番外 唐津線・筑肥線で活躍、唐津車両センターに最後まで所属していた、キハ47形原型エンジン車3両 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 佐賀県内の西唐津~唐津~久保田(・佐賀)間を結びます唐津線、唐津・山本~伊万里間を結びます筑肥線(西線)と言いますと、画像の唐津車両センターに所属しますキハ40系気動車(キハ47形)・キハ125形気動車が運行されておりまして、日中は1両・2両各編成の列車が運行されている事はこれまでも当ブログでもご紹介しておりましたのでご存知の事と思います。

 

 これら列車は、唐津線に関しましては朝夕の一部の列車を除きまして、筑肥線(西線)に関しましては全列車ワンマン列車による運行となっておりまして、そう言った事から1両・2両各編成の運行が見られております。

 

 やはり、沿線の需要を見ましても、こう言った短編成での運行と言うのもわからなくもないようでもありまして、時間及び区間によりましては空いている列車も見られますので、沿線地域の過疎化も関係しているようですし、実際日中や夜間には画像2のように唐津線でも1両の列車も見られております。実際に唐津市の相知・厳木地区、多久市・伊万里市の沿線では過疎化も進んでいるそうでもありまして、そう言った事から平成30年のダイヤ改正では減便も行われているなど、正直残念な所も見られております。

 

 

 さて、唐津車両センターの所属車両は、現在キハ47形気動車が9両、キハ125形気動車が7両計16両が所属しております。その運行パターンも、画像のようにキハ47形気動車・キハ125形気動車と混結している姿も見られておりまして、全てがキハ47形気動車で組成されている車両は見られないのが現状でもあります。それほどキハ125形気動車が他系列との混結が可能となっている事が大きいですが、唐津車両センター所属車両はそれにあやかっている事もキハ125形気動車が運行を始めました平成5年より見られている事が現状でもあります。

 

 (「ロマンシングサガ」ラッピング、キハ47形気動車3両+キハ125形気動車1両)

 

 (キハ47形気動車1両+キハ125形気動車3両)

 

 (キハ47形気動車+キハ125形気動車各1両)

 

 尚、令和4年9月より気動車の所属車両全車におきまして「ロマンシングサガ」ラッピングが佐賀県とコラボレーションした形で運行されておりまして、様々な名所の姿を車体におきまして見る事ができるようになっております。

 

 

 そんな唐津車両センター所属気動車では、キハ47形気動車に関しまして令和2年から翌令和3年にかけまして動きが見られておりました。

 

 令和2年には、8126が鹿児島車両センターから転属、翌令和3年には同じく鹿児島車両センターから8051・9097が転属しておりまして、現在も唐津線・筑肥線におきまして活躍を続けております。

 

 【いずれも「ロマンシングサガ」ラッピングです】

 (キハ47 8126)

 

 (キハ47 8051)

 

 (キハ47 9097)

 

 

 そして、これら3両の転属によりまして姿を消しましたのが、原型エンジンのキハ47形気動車3両でありまして、令和2年に廃車となりました1両は既に解体、そして令和3年運用を離脱しました2両も既に解体されておりまして、これによりまして唐津車両センターに所属しておりました3両はすべて姿を消しております。今回は、これら3両に関しまして収めておりましたので、皆様にご紹介してまいります。

 

 

 まず、ここで述べております原型エンジンと言いますのは、キハ40系気動車のオリジナルのエンジンの車両を表しておりまして、現在そのほとんどが300馬力のコマツ製のSA6D125系エンジンに換装されておりまして、そういった所から8000番台もしくは9000番台に改番されております。

 

 しかし、原型エンジンはこれらエンジンに換装されていない、最大250馬力のDMF15系エンジンを搭載した車両を表しておりまして、昨年までは直方車両センター博多運用に所属しておりましたキハ40 2037・2053が最後の2両で存在しておりましたが、残念ながら全廃となっております。

 

 (キハ40 2037)~令和3年唐津線・筑肥線団体列車運行時撮影

 

 (キハ40 2053)~平成31年3月撮影

 

 

 ここからは、唐津車両センターに所属していた3両をご紹介してまいりますが、まずはトイレ付きでありました2両をご紹介します。
 
 (キハ47 128)
 
 (キハ47 136)~先頭

 

 この2両は、いずれも昭和56年に以前は鉄道車両も製造しておりました富士重工で新製されましたものでありまして、128が新製配置は佐世保車両センターの前身の早岐機関区で、佐世保線や長崎線・大村線・旧松浦線、昭和58年までは筑肥線全線(伊万里~東唐津(初代)~博多間)で活躍しておりましたし、136がJR西日本姫路運転区の前身であります姫路機関区で新製配置されておりまして、播但線や姫新線で活躍しておりました。

 

 しかし、わずかな間に136は早岐機関区に転属しまして、早岐機関区が担当していた路線にて活躍しておりましたが、昭和59年にいずれも唐津運転区に転属しまして、唐津線・旧佐賀線などの路線で活躍するに至っておりました。

 

 

 次は、トイレなしの1両であります1127であります。この車に関しましては、上の2両と同様昭和56年に新製されたものでありますが、こちらは新潟トランシスの前身であります新潟鐵工所で新製されたものでありまして、熊本車両センターの前身であります熊本運転所に新製導入されたものでありました。

 

 熊本運転所に導入されますと、三角線や豊肥線などで運行されておりましたが、JR化直前の昭和62年3月末に唐津運転区に転属しまして、以降唐津線・筑肥線、平成3年までは長崎線や久大線までも他の車とともにで運行されておりました。

 

 

 所で、136・1127は平成3年に最初にワンマン改造されたグループのうちの2両でありまして、それに関しました装備も設けられておりました。その装備は、車外ドア横に電照式のワンマン表示器、車内ドア上にはワンマン時に切り替えが可能なパネルも設けられておりました。これらは後に電照式のワンマン表示器は撤去されましたが、パネルは1127は最後まで残されておりました。

 

 (通常時)

 

 (締切時)

 

 

 しかし、原型エンジンゆえ両数を減らして行きまして、平成31年3月の改正からしばらくしまして8126が転属した事に伴いまして136が定期運用を離脱、翌令和2年に小倉総合車両センターに廃車回送、その後解体されております。

 

 

 また、他の2両であります128・1127も令和3年に8051・9097の転属に伴いまして定期運用を離脱、唐津車両センターに隣接します西唐津駅のホームから見られる場所に留置している姿が見られておりましたが、同年4月末に小倉総合車両センターに廃車回送されておりまして、これによりまして唐津車両センターに所属していた原型エンジンの車両は全て姿を消すに至っております。

 

 (キハ47 128)

 

 

 今回は、唐津車両センターに最後まで所属しておりましたキハ47形気動車の原型エンジン3両に関しましてご紹介しましたが、これら3両はいずれも昭和56年製という事で、キハ40系気動車の中では最も新しい分野でもありました。しかし、それでも8000・9000番台の機関改造の対象にもならずこのような運命へ至ってしまった事に関しましては、機関改造車が健在な姿を見せている事を思いますと正直残念かなと言う所でしょうか。先述のように、既に最後まで残りました直方車両センターも廃車となりまして原型エンジン車は全廃となってしまっている今、このような独特のエンジン音が聞こえなくなるのは残念でなりません