ケニア留置所生活 vol.2 | 写真家・小澤太一の『logbook』

写真家・小澤太一の『logbook』

小澤太一のなんでもない毎日の記録集

自分が持っていたカメラやパスポート、携帯電話などの荷物全部を署長室に預けて手ぶらのまま留置所へ…警察署の建物と同じ場所にありました。まず最初にされたことは、履いていたサンダルの片方だけと、メガネを入り口の警察官に渡さなければなりませんでした。留置所への入り口の扉は、大人が立ったぐらいの高さにわずかな覗き窓が付いているだけで、あとは頑丈な鉄の扉で中が見えません。その扉の中に入れられて見た最初の光景は、10畳ちょっとくらいの狭い共同スペース。見上げると金網が張ってあって、上からは逃げられないようになってました。そしてさらに鍵がかかる小さな部屋が全部で5つ。さらにトイレが2つ。水が出る蛇口がひとつ。それで全部です。

この留置所は男女共同でした。女性でぶち込まれている人も何人かいて、あとで聞いたところによると、盗みをして捕まったそうです。4歳くらいのかわいい子どもを一緒に連れての留置所送りのようでした。

5つの部屋のうち、ひとつは女性部屋。そしてもうひとつは僕の個別の部屋になりました。残りの3つに一般のケニア人男性が何人ずつか割当られて…初日、僕が入った時には全部で10人ぐらいの人が中にいました。

トイレは僕が見た中で、史上最高に汚いトイレのように感じました。取り調べ中からトイレに行きたくて仕方なかったので、留置所にぶち込まれて間もなくトイレに行ったのですが、紙がありません。『where is paper?』と監視の警察官に聞いたら『ないよ』と言われておしまいでした。仕方がないので、そのまま用を足しました。野糞の経験は何度もありますが、紙が無い中でのトイレは人生初かもしれません。

中に入った瞬間から、いろんな人が話かけてきます。『なにやって捕まった?』『気にすんな!』『おまえは中国人?』『ジャッキーチェン、知っているか?』…自分が留置所に入れられたショックで、すべての質問に一切答えず、誰とも話さずに割り当てられた部屋に入りました。4畳半ほどのさらに小さい部屋は、コンクリの床と壁に無数の落書きがあり、そして毛布が2枚置いてあるだけでした。そこでふて寝をするしかやることがありません。身体を横にして、ホコリ臭い毛布を頭から被りました。

ひょっとしたらすぐに出られるだろう…と思っていた僕の読みは脆くも崩れることになりました。留置所に入れられた時には真上にあった太陽がまもなく沈む頃、『ご飯の時間だぞ!』と言われたのですがそれを食べる余裕もなく、初日の夜は空腹だけどもメシは喉を通らない…そんな状態でした。ひとつだけうれしかったことと言えば、見回りに来た警察官が、太さが半分ほどになっている使いかけのトイレットペーパーを僕にくれたことです。これは僕が外国人だからだと思います。着ていたユニクロのウルトラダウンのポケットにそれをしっかり入れてまたもや眼を閉じました。

夜中に目が覚めて「何時だろう?」と思っている時に、腕時計をしていることに気がつきました。まだ9時半…ただ真っ暗の中でも、今が何時なのかがわかることは、このような精神状態の時にはとても意味があるのだと知りました。もし腕時計をしていなくて、今が何時がわからなかったら…それはとても恐怖なことなのがわかったんです。たとえさっき時計を見てから5分ほどしか経っていなくても、でも確実に時間が過ぎていっていることがわかればいいんです。いつか出られるかもしれないから…そんなふうに恐怖と孤独と不安の三つ巴の中、初めての留置所の夜が過ぎていきました。

=================================
【二日目】

ガチャリと個室の鍵が開けられ、『外へ出て並べ!』と警察官に言われました。腕時計を見ると真夜中12時ちょうど。深夜12時に点呼が行われるのです。半日前に入れられた時よりも人数が増えていました。これもあとで聞いた情報によると、夜になると酒に酔っぱらってケンカをして、ここに連行される人が多いそうです。

点呼といえば、他に朝7時。午後の3時にも定期的に行われます。つまり夜中の12時には名前を呼ばれるためだけに起こされて外に並んで、『タイチ、コザワ』と言われて返事をしたら、また部屋に戻るのです。一度起きてしまうと、今度は寝るのが大変です。なにせ真っ暗で寒くて、そして耳元でブ~~~ンとよく聴こえてくるんですから…。

朝6時半頃、再び僕の部屋の鍵が開けられ、外に出させられました。留置所の掃除の時間のようです。中にいる数人が名前を呼ばれ、共同スペースの掃除や、それぞれの部屋の掃除をする担当になるのですが、これが実に雑!まずはバケツで水を汲んできて、いきなりそれをまき、あとは小さな竹のホウキで水をはけながらゴミを流して、最後にボロボロの雑巾で軽く拭くだけなのです。なので、このコンクリの床がどれだけキレイなのかがわかるでしょう。名前を呼ばれなかった人は、ただそれを眺めているだけ…そして朝ご飯の時間になるのです。朝ご飯は、小さなパン2切れに、ティーが一杯。昨日から空腹の僕にはとてもうれしいものでした。

パンを食べてしまうと、今度は何もやることがなくなりました。時間だけが無意味に流れていく…そして早く流れてくれればいいのに、考えるだけしかない時間の流れるスピードはとんでもなく遅いのです。5分おきに腕時計を見るような感じで、そして全然時間が進んでいないことに絶望しながら午前中が過ぎていきました。

午後、『おい、ジャパァ~ン!』と警察に呼ばれ、僕は24時間ぶりに留置所の鉄の扉の外に出され、警察署内で初めて見る男と少し話すことになりました。そこでわかったのですがこの男は法律家のようで、どうやら裁判所に連れて行かれるようです。ひょっとして裁判所で話して解放されるんじゃないか?…そう感じながら、その法律家と一緒に警察の車に乗せられ、そのまま裁判所に連れて行かれました。

裁判所に着くと大きな牢屋がありました。入り口は大きな鉄格子で、映画で見たことがあるような、何人もの囚人たちが鉄格子を握って外の世界を見ている…見た瞬間ギョッとするそんな光景が眼に飛び込んできて、次の瞬間、僕もそこに入れられることになりました…ヤバい、ここはなんか雰囲気が違う…

その牢獄の中には20人ぐらいの人がいて、どうやらここで裁判の順番を待っているようでした。どんだけ待つことになるのか…そして待っている間にどんだけ怖いことが起きるかも…そんな恐怖に怯えながら奥の方に行くと、コンクリでできた座ることができるようなスペースがあり、ある男に「ここに座れ!」と即されました。恐る恐る、言われるがままに座りました。その男が僕よりも年上に見えたからです。じつは留置所内で見た人たちも、そしてこの牢獄の中にいる人たちも、パッと見た目は若い人たちが多いです。20代前後…の人がほとんどでしたが、この男は落ち着いた雰囲気があり、そしてよくわかる英語を話しました。

『なぜここに来た?』と言われ、僕はつたない英語で今までの経緯をゆっくり時間軸に起こったことを順番に話しました。留置所に入れられてたった一日…だけど孤独を感じる時間には十分な時間を過ごしてきた僕は、ここでこの男と話したことで、少しだけすっきりした気分を味わったのを覚えています。不思議な感覚です。

裁判の順番が回ってくるまでの1時間くらい、いろんな話をしてわかったことは…

●ケニア人ではなく、外国人だったこと
●バイクに一人で乗っていたこと
●なんでもない場所で写真を長い時間撮っていたこと

この3つの組み合わせがよくない、ということのようでした。だから怪しまれてしまったようです。バイクじゃなく車で行っていたら…バイクも自分で運転ではなかったら…サクっと記念写真だけ撮っていたら…『たら、れば』を言っても法なのか、もしくは権力なのか…その前ではどうにもならないのはこの一日で感じましたが、その男の話によると、僕は運悪く捕まってしまったようでした。つまり、ひとつひとつのこと、それ自体は特に悪いことではないようですが、組み合わせが悪くて…そして『アルカイダ』に疑われているようでした。

ケニアはアルカイダやアルシャバブの問題と直面しているのを強く感じました。日本にいたら考えられない…だけども、こちらではまさに現実にとても強く直視して解決しないといけない問題…その渦中に僕も飛び込まされたことになったのでした。

最後にその男が僕に、
If you want to raid motorcycle, you don't take photographs.
If you want to take photographs, you go by car.
と教えてくれました。

それからしばらくすると僕の名前が呼ばれ、裁判所に連れていかれました。中には全部で4人くらいの人がいて、ある男が右手を上げながらなにかの宣誓をして、全然意味がわからないような英語をペラペラ話して、僕はその言葉をまるっきり理解できませんでした。まるでやる気がない仕事っぷりのようで、僕が何度か『again』と言うものだから、さらにその男たちのやる気がなくなっていく…という悪循環。唯一わかったのが、『3日後にまた来い!』…

えっ、今日、外に出られないの?たった5分くらいで僕の初裁判は終わりました。再び絶望気分に浸りながら、警察署に連れ戻され、また同じ部屋に入る…

中にいた男たちが、昨日と同じようにいろんな質問をしてきました。『どこに行ってた?』『裁判所か?』『なんて言われた?』…昨日とは違い、一晩孤独を味わい、話すことに飢えていた僕は、それからいろんな話をすることになりました。なにせ時間は無限のようにあるわけだから…どうやらここにいる人たちはケンカをしたり、酒を飲みまくったり、家を壊しちゃったり…そうしてここに入れられているようでした。午前中には見かけた女性と小さな子どもがいなくなっていたのでどうしたのか尋ねたら、『彼女は家族が迎えに来て、今はもう外にいるよ』とのこと。外に出られる人がいることを聞くと自分に重ね合わせて、そして希望がわいてきました。

空が原色の青から濃い藍色になり、そして留置所内にオレンジの電球が着き始めた頃、偶然に署長がいることがわかり、入り口の見張りの警察官に、『I want to talk to BOSS』と主張し、そのチャンスをもらいました。今日二度目の留置所からの脱出。署長室でサシになり、いつ出られるのか聞いてみると、『明日には税関の人間がここに来て、そしてインタビューをした後、解放だ!』と言われました。『But Court tell me, come to there three day later…』って言われたことを伝えると、『そんなのオレが電話したら全部OKだよ』とニコって微笑んでくれました。

今まで、すぐに出られるのか、それとも明日に出られるのか、ひょっとして2~3日かかるのか、ひょっとして何ヶ月もここにいなきゃいけないのか…初めて味わう時間の感覚の中で戸惑い、悩み、落ち込み、打ち拉がれてきたけれど、やっと明確なリミットをひとつもらったことがなによりもうれしく感じたものです。明日一日がんばれば外に出られる!そう思えるだけで夜は怖いものでなくなり、時間のとても緩やかな流れも受け入れられるようになりました。そして、二日目の夜は、わずかな希望を手にしながら迎えることができました。