令和2年まで、福岡~鹿児島間唯一の夜通し交通機関でもありました高速路線バス「桜島号」の夜行便が存在しておりましたが、同年5月31日をもちまして「新型コロナウイルス」によりまして路線自体が運休、そして運行される事なく廃止されておりまして、これをもちまして福岡~鹿児島間の夜通しによります交通機関は姿を消しております。
この夜行便は、平成5年から平成16年まで、博多~西鹿児島(現・鹿児島中央)間に運行されておりまして、福岡から鹿児島への夜通しの交通機関の一つとして存在しておりました「ドリームつばめ」が廃止されましてからは唯一の夜通しの交通機関でもありましたが、この夜行便が廃止された事によりまして、福岡~鹿児島間の夜通し交通機関は全て姿を消しておりますので、正直夜通し利用ができなくなった事が伺わせております。
そんな夜通しの交通機関の一つとしてかつて存在しておりました夜行特急列車「ドリームつばめ」は、博多~熊本間及び水俣・出水~西鹿児島間では始発・最終の通勤列車としての姿も見せておりまして、その運行は、平成5年~平成7年、平成8年~平成16年までは以下画像の787系電車が、平成7年~翌平成8年にはその下の画像及び最後の画像の783系電車がそれぞれ運行されておりまして、昼行で見られる車両が夜行でもその姿を見せておりました。
【これら画像はイメージです】
(787系電車)
(783系電車)
画像は、787系電車の「ドリームつばめ 西鹿児島」の方向幕でありますが、この方向幕こそかつての「ドリームつばめ」が存在していた証を見せておりました。尚、この方向幕は、令和4年9月改正まで南福岡車両区の6・7両編成の車両で見られておりましたが、新たな行先(「かささぎ 博多・吉塚」)に換装された事で姿を消しております。
しかし、それ以前に存在しておりましたのが、「ドリームつばめ」の前身の急行「かいもん」でありまして、門司港~博多~西鹿児島間で運行されておりまして、以下画像の時刻表(時刻表は平成元年時刻表を引用しています)がそれを物語っております。この存在も、高速道路網が整備されていない中でもありましたので、そんな中でのこの存在は大きかったのではないかとも思います。
この「かいもん」とは、これまではキハ55系気動車やキハ58系気動車によって運行されておりましたし、のちに近郊化される事になります475系電車・455系電車で運行された事もありましたが、昭和50年代には夜行のみの運行となりまして、その際には10系客車と言った旧型客車が使用されておりました。
その後、「ブルートレイン」として使用されておりました以下画像の20系客車+12系客車が門司港~宮崎~西鹿児島間(宮崎~西鹿児島間は普通列車)で運行されておりました急行「日南」とともに使用されていた事もありましたが、国鉄末期に寝台車が24系25形客車に変更されまして、以降平成5年まで24系25形客車+12系客車の編成で運行されておりました(急行「日南」は後に博多~小倉~宮崎~西鹿児島間の運行です)。
(福岡市貝塚公園に保存、ナハネフ22 1007)~平成23年撮影、実際に「かいもん」・「日南」にも使用されていたようです(現在は塗り替えられるなどしてきれいになっております)
しかし、当時はその「かいもん」で裁ききれないほど多客期はいらっしゃったようでありまして、夜行の臨時列車も運行されていた事もありました。その中には、寝台車しか連結されていない列車も存在していたようでありまして、寝台特急を表す星のマークも見られておりました。今回ここからは、実際に見られておりましたこれら臨時列車に関しまして皆様にご紹介してまいります。
画像は、上の画像にもあります平成元年の時刻表であります。この時刻表では、当時鹿児島線を代表します特急列車でありました、現在は上り1本しか存在しなくなりました「有明」の博多~熊本間増発列車や、臨時急行として運行されておりました「ひのくに」の時刻も見られております。
そして、その中には夜行の「有明」も1往復存在しておりまして、各駅で時間調整を行いながら西鹿児島~博多間を運行していた事もわかるのではないかと思います。実際に、以下画像の「有明95号」の場合は、熊本・荒尾・大牟田の各駅で時間調整を行いながら運行されていた事もわかるのではないでしょうか。尚、使用車両は「ハイパーサルーン」からもわかりますように783系電車でも運行されておりましたし、485系電車でも運行されておりました。
さらに、その「有明」に加えまして運行されておりましたのが画像の時刻にもあります、現在は高速路線バスの愛称が定着しております「桜島」でありまして、先述のようにオール寝台車の「ブルートレイン」と言う形でもありましたので、時刻表でも星の形で表示されていたのが特徴でありました。
「桜島」は、昭和30年代より、山陽新幹線岡山~博多間が開業します昭和50年まで運行されておりました夜行急行の愛称でありまして、当初は京都~西鹿児島間でありましたが、のちに東京~西鹿児島間と、寝台特急「はやぶさ」と同区間で運行されていたものでありました。
その後、この愛称は消滅する事になりましたが、昭和60年より博多~西鹿児島間の増発列車として運行を開始するようになりましたが、増発列車の中にご紹介しております「有明」も存在している事もありまして、片道のみの運行となっておりました。
使用車両は、画像の「はやぶさ」および「なは」などに使用されておりました24系25形客車でありまして、編成も4~6両と比較的短編成で運行されていたようであります。
結局は、この時刻表の掲載年翌年の平成2年に「桜島」の運行は終了しまして、以降は平成7年に「霧島」に代わります(九州内で愛称を使用するため)臨時急行列車の愛称にもなっておりましたが、翌平成8年に運行を終了しまして、以降この愛称は使用されないまま現在に至っております。
今回は、鹿児島線の臨時夜行列車に関しましてご紹介しましたが、この「桜島」と言う愛称は、冒頭や先述のように現在は高速路線バスの愛称と言う印象が強いのではないかと思います。けれども同じく福岡~鹿児島間を結んでいる訳でもありますし、これまでの運行区間自体も八代~川内間で第3セクターの肥薩おれんじ鉄道となっている事や、ブルートレイン客車自体もいなくなっているなど今後この愛称自体も見られないのではないでしょうか。本当に、夜行高速バスの廃止もあり福岡~鹿児島間の夜通し交通機関は完全に姿を消しておりますが、かつては鉄道に関しましても賑やかな部分もあった事を存じていただければと思います。