>macoさん
スポーツもルールを覚えて練習して試合をして、というところまでは楽しいのですが、試合に勝つために苦しい努力を我慢して優勝すると称賛されるという段階になるとだんだん怪しくなってきます。
例え優勝できなくとも苦しみに耐えるその過程が素晴らしい、から苦しみに耐えることそのものが目的化されてしまうともう最初のスポーツの楽しさから離れてしまいますね。
日本の経済も90年代後半から、企業はダウンサイジングという言葉でリストラを進め、それにともなって「痛みを伴う構造改革」が無条件で正しいものとされたのも、痛みや苦しみに耐える姿が感動を呼ぶスポーツからの演繹なのかもしれません。
政治家の目的は改革しなくていい社会の実現にあるはずで、改革が必要になっても国民ができる限り痛みを伴わない方法を選択するべきものです。
痛みを伴うのが当たり前のような風潮が普通になるから現政権支持者の「〇〇よりマシ」なんていう次善の策が最優先で選ばれるようになるのでしょう。
macoさんのおっしゃるように、人々の価値判断の基準がおかしくなっていますよね。