ケニア留置所生活 vol.3 | 写真家・小澤太一の『logbook』

写真家・小澤太一の『logbook』

小澤太一のなんでもない毎日の記録集

【三日目】
絶望に打ち拉がれて目覚めた昨日の朝とはまるで違う…今日こそついに留置所から外に出られる日です。早くイミグレの人に来てほしい…それは午前なのか正午なのか午後なのか夕方なのか…早く知りたくて仕方ありません。そして一刻も早く外に出たい…

朝の点呼の後、いつもの掃除があり、そして朝ご飯にパンとティーを食べた後は、ただひたすらイミグレの人を待つだけでした。入り口の大きな鉄の扉の鍵が「カチャカチャカチャ……ガッチャンッ」と開く音にも敏感になり、開いた後、早く僕の名前が呼ばれないかと個室で待っていたりもしたけれど、なかなか名前は呼ばれません。

周りの人は、『タイチ、今日はやっと帰れるのか?』と名前を呼んで心配してくれるように仲になっていました。三日目になると、留置所の中にいる人も、少しずつ変わっていっています。それぞれの家に戻っていっているのか、それとももっと別の場所に連れていかれているのか…とにかく話す人が増えてきました。

留置所内にいる人同士の会話は基本的にはスワヒリ語です。なので、どんな話をしているのか、僕にはまるでわかりませんが、新しい人が入ってきて『なぜ外国人がいるの?』となっても、『あいつはTAICHIと言って、JAPANESEで、PICTURE撮ってたらARMYに捕まってここに来ている』…聞き取れる単語から想像すると、そんな説明をしてもらっているようでした。

なかなか姿を現さないイミグレの人、そしてボスを待っているのもしんどくなってきた午前中、早く時間が流れるのを期待して、僕はスワヒリ語を留置所にいる彼らから教えてもらうことにしました。運良くこの日は、数日前の新聞が留置所内に持ち込まれていたのでその広告ページのスペースが大きい部分に、監視の警察官の人にボールペンを借りて、ひとつずつスワヒリ語と英語と日本語を合わせていく作業。

『ジナヤコニナニ?』『WHAT IS YOUR NAME?』『名前は何?』

このような作業をいくつも繰り替えし、新聞の切れ端はいっぱいの文字で埋まりました。そして腕時計の時間を見ると正午を過ぎていました。

午後は裁判所に連れて行かれる人も多いので、留置所内が静かになります。そしてみんな共同スペースで太陽の光を浴びて暖かい中で昼寝をしたりするので、余計静かです。時間が流れるのをただひたすら待つだけの状況…というのがどれほど苦痛なのかは、これまでの二日間で痛いほどよくわかっています。留置所で天井だけ眺めて時間を待っていたら、きっと気が狂ってしまうような気がします。なにかをしなければ…そのような自分の精神状態を保つための強迫観念に襲われてきた午後…ただ、僕がこの日にできることは待つことだけ。もどかしさが募ります。

ふと気がつくと、ポケットの中には爪楊枝が一本入っていました。昨日、食事の時にもらってきたものでした。もちろん歯磨きなんてことはこの留置所内ではできないので、後で歯でも掃除でもしようかな、ともらっておいたものです。昨日ボスと話した時に返してもらったメガネを見ると、鼻あての部分にゴミがついていたので、爪楊枝を使いゴミを取る作業…これが限りなく楽しい時間に感じたのでした。作業をして結果が出る。ここでいうゴミ取りをしてキレイになる、というそれだけのことが生きている意味のようにも感じられるのです。ただ、天井をぼんやり見て待っていることでは味わえない、充実した時間を過ごしました。

ただ、メガネのゴミはそんなにあるものでもありません。他にやる作業もなくなって、あとでできることと言えば、伸びてきたヒゲを一本ずつ抜くぐらいです。うまくヒゲが抜けると新聞の切れ端になすりつけ、たくさん集まってくると味わえるなんともいえない充実感。時間がいつもよりも意味があるように過ぎて行っているような気がしました。

『午前中には来るんじゃない?』『きっと午後だよね。』『夕方前には来るかも、たぶん。』…周りの人は僕が『いつイミグレやボスがここに来るの?』と聞くたびに、言葉を変えながら慰めてくれます。『Don't mind』『Not Stress』…イライラし始めている僕にはうれしい言葉のプレゼントですが、しかし今、もっとも願っている、そして唯一のことはイミグレの人が来てくれて、外に出ること。

ちょっと太陽の光が黄色くなってきた頃、天井を覆っている金網の上に、くちばしが黄色いキレイな鳥がやってきて鳴きました。周りの人もそれを見て喜んでいたのですが、僕はなかなかやってこないイミグレとボスに苛立ち、そしてお腹も減っていたこともあって、ふて寝をしていたら、なんとその鳥が僕が着ていた黒いユニクロのウルトラダウンの上にフンをしやがりました。周りの人から『糞がつくのはラッキーなんだよ!』と、インドで牛のウンチを踏んだ時に言われたのと同じことを、ここでも言われました。

全然ラッキーじゃない今の自分の状況。昨日約束をしたはずだったボスは一度も顔を出してくれません。朝から待っていたイミグレの人も来てくれません。『今日、絶対に出られる』…そう思っていた僕の希望は、日が沈む頃には『もうこのまま出られないんじゃないか』という絶望にあっという間に変わってしまいました。

今夜で留置所での夜は三日目になります。入れられた瞬間にはすぐに出られるかも、と思っていたけれど、まさかこんなに長い時間、ここにいることになろうとは…そしていつになったら出られるのか…出たらどうなるのか…いろんな疑問が次々と襲いかかり、しかしそれに答えを出せる自分の経験もないし、留置所の中にいる人に聞いてもポジティブな意見しか帰ってこないし、監視の警察官に聞いても「それはボスしかわからない」「自分が決めることではない」というような、お役所的な発言のみだし…途方にくれることが、僕にできる唯一のことになりました。


日が完全に暮れた頃、二人の少年のところに二人分とは思えないほどの量のスパゲティが運び込まれてきました。他の人たちは、夕方にすでに食べ終わっているのに…と不思議に思っていたら、『今はラマダンで、イスラムの人にとってはとても重要な月なんだよ。だから太陽が出ている時にはご飯は食べないんだ』

留置所の中でも自分の宗教をしっかり守り、そしてそれを社会の制度としてもしっかり受け入れている。そういえば、今日読んだケニアの新聞にはアメリカのオバマ大統領が、ラマダンについてコメントしている応援メッセージのような記事が出ていたなぁ…と思い出しました。世界にはいろんな宗教があり、それを互いに認め合い尊重し、それを守る。一日一食だけの今月の彼らは、それを全部食べ尽くしました。

そろそろ寝る時間…ラマダン中の彼らも部屋に戻され、僕も自分の個室に帰りました。右手にしているリングをはずして、個室の外のうっすらとした裸電球の明かりで内側に刻まれた文字を眺めました。なにかを信じること…そしてその意味。この夜、気持ちの高ぶりがあったのか、それとも落ち込みがひどかったのか…いろんな複雑な気持ちが混ざりあい、夜中はなかなか眠れませんでした。寝つけないまま何時間も時間が過ぎ、『外に出たら何をしよう』…『日本に戻ったらあれをやっておこう』…『次の写真展はどんなものがいいか』…『こんな写真集を作ってみたいな』…『将来、こんなことをやってみたい』…普段、時間が過ぎていくのに追われてなかなか考えられなかったようなことを考えていました。一度も寝付けないまま、真夜中12時の点呼の時間になりました。夜も折り返し地点です。

ゆっくりと流れる夜の時間。ハエなのか蚊なのか…とにかくブ~~~ンという音に襲われながら…そしてちょっと冷え込んだ空気の中で毛布にくるまって考えている時間に…はいろんな考えが浮かんできました。いい想像やアイデアが浮かんでくると、それをしっかり頭に刻みつけ、悲観的になりそうな想像が襲ってくると、その度にリングを握りしめ、そして『明日はきっといい日になる』…そう願ってみるだけでした。それを繰り返しているうちに、いつのまにやら寝てしまったようです。