今日のリハビリでバイタルを測定したあとに早速.M先生に先週もう1人のO先生にとってもらった床→ベッドに1人で戻る動画をみてもらったへたすら「へえ」とリアクションしてくれて満足これから先.床からの立ち上がりができるようになったらまたO先生に撮ってもらいM先生にみせることになっているので「へえ」と言ってくれたらいいな ついでに数年前.離床したてのとき私が考えたベッドからの起き上がりかた(ベッドの頭をめいいっぱい上げていた)とベッドからの戻りかた(ベッド脇にあるポータブルトイレを利用していた)も実践してみせた今では.ベッドをフラットにしたまま足のあげおろしできるからなんとなく懐かしい動作だ。本日も肘立て→四つん這いもしたが頭が下がっていたので『あげてみて』と言われ真っ直ぐにあげても苦ではなかったので「次回から意識してやるように」と言われがんばっていくもう外は.夏のように暑くなってきたのでリハビリでは外に出ず家だけのトレーニングになる。 秋になるころまでに(昨年は10月末まで夏みたいでしたね)床から立ち上がりできて涼しくなったら外に行けるようになるといいなと思っていますそれが.理想というか計画ですが目標をめいかくにすることは大切なのでそれに向けて
今日も金曜日のリハビリなので床からの立ち上がりにチャレンジしてみましたまずいつものようにベッド横になった状態からゆっくりと両足を下ろして両膝立て状態になりベッドが.最低位置30cmだと両膝をのばしたくても物理的にのばしにくいとのことなのでお腹の位置くらいので高さまで上げ両肘をつき両膝をのばし足を少しづつ手前にひいてきて立つという方法に定まりチャレンジ しかしこの方法をチャレンジするのは初めてで両膝のびないので先生がお尻をあげもらい両膝がのびる感覚を身体に覚えさせてひたすらチャレンジしていくということに。すでに【立ち上がり投稿】シリーズ科していますが.何回目になるかわからないけどコツを掴みできることを信じてトレーニングしていく決意です最後に腕を使い1人でベッドに戻る動画を先生にとってもらったので。もう1人のリハビリ先生にみせたいと思います。どんなはんのうするかな 楽しみです
今日.先月末にした母のMRIによる画像結果が出たと兄弟のグループLINEで付き添いしてる姉から送信がきた結果.アルツハイマー型でもなく脳の血管損傷からくる認知症のようなので投薬治療はできず。生活習慣と食事習慣の見直し.血圧の管理をしていくしかないらしいまさかの結果に看護婦の姉は.もちろん私もショックをうけているが1人暮らしで認知症の母に習慣の見直しは難しいのでできることからやっていきたいと思う介護申請も必要だと姉も言っているのでかかりつけの医師と母と姉で相談しながらすすめていくことになるかとただ姉からきたグループLINEの言葉にあるようにかかりつけ医師が「介護申請は.まだ早いと言っている」そう。何でそんなこと言うかなちょっと疑問
いつも外出の足になってくれたりたびたび遊びにきてくれる近くに住む友達。今日は.一緒に住んでる実母さんも連れてきてくれて 何度か病気前は.友達んちに遊びいったときにお会いして話したけどうちにきたのは初めてのお母さん。70代くらいかないろいろな話しを聞かせてくれました。いつもチームに入りバレーボールをしてるのですが.昨年バイク転倒で膝を負傷したためバレーボールできず整形外科に通いリハビリ中。だいぶ良くなったけど膝が曲がりきらないので辛そうだったな。でも初めは松葉杖だったから良くなるでしょう。足が.健康じゃないって私も経験あるけど日常生活が大変だしね 友達は.いつも手ぶらでいいのに今日もお茶くれてお母さんが「ペットボトルあけられる」と聞いてくれたけどできるので『大丈夫です』と返して。そう言えば病気になったときは.握力なくなってどうがんばってもペットボトルあけられなかったなー。そんなことも今は懐かしい
火曜日リハビリのM先生.女性なので念のため立ち上がりのトレーニングはなしで金曜日のとき立ち上がりトレーニングの様子を毎週.口頭やジェスチャーつきで説明している とりあえず床に膝立て状態から腕の力だけでベッドに(先月だったかな)1人で戻れるようになったところをみてもらいたいのでリハビリ中に私のスマホで先生に動画を撮ってもらいM先生にみせようと思うと伝えた床からの立ち上がりができるようになったときも動画を撮ってもらいM先生にみせようと思う なかなか動作って自撮りできないし家族も面倒だと撮ってくれないからリハビリの時間.先生にたのんで記録に残していこうと思います。私が.がんばった証としてのちのちの思い出にもなるので
朝.【Day Day】をみていたのですが。この時期.咳が長引くようならマイコプラズマ肺炎を疑ってもいいとこの病気は.長男が新1年生になったときにかかりました。(今から23年前)初めは.咳が止まらず1週間小児科から出る風邪薬を飲んでいましたが全く変わらず再度に受診してマイコプラズマ肺炎と診断され1泊ほど入院して点滴治療して治りました。当時.長男は小さく障害もあるので個室といえども点滴外したりうろうろされても困るので昼間は私が付き添い.夕方から翌朝までは担任2人の先生が交互で付き添いをしてくれましたそのときの入院時期は.4月か5月くらいで次男が年中さんになったばかり三男は生後1か月か2か月くらいだったのでとてもありがたかったことを思いだします。(養護学校の先生だからしてくれたのかもしれないけど)そのときは.マイコプラズマ肺炎という病気を初めて聞きしたが子供に多く風邪と似て診断が難しいと。今年も流行ってきているそうなので風邪薬でも咳が止まらければマイコプラズマ肺炎を疑ってもいいかもしれませんね
父が.2021年に病気でなくなり1人暮らしになった母。それから少しづつ物忘れが多くなり.ついに先月4/19に姉に付き添われ【物忘れ外来】にいき長谷川式の問診テストを受けたら軽度認知症との診断うけた。さらに詳しく調べるため4/30にMRIなど画検査をして。その結果が.明日出るらしいアルツハイマー型なら薬が飲めるのでしっかり通院して状態を遅らせられると本人も近くに住んでる姉も楽だからそう願っている母に聞くと頭がモヤモヤして変な感じらしい。認知症のためにも長年続けてる組み紐の仕事をまだ細々と続けて手先を動かしているが それだけでは足りないので姉や私からデイサービスに通って人と話すのはどうかとすすめたが「いや」という。一見.社交的にみえるが人見知りな母。広く浅く付き合うタイプではなく狭く深く付き合うタイプだから友達はごくわずかしかいない。歳をとってまで嫌なことは.しなくていいと思うが母の近くにいながら働いてる姉の負担が大きいので症状がゆるやかになるためデイサービスに行って欲しいんだけどなテレビばかりだと一方的だから対面で人と話し頭を使って欲しい。まず今は.明日の検査結果が気になるところ
朝の家事と朝食終わり一段落してから母に電話いきなりの電話で「何どうした」とビックリしていたが『母の日だから。私.稼ぎないから何も買ってあげられないけど声だけでもね』と伝えると喜んでくれて以前.投稿に書いたが先月に軽度の認知症と診断され
もしかしたら今日.電話したことも忘れてしまうかもしれないけど今を喜んでくれてたらいいかなと思うようにしている。ちょっと忘れてしまうのは淋しいけどしかたないかな。あと母との思い出で私が病気になる約4か月前の正月帰省して帰ってきた晩に電話したとき長男への介助について「根気よく言えばわかるから何でもすぐに手を出さず声かけしてできるようにがんばりなさい」と言われ。つい『お母さんは.障害児を育てたことがないからわかんないんだよ』と言い黙らせてしまったその4か月後.私が難病になって入院して退院後は自宅に帰らず5か月実家で家族ごと療養になったときも私の介護をして長男の世話も父となしとげた母。(そのときすでに78歳と高齢)長男に根気良く話しかけてできることもたくさんできるようになったしその後.私たちは自宅にもどりましたが長男だけは引き続き引き取ってくれて平日は実家で4年過ごし両親が見事に世話してくれました。あの日.母に言ってしまったことを後悔して謝ったことがありますが。すでに母は私から言われたことも忘れて笑ってました障害者の介護ができないと思っていたけどやらなかった環境なだけでいざ環境になれば高齢になってもできた母は凄いなと尊敬しかありませんちなみに旦那の母は.私が病気してる間に重度の認知症になってしまったので何もしてやれず。電話して「どちらさまですか」と言われるのはさすがに能天気な私もさえられないと思うので