまりにも有名になった産業廃棄物処分場富士と豊島の産業廃棄物処分場の実態を自分の目で見たいと思ったのです。なぜ、このような事態にいたったのかを分析し、二つの運動を繋ぐことで、川崎町の産業廃棄物処分場反対運動の方向を明らかにすることができると考えたのです。
B西吉野村の『産廃富士』の見学と懇談
 大阪南港から西吉野村へ車を急がせること二時間。辺りは一面雪におおわれています。その雪は、道路の中央にはなくなってはいましたが、路肩には、シャーベット状になっています。ときどき、わたしたちのマイクロバスのタイヤが、ジャーというおとをたてていました。標高の高さがわかります。道路右の山は、まだ雪が積もっています。深い、谷の道を走っていくと、両側の山肌には、柿の木が植えられています。梅の木もたくさん植えてあります。西部集落センターにつくと何人もの西吉野村の美しい水と活気あふれる農業を守る会の方がこられています。すぐに、『産廃富士』をみにいきました。はじめに、「今日の『産廃富士』は、
雪できれいです。富士山に変身したのです」などと、笑いながら車で上っていきました。ありました。道路の右手に、『産廃富士』
は、雪化粧を施してはいましたが、あちこちに、汚いゴミをむきだしにしながらたっています。実際に見ると、迫力のある存在です。道路から、六十度ぐらいの角度で、高さ約28メートルの 『産廃富士』は、その名にたがわない産物です。小さく刻まれたようなゴミは、本当に、高く高く積み上げられているのです。 『産廃富士』のまわりは、トタンなどで簡単に囲われていますが、
それがいつ崩れてくるのかわからないほどの角度のものなのです。
近くの山に登ったり、谷におりてみたり、三十分以上見学しました。みればみるほど「この山をみていただきたい。だれが見たって合法ではない。 違法でなかったとしても、不法だ」という言葉が、わたしたちの共通の実感でした。
 懇談会では、川崎町大ケ原産業廃棄物処分場反対住民会議の調査団の代表がたくさんの質問をしました。
「産業廃棄物の量はどのくらいあるのですか」という質問に、 「10トントラックで一万台ぐらい」というのです。「10トンのトラックがこの道をきたんですか」と尋ねると「そうだ」というのです。「どのようにして28メートルの高さにまで積み上げたのですか」というと、「シャベルカーをたてに並べて、バケツリレー運びの要領で積み上げた」というのです。
 「どういう理由で積み上げたのか」というと、住民の反対もあっ
て「第二次処分場の工事が許可されずに、頭にきたので積み上げた」というのです。
 『産廃富士』ほど、不法、違法なことはありません。わたしたちが知ったことは、
・11回をこえる火災。
・下流に黒い水が流れた。
・水路の無許可破壊。
・サンドイッチ方式の放棄。
・ひどい悪臭。
・隣の境界の不法掘削等など。
 ところが、この業者に産業廃棄物処理業の許可を与えているのは、奈良県です。しかし、奈良県は、この不法、違法を繰りかえす業者に何の有効な措置をとろうとしなかったというのです。
 見学のあと懇談を行ないました。わたしたちは、総勢12名。西吉野村は9人の参加者でした。
 この懇談会では、主に住民組織の事について詳しく聞きました。

☆会員は、何人ですか。   70名
☆会費は、いくらですか。  毎月2000円
☆なぜこんな会をつくったのですか。
1995年までは、三区の行政区と評議員で、産業廃棄物
処分場対策委員会で対応していたけど、区長は、一年交替だ
し、役場などの関わりで、公正、公平な判断ができないこと
がおおかった。そこで、一昨年の95年に、守る会を組織し
た。いまは、行政区長・評議員は、会を横からささえてくれ
るようになっている。
☆ビラは、全員が二人一組になって、全戸に配布する。一晩
で、全町にまいている。編集は、三人でしている。印刷は、
印刷の会社にだして、安くしてもらっている。4000枚印
刷している。
☆運動は、全町に広がっているわけではない。しかし、一の
木祭りをすれば、2000名もの参加があるというものでし
た。


 西吉野村の産業廃棄物処分場問題は、すでに産業廃棄物を搬入しているなかで起きたという平凡な事実でした。「ああ川崎は、まだ入っていないんですか」というのが、西吉野の人たちの驚きでした。その後、西吉野の人たちは、川崎の運動が《はじめから弁護士をつけ、川崎町大ケ原産業廃棄物処分場反対住民会議を作り、実力で工事を止め、団結小屋を作っている》ということを感心しておられました。私たちにとってあまりにも当たり前のことなのに、協定を結んで、産業廃棄物搬入があり、協定が守られていないという困難な闘いをすすめている人たちには、一つの驚異のように受け取られていたのが印象的でした。
C豊島の産業廃棄物処分場で見たこと・感じたこと
 西吉野訪問を三時間でおえ、私たちの一行は、陸路香川県の豊島へと道をとりました。一時に出発し、午後六時四十五分ごろには、豊島行きのフェリー玉野港につきました。宇野から、約四十分で産業廃棄物処分場て有名な豊島の家浦港につきました。港では、住民会議の石井氏が、私たちを迎えてくれました。すぐに、港のなかにある今日の宿泊先の交流センターに荷物をおき、豊島の住民会議のかた達との交流会をもちました。
 民宿での交流会には、石井氏のほか、土田氏、議員の山本氏が参加されました。その民宿の女将さんは、田川出身の方で、偶然と出会いの場所の不思議さに、産業廃棄物処分場問題だけでない豊島の生活の一面に少し触れることがてきたように思いました。 次の朝は、午後六時半には起床し、豊島からの報告をテレビで見ました。《豊島で、豊島の産業廃棄物処分場反対運動のことを見る》ということに、運命的な出会いのようなものを感じたものです。食事のあと、八時を少し回ったころから、産業廃棄物処分場にいきました。舗装もされていない、狭い山道を行くこと十五分ぐらい、まわりの環境が一段とあれてきた感じがしました。左手には、産業廃棄物を搬入した当時の建物がたっています。さらに行くと、左手に、水溜まりがあります。少し行くと、産業廃棄物とは少し違ったくぼみがありました。それは、あとでわかったのですが、ミミズの養殖場とされるところだったのです。
 私たちは、石井氏の案内で、航空写真上のIの3地点から産業廃棄物処分場をみて回ることにしました。産業廃棄物処分場は、かなり荒れていましたが、ミニゴルフ場をつくるために、覆土してあったので、全部が全部、ゴミがむき出しになっているわけではありません。しかし、公害調停委員会の調査(費用2億3千800万円)のために、深さ六メートル、楕円形の形に掘削されているので、覆土の下がどうなっているのかがはっきりわかりました。地下は、シュレッダーダスト(車を細かく切断したもの)を野焼きしたもので一杯だったのです。調査のための穴は、何箇所も掘られていましたが、どれも、産業廃棄物で一杯です。そして、
汚水だけでなく、泡が吹き上がってくる穴、蒸気とともに悪臭のする穴などがありました。大部分が覆土されている産業廃棄物処分場には、東西400メートル、南北200メートル、高さ16メートル、面積約七万㎡の中に、約51万トンの産業廃棄物処分場が埋め立てられているというのです。広さで大ケ原の産業廃棄物処分場より少し小さく。容量は、二倍以上もあります。もし工事を許せば、大ケ原も荒涼とした荒地の様相をもつのだと初めて感じたものです。
 外見は、産業廃棄物の搬入をやめて七年もたつので、少しは風化され、色もかわっているので、生々しさは薄れてはいますが産業廃棄物の本質は少しもかわっていません。まさに、有害物質のかたまりそのものです。
 豊島の産業廃棄物処分場は、もともと、海岸ー海抜0-5メートルーにつくられているので、海の方には、どす黒い水が何百メー
トルにわたって、長い帯状のようにたまっています。もちろん、汚水が海のなかに流れ出ないように、せきとめてはあるのですが、
何にも役に立たない事ははっきりわかりました。その汚水を見に少し坂を下りました。汚水は、臭いこそあまりしませんが、
紛れもなく、産業廃棄物処分場からしみでてきたものです。この汚水にミジンコを入れると、約五分で95%が死滅するそうです。
草の茎をその汚水につけてみると、深さ3センチメートルで見えなくなるという濃さでした。外見が恐ろしいだけではありません。
その毒性なのです。豊島の汚染の程度を数値で紹介してみます。 いちばん毒性の強い物質の筆頭はダイオキシンです。これは人間が作りだした最強の毒物。ほんの少しでも高い急性毒性(もっとも強いものは、青酸カリの一万倍)・慢性毒性があるといいます。サリンなど問題にならないほどの毒性があるといいます。それが推定で、産業廃棄物とその周辺に1500グラム存在しているそうです。豊島のダイオキシンの量は、ベトナムでアメリガ軍が散布した直後の枯葉剤のなかに含まれて浸出水のなかにあるもの(28ngルナ㌘) に匹敵するというのです。
 ダイオキシンは、水に溶けにくいのですが、油には溶けやすく体内に入ると脂肪に蓄積され、癌や奇形の原因になるといいます。
それが、海水にも溶けだし、豊島のカキから検出されたダイオキシンの量は、大阪湾、東京湾の200-600倍もあるというのです。水に溶けにくいものが、このように大量に溶けている現実は、恐るべき事だということでした。
 また、このダイオキシンは、シュレッダーダストの野焼きによっ
て発生したのですが、当然、煙となって飛散している事実も忘れてはなりません。飛散したダイオキシンの量は不明であり、豊島とその周辺に飛び散ったダイオキシン汚染を考えると、考えるだけで、恐ろしくなるというのです。案内してもらった石井氏は 「妊娠する可能性がある人は、産業廃棄物に触れないように」といわれたのですが、そこにある物質に、毒性の高いものが含まれていると考えると何とも表現できないものを感じました。
 それ以外の有害物質はPCB、鉛、砒素、カドミウム、水銀、ベンゼンと私たちが身近に知っているものが、環境基準の1500倍という濃度で存在しているというのです。豊島の完全な環境破壊をこの産業廃棄物は結果しているのです。わずか、十年あまりでなされた汚染被害を知るとき、背筋が寒くなりました。
 前香川県知事前川忠夫氏が「業者は、住民の反対に会い、生活に困っている。絶対多数の反対があっても、個人(業者)の生存権は認めるべきである。それでも反対するのてあれば住民のエゴであり、業者いじめ。豊島の海は青く空気はきれいだが、住民の心は灰色だ」として、「とくに厳しい条件を会社側に付したうえで、法律に照らし、許可」した産業廃棄物処分場が豊島住民の生活と命、健康をむしばんでいる中で、今存命なら何という答えを返してくるだろうか、と思いました。
 産業廃棄物をあとにして、交流センターで意見交換を行ないました。聞けば聞くほど豊島の産業廃棄物被害の実態の恐ろしさがわかってきました。石井氏は言うのです。
★「島全体に対する汚染の調査はしていない。もし、ダイオキシ ン汚染の実態がわかれば、第一次産業の農業、漁業は崩壊する。
★「産業廃棄物の調査で2億3千800万円かかっている。あと で実態調査をすることは、本当に大変だ。」
★「豊島の産業廃棄物は、遮断型の施設に搬入されるべき有害物 質が含まれている。」
★「処理対象の産業廃棄物の量は、51万トン、その下の汚染さ れたとち7万トン。計58万トンを処理するのに、10-11 年かかる。」
★「処理の費用は最高191億円かかる。」
★「産業廃棄物安全に処理することはまだできない。だから、処 理できない物質は使用しない。処理できる物質にかえる。など のことが必要だ。」
★「産業廃棄物は、安定化して保管するということしかできない。
 遮断型の産業廃棄物処分場でも、50-100年たてばコンク リートから漏れだすことが考えられる。」などという事実は、 ショッキングというしかありません。
・豊島の住民運動の中心は、廃棄物対策豊島住民会議(略称=住民会議)です。これは、豊島の全島民(約600世帯)で構成されている組織です。住民会議の方針を立案する機関として企画調整会というものがあります。住民会議には代表として個人議長は置かず、議長団が存在し、三人の行政区長のもちまわりでつとめているというのです。
 豊島の産業廃棄物処分場業者である豊島総合観光開発はなぜ、このような不法投棄を行なえたのかということに気付きました。1991年豊島総合開発の実質的責任者松浦は、不法投棄で断罪され、罰金50万円、懲役一年、執行猶予五年の判決が言い渡されました。
 廃掃法(廃棄物及び清掃に関する法律)では、50万円は、最高の罰金です。しかし、豊島の産業廃棄物処分場で未曾有の環境汚染を引き起こした当事者にとって、あまりにも軽量な刑です。その上、執行猶予五年がついたのは、この犯罪が、香川県という行政の加担なしにはできなかったことを考慮したものだというのです。考えてみれば、県は、産業廃棄物処分場をつくることを使命にしているのです。
Dわたしは、この二つの産業廃棄物処分場の見学で大きく五つのことを学びえたということです。それは次のことです。

・出来合いの組織(各種団体、行政区など)で産廃反対運
 動をすすめることはできない。
・専門家.弁護士など知恵と情報を活用しないと運動は進
 まない。
・暴力.脅迫的言動にも屈伏せず、産廃の搬入は、実力で
 阻止することが必要である。西吉野村も豊島も産業廃棄
 物を搬入させたという事実が、被害をここまで拡大させ
 る原因になったということ。
・県、業者を一切信用するなということです。今までわた
 しは、県は、県民の立場に立って、行政を執行してくれ
 ると期待していました。しかし、県は、産業廃棄物処分
 場業者、産業廃棄物処分場の設置を進めていく当事者で
 す。県と業者は一体だということです。産業廃棄物処分
 場設置を進めていく当事者との《協定、妥協、和解》も
 敗北への一里塚に通じるものだと思うようになるのです。
 考えてみればあたりまえのことです。産業廃棄物処分場
 をつくろうとするものとの、《和解》はありえないので
 す。安全な産業廃棄物処分場がない以上「つくるか、つ
 くらせないか」二つに一つしか、選択肢はないのです。
 そこに中間の道を選択していくことは、敗北に通じる道
 だということがわかったのです。
・産廃反対運動の教訓は、県に対する抗議だけでなく、業
 者に対する運動なしに、産廃の搬入はとまらない。当初
 から産業廃棄物の搬入を止めなければ、豊島や西吉野の
 ように長い闘いが必要になるということでした。


 (おわりに)
 二つの産業廃棄物処分場の被害の現実を見るうちに、西吉野村、
豊島の住民は、産業廃棄物処分場に本気で反対したのだろうかというかすかな疑問がありました。《なぜ、被害がここまできたのか》を考えるとき、住民の反対の声がなかったと思ったのです。しかし、それは、違っていました。産業廃棄物処分場反対の運動はあったのです。でも、産業廃棄物処分場を認める立場で協定・和解したときから、業者の協定破り、無法、不法なことが、県、行政のお墨付きで進められていったのです。豊島に対する香川県の責任は重大です。にもかかわらず、いまになっても県はその責任を認めようとはしていません。ただ「遺憾の意」を表しただけなのです。遺憾とは、「思い通りでなく、残念なこと」(国語辞典)です。西吉野村についても奈良県の責任は同様です。
 県と業者が一体になり、産業廃棄物処分場を強行したことが、この悲劇を生み出しているのです。そして、産業廃棄物の撤去・地域の再生活性化のために費やさざるをえない、膨大な犠牲と費用をおもうとき、第一歩でどのような運動を提起し、それを守っていったかが、決定的な課題になっていくと思います。
 歴史と運動には、もしという仮定はありません。しかし、私たちは、次の世代の産業廃棄物反対の運動を進めているものとして、
運動の教訓をしっかりと堅持していかなければならないと感じています。
 




 地盤の強弱が産業廃棄物処分場の要件であると述べましたが、私達は過去の資料だけではなく、地盤の調査も専門家によって調査してもらいました。京都大学防災研究所の助手中川鮮(あきら)先生に電気探査機を使って、専門的に調べてもらいました。地盤が脆弱なところがあることがこの事でも分かりました。その結果を意見書として、裁判所に提出しました。また、審尋(裁判では公判)で、証人として出廷してもらい具体的に証言してもらいました。その結果、過重な産業廃棄物を投棄すれば、地盤が崩落して、廃棄物が崩れ落ちることが分かりました。

 私達は、裁判と友に、産業廃棄物処分場の現地視察を実施しました。筑豊産業廃棄物処分場ツアーをおこないました。嘉穂郡筑穂町内住(ないじゅ)の(現飯塚市)の産業廃棄物処分場のでたらめな廃棄物の投棄状況を目の当たりにしたショックを受けました。また、山田市(現嘉麻市)の三派以上では、流水が流れている中に廃棄物を投棄して、赤茶色の水が流れているのを見ました。安定型産業廃棄物処分場は安全ではないという確信を強くしたものです。「百聞は一見にしかず」という諺を実感したのもこの時でした。

 視察は奈良県の西吉野村、香川県の豊島にも及びました。西吉野村では、果物の村にそびえたつ【産廃富士】を見ました。産業廃棄物処分場をどうやったらあの高さまで高く積み上げたかを、村民に聞き理解することができました。豊島では、石井亨さんから50万トン産業廃棄物が不法投棄された実態を説明してもらいました。硫化水素ガスのにおいと温度、高濃度のダイオキシンの怖さを改めて知らされました。

 視察で学んだことは報告書にして、町民報告会を開いてみんなのものにする努力をしました。

 産業廃棄物処分場に反対する一番早い方法は、産業廃棄物処分場の実態を自分の目で見ることです。