内科医
恥ずかしながら持病は痛風です。といっても現代人なら普通の食生活をしているだけで罹患するらしい。
足の親指が激しく痛むこの発作は、たまった尿酸の結晶を白血球やらが攻撃してくる際のものだと、ネットで調べた時に得た知識なのだが、先月3年ぶりに発作が出た時にかかった病院の院長の解説は違っていた。
メモ用紙に尿酸の結晶の図までかいて説明してくれた。「結晶というのはこんな風にとがっていて、これが患部を刺激するので痛むんです」ということであった。とても痛そうな図ではあった。
痛風について調べていたのは初めて発作をおこした3年前くらいのことだったので、うろ覚えながら、チクチクは関係ないんじゃないかと思っていたが、昨日のラジオ放送で痛風の特集があり「痛風の痛みの原因は白血球……云々」「よくいわれている、結晶の先がとがっているからというのとは違いますね……」と、どこかの先生がおしゃっていた。
図をかいてまで解説してくれたのが、誤った知識だったのかい。
引っ越し先の近くの内科の先生に、これからお世話になろうと思っていたのだけれど、この選択に迷いが生じた。
喫茶店で近所の親父が憶測で話をしているのではない。内科の話を医院で聞いたのである。
これではまるで、四六の蝦蟇の解説で、前足の指が四本(よんほん)とルビを打った日本語の先生と同じだよ(>_<
おてほん
女子高生の書き込みかと思ったら某有名社長だった。文章もさることながら、バイト並みの失敗を恥ずかしくもなく書き連ねているのには、呆れてしまいました。この会社では失敗しても笑ってすませてくれるらしい。素晴らしい。社員に寛容で愛情あふれる教育をしているようだ。
ミスタードーナッツのCMもそうだが「失敗しちゃった」「難しくて、うまくできないよ~」といわれても、お客の立場からすれば、そんなとろくさい店の内情を聞かされても飯が不味くなるだけだ。このCMを決済した経営者は、このようなアピールがお客に好感を持たれると思ってオンエアしているのか。
「こんど~、つくったトラックの車輪のハブが調子悪いんですよ~」「エンジン部分からも、火が出ちゃうこともあるんですよ~、私たちって、ちょっとドジだから」といわれても、消費者としては、指示はしかねる。
要は、教育する立場の人間を教育しなければどうしようもない。
金儲けがうまい、お勉強ができるという人がトップに立つのは当然だ。では、そのように立派な方でもはたして組織や学生を教育しきれるかということだ。上に対する教育など部下や学生ができない中、上のほうの方々はよほど慎重にことを運ぶべしと考える。
「会社の金で、ちょっと絵画を買っちゃった(#^.^#)」なんて、タコ社長から大企業の社長までフツーにやっているんだろうけれど、そんな立派な方から、倹約だのモラルだのと、ご注意をいただいても頂戴しかねます わな。
魚魚
車車車で轟なら、魚魚と書いてTOTOと読むらしい。評判の回転寿司に、親子で並んできました。小一時間待たされて食べたお寿司のお味は如何に。
まず、女性店員さんの「2名でお越しの○○さん」との案内に、順番リストの書き込みの、3名と2名を読み間違えているみたいだったから「こちら3名の○○ですが」と答えたところ、「じゃあ、3名でいいです」って応対されてしまいました。「じゃあ」ですか。
これまでにも、色々なお店でこの「じゃあ」という返事を聞いたのだが、どうも適切に使われていないような気がする。
とりあえず席につき、回転している皿から食べ始めたのだが、盛んに注文せよというので、廻っていないタネを数種注文した。他の席からも、注文の声が折り重なるように聞こえる。注文を受けた店員が鸚鵡返しで奥の調理場へ伝えているようだが、数カ所からの注文をいかに捌くのかが興味深い。
案の定、順番通りにお皿が届かない。再度、大きな声で注文しなおすと、お隣の席から「うちもまだこない」と小声が聞こえた。そういえば、かなり前にお隣さん、三皿注文して二皿しか来ず「残りはすぐにお持ちします」といわれていたっけ。20分くらいは経っている。
こういう時は地声がでかい方が通じやすいようで、こちらの分はすぐ運ばれてきました。お隣は無視のようだ。悲しそうなお隣のご婦人。食べたきゃ声出せよ、というシステムを理解して欲しい。
懐かしい。
中学校の時に昼食のパンをクラス単位で予約し、受け取り場所に引き取りに行くのだが、小さな窓口に一斉に各クラスのパン係が殺到するため、パンのケースを渡すおばさんの手がかりは「何年何組」という怒号だけである。ともあれ、後ろからでもでかい声で叫ぶと、おばさんが見事に反応してくれる。多くの声がでかい声でかき消され、頭に強引に伝わった数字とパンのケースの数字を反射的に探すようだ。
小生、食通でも舌が肥えている訳でもないので、寿司種の評価はできないが、それなりにおいしくいただけたと思う。だが家族の評価はかなり低かった。子供は「ネギトロ巻きのマグロの色が紫色で不味そう」女房も「にぎりのマグロの色が悪い。ハマチの活きが悪い。」そうだ。何か基準があるのだろう、兎に角、この寿司屋は二人にとって並んでまで食べるような店ではないらしい。
ただ気になったのは、このようなお店はお客の回転を早くして捌かないといけないのに、客の誘導、席の片づけ、注文品を素早く確実に届けることなどをきちんとしないと、再び店に足を運ばなくなるのではないか。我が家ではもうここに食べに来ることはない。待たされる、注文品がこないなどの理由もあるが、一番の不満は、お皿の単価が高いことだ。タネはもう少し小さくて良いので、150円くらいのお皿をぐるぐるして欲しい。機械で握った寿司に多くを期待しないので、注文システムを考え直して、お値打ちな皿をひたすらぐるぐるし、客も回転させた方が良いと思う。
自己投資または自分への投資
先週の良禽擇木でも書いたのだが、気になるので今一度、投資について考えてみた。「自分への投資」なることばが、多く使われるようになったのはいったいいつからだろう。
「自分で自分を褒めてあげたい」というのは、アトランタ五輪の時からだが、投資云々は昔からありそうな気がするが、ここ数年、「金持ち父さんなんたら」等の儲け系の本があふれ出した頃からなのか。
なんにしても胡散臭いことばだ。
お勉強資金が「自分への投資」ということなのか、将来役に立つであろうことに金を使うことなのか。
いままで知識を得るために色んなことにお金を使ったり、休日をつぶして学んだこともありましたが、やりたいことを早く習得したいがために、楽しみながらやっていただけである。本業の知識や技術の習得でも、上手くなりたいから努力し、すぐにも一人前になりたかったので練習しただけだ。そこに「自己投資」などという考えはなかった。
資格取得などにも自己投資ということばがよく使われる。将来にそなえてとか、たいして好きでもないのにいろいろな資格を取得することが、自分のスキルアップのための投資だというが、そんなものは単なるお楽しみでよく、余裕があれば積極的にやればよいことだ。自身が満足すれば大いに結構、それでいいと思う。それを自分への投資だとかいったり、あるいは勧誘する方が使ったりするのは、とてもいかがわしい。運転したければ免許がいる。歯を抜きたければ歯科医師免許がいる。現行制度ではあたりまえだ。やりたい、なりたいと思った時に、必要な資格を取ればよいのではないか。投資もなにも、資格がなければ実現しないのだからとらざるを得まい。
取引先から電話があった。クライアントからコンペのデザイン依頼をされたのだが、あいにく予算がないので「投資だと思って、無償でデザイン制作を引き受けてもらえないか?」
無償でコンペに参加すること、これを「自分への投資」といえるのか?
むしろ取引先が投資と考えてプレゼン費用を捻出したり、あるいは販促を成功させたいクライアントが、よりよい作品を集めるための投資と考えて、予算を組むことのほうが正しいのではないか。
八丁味噌
九州人にいわせると「泥水を飲むようだ」と評される赤味噌。愛知県ではごくふつうに食されている赤味噌だが、他の地域の人たちには馴染まないらしい。
赤味噌を飲み慣れていると、信州味噌などの白みそのみそ汁は味に深みがなく、塩辛い気がする。スキーにいったおりに民宿で出されるみそ汁は、総じておいしくない。味噌のせいなのか、作り方のせいなのか、みそ汁好きを自認する小生も、お代わりをすることはなく、やはり赤味噌が一番としみじみ思ったものである。
ただ、そんな赤味噌に関する知識となると、ながいこと接してきたわりには知らないことが多かった。そこで、お土産付きの工場見学に行って、暇をつぶしてきました。
夏休みの勉強コースがあり、電話で予約し、当日受付をすませたところ、待合室に大勢の幼稚園児と小学児童が跳ね回っておりました。他人の子供はただのうるさい獣のようで、じゃまくさい。
しかし、コースはがきんちょと中学生コースに分かれており、一安心。がきんちょさまは、そのテンションを維持して暴れまくってください。
中学生コース。まずビデオで、会社と味噌造りの案内を見た後、売店のおばさんによる講義があるのですが、質疑応答を交えたかなりの本気モードでした。さいさんメモを要求されます。
しかし、暗さは百難かくすと申しますか、売店のお姉さんかと思ったら、明るいところで拝したら、「おばさん」でした。といっても小生よりはずいぶんお若いのですが、俗に言うおばさん。太陽は物事を正直に照らすものだと、改めて思う次第です。
講義の中で、いままで知らなかったことの一つは、【赤味噌:豆を蒸したもの】【白味噌:豆を煮たもの】だそうで、米やら麦を混ぜる製法で味噌造りをすると、白くなると思っておりました。
そんなこんなで、詳しく味噌造りを見学でき、大変勉強になりました。小さいながら味噌の袋詰めもお土産にいただきました。
講義の冒頭にみせられた会社案内のビデオの社長挨拶部分で、思いっきり音声・画像が乱れまくっていたのは、会社に対する抗議だったのかを聞くのを忘れましたが、あの調子でしばらく流し続けていたとなると、どうも作為的ではないかと勘繰る次第です。社長、早々にチェックしてください。
敬称
チラシやパンフレットなどにある近隣地図上で、たとえば目印として,信号の角に牛丼屋があると、「吉野家さん」とうたれている表現が気になる。
地図に表記するのに敬称がいるのか。気持ち悪い。様ではなく「さん」がほとんどだと思うが、見るからに滑稽である。地図に「さん」があることが信じられない。
近隣の店舗や会社への配慮だとは思うが、地図を見てその名称がそのまま表記してあったとして、うちを呼びすてにしているので怪しからんと思うのだろうか。いや、過去にそんな「おばかさん」がいたかもしれぬが、それにしても、さんづけは頬笑ましすぎる。
近頃どうも、クライアントの方向違いを指摘せず、つくられたようなものが多くなったような気がする。
すべてご意向のままにつくるのも、進行するうえでやむをえないかもしれぬが、おかしいと感じれば、こちらとしての意見をぶつけるのも作り手の良心だと考えます。
いい大人が、姓にちゃんをつけて呼び合っているのも気持ちが悪い。自分のことをさんづけにしているタレントなど、「矢野さんの子供は…」って誰が誰だよ。ハンドルのさんづけ強要もどうだろう。だいたい受けねらいのひねったものや、おふざけがものが多いのだから、呼びすてでかまわないのではないか。
キームスビィミー
高校三年生、クラブ活動も後輩にゆずり暇な土曜日の午後、テレビでの競馬中継を楽しみにしていた。そこに登場するのは、遅れてきた天才長距離馬キームスビィミーと、怪物ラオスオー。
痛快でした。条件戦とはいえ出てくる度に圧勝するキームスビィミーや、どんなに斤量をしょっても猛然と直線で他馬に大差をつけて勝ち続けるラオスオー。
彼らの痛快な走りをみていると、ひととき嫌なことも忘ました。
就職してから初めて買ったのが、天皇賞でのキームスビィミーの単勝だ。馬券に夢を託すというより、実利を考えて買ったのであるが、ベルワイドの二着であった。
その後、ヤマニンウエーブの天皇賞で四着したのを最後に引退してしまったのだけれど、情報が途絶えてしまった。一応、種牡馬になったみたいだけれど、いかんせん長距離血統の遅咲きでは、あのころからの競馬には不向きなのだろう。
今思い出すと、ひいき目があるかもしれないが、馬体も均整がとれて美しく、風のように疾走するフォームが素晴らしかった。
いろんな馬を見てきたけれど、今でも時々思い出す印象深い競走馬です。


