NO.2970 令和2年筑肥線・唐津線を運行、キハ66・67系110番ユニットによる団臨撮影記録 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 令和3年6月まで、長崎地区では佐世保車両センターに所属しておりましたキハ66・67系気動車が最後の運行を行っておりまして、最後に残されておりました8ユニットも同年6月30日の運行を最後に運用を離脱しておりました。

 

 このキハ66・67系気動車は、これまでも当ブログでもご紹介しておりますように元々は筑豊地区の輸送を目的として15ユニット30両が昭和50年に導入されておりまして、440馬力と言う強馬力を生かしまして筑豊線・日田彦山線・久大線などで活躍しておりましたが、平成5年からエンジン換装を行いまして420馬力に下げまして運行されておりました。

 

 さらに平成13年に旧長崎車両センターに全車転属、そして長崎駅高架化などに伴いまして、旧長崎車両センターが閉所した事に伴いまして佐世保車両センターに所属するようになりましましてからは、長崎線(諫早~長崎間)・佐世保線(早岐~佐世保間)・大村線で運行されておりまして、運行区間が長崎地区に限られておりましたので、乗客にも貴重な車両である事をアピールしまして運行されておりました。

 

 けれども、YC1系気動車の増備に伴いまして、先述のように令和3年6月30日に8ユニットは離脱、翌令和3年7月1日からは2箇所に疎開留置しまして、小倉総合車両センターへの「呼び出し」を疎開先で待つ姿も見られておりました。

 

 (八代駅構内、6・8番ユニット)

 

 (川尻信号場、3・1・110番各ユニット)~他に2・12・7番ユニットもありました

 

 しかし、5ユニットが昨年1月までに廃車回送されまして、その後解体、最後まで残されておりました上の画像の3ユニットも昨年12月に廃車回送されておりまして、このほど以下画像の110番ユニットの解体が行われております。

 

 (110番ユニット)

 

 

 そんなキハ66・67系気動車と言いますと、これまでも団体臨時列車で運行されている所が見られておりまして、運用を離脱する直前まで九州内各地で運行する姿が見られておりましたが、今回ご紹介しますのは、令和2年9月に筑肥線・唐津線を運行しました、キハ66・67系気動車の団体臨時列車の模様を皆様にご紹介してまいります。

 

 

 ご覧の皆様もご存知のように、キハ66・67系気動車の唐津線・筑肥線運用と言うものは残念ながらありませんでしたが、団体臨時列車としての運行はこれまでも何度か見られておりました。

 

 この時運行されておりましたのは、国鉄色キハ66・67形で行く筑肥線唐津線ツアーとして運行されていたものでありまして、先述のように先日解体されました110番(キハ66-110+キハ67-110)ユニットで運行されていたものでありました。

 

 そんな110番ユニットと言いますと、「国鉄塗装」化後には様々な団体臨時列車で運行される機会がありましたが、唐津線にはこれまでも数度団体臨時列車で運行されていた経歴もありまして、平成25年には以下画像のようにキハ66・67で行く、西九州ぐるり撮り旅と言う名称でJR九州大分支社が企画の上で運行されてもいました。

 

 

 さて、この時の運行区間は以下のようになっておりました・・・

 

 西唐津~(回送)~筑前深江~西唐津(唐津車両センター撮影展示)~佐賀~鳥栖~博多~(回送)~西唐津(9月26日のみ)・早岐(9月27日のみ)

 

で運行されておりまして、団体臨時列車の運行区間では9月26日・27日とも同区間で運行されておりまして、「新型コロナウイルス」対策としまして、座席も全ての座席を使用せずに運行されてもいました。

 

 

 まずは令和2年9月26日の撮影の模様をご紹介します。画像は朝出勤時に佐賀県唐津市の唐津車両センターで収めたものであります。既に前日の9月25日に早岐駅から西唐津駅へ回送しておりまして、検修線の横に留置されておりましたので、画像にもありますように2両フルでの「国鉄急行色」の姿を収める事ができておりました。

 

 この110番ユニットと言いますと、かつては画像のキハ66-110にて推進軸が落下すると言う大きな事故がありましたが、台車交換によりましてキハ66 10からキハ66-110に改番、そして「国鉄急行色」に塗り替えられておりました。また、同じく「国鉄急行色」に塗り替えられておりましたキハ67 10に関しましても、キハ66-110と同様台車交換を行いまして、キハ67-110に改番しまして運行されておりました。

 

 (キハ66-110)

 

 (キハ67-110)

 

 

 この唐津車両センター撮影時は、キハ40系気動車の中でも機関未改造車のキハ47 1127の姿がありました(連結相手キハ47 8062)。この当時機関未改造車が他にキハ47 128も見られましたが、これら2両は翌令和3年のダイヤ改正で定期運用を離脱、のちに小倉総合車両センターにて解体されておりまして、まさに機関未改造車の宿命であったと言う所でしょうか。

 

 また、同じく令和2年9月に福岡市交通局(福岡市地下鉄)空港線赤坂駅で発生しましたパンタグラフ火災の該当車でありました303系電車K01編成(火災該当、5号車)のうち、4~6号車が別の場所へ移動、1~3号車が留置されておりまして、普段見られない姿が見られておりました。この火災の原因も、人的ミスであったようでしたが、今後そう言った事がないように気を付けていただきたいものであります。

 

 

 この後は、仕事のため出勤しましたが、昼休みに唐津駅におきまして撮影を行いました。この時には多くの「撮り鉄」の姿が見られておりましたが、その一人として私も来ておりました。

 

 筑前深江駅から西唐津駅、そして唐津車両センターでの撮影会を終えまして、列車は佐賀駅へと向かいますが、私も画像のように収める事ができておりました。が、残念ながら画像はご覧の通りブレブレの状態でありまして、うまく収める事ができませんでした。

 

 私は、この後唐津駅から鬼塚駅へと移動しますが、その際に1番ホームに停車しております佐賀駅への団体臨時列車の姿も収める事ができておりましたが、この姿を見ましても私自身にとりましてはかつての急行「平戸」を思い出させるような姿であった事を覚えております。実際に、当時この1番ホームから急行「平戸」は発着しておりましたので。

 

 (アップ)

 

 

 この後、マイカー移動しまして鬼塚駅へとやってまいりました。この団体臨時列車は、この鬼塚駅など複数の駅にて撮影のために停車するようになっておりましたので、このように収めるに至っておりましたが、普段見慣れない分、見ていて新鮮さも感じさせられておりました。

 

 列車は、この鬼塚駅に10数分ほど停車します。私も何とか青空にこの車を絡めまして収める事ができておりましたが、この日は昼頃まで雨が降ってもいましたので、正直晴れてくれてよかったなとも思ったほどでした。

 

 上の画像を収めますと、ドアが開きまして団体臨時列車の乗客も撮影されておりました。やはり乗客の皆様も晴れてくれて良かったのではないかと思いますが、いろいろなショットを収めるために乗客の方々も様々な構えをしまして撮影されている姿を私も収める事ができておりました・・・。

 

 

 こうして、列車は鬼塚駅を発ちまして佐賀駅、そして鹿児島線を経由しまして博多駅へと向かいました。そして、上にもありますように再び翌日の運行に備えるために西唐津駅・唐津車両センターに戻りまして、初日の運行を終えるに至っておりました。

 

 

 ここからは、翌9月27日撮影分であります。この時は、私が出勤前に唐津駅で収めました画像のみでありました。本来ならば前日と同様お昼休みに収めたかったのですが、この日は仕事が忙しかった事から列車が来る時間帯の昼休みが取れなかった事もありまして、結局はこの出勤前の画像が今回のキハ66・67系気動車の団体臨時列車(この時は回送列車)の最後の撮影と言う事にもなりました。

 

 

 さて、私は朝8時過ぎに唐津駅へとやってまいりましたが、画像にありますように、この数分後に西唐津駅から筑前深江駅へと向かいます回送列車がやってまいりまして、この後唐津駅に入線する事になります。

 

 

 そして、普段は筑肥線の電車が停車します4番ホームにキハ66・67系気動車110番ユニットの回送列車は入線してきました。まさにイレギュラーな列車がこのホームに入ってきたと言う印象でもありますが、正直この時ならではな印象さえも感じさせられる所でもありましたでしょうか。尚、列車はここで約15分停車しまして、この後やってまいります列車を行かせる形となっておりました。

 

 

 その後やってきましたのが、103系1500番台電車(E17編成)で運行されておりました784Cでありました。この列車、よく見ますと行先は福岡空港となっているのがわかりますが、これは先述の303系電車K01編成のパンタグラフ火災や、K02編成が福岡市交通局姪浜車両基地に全検によりまして入場していた事で車両不足となっていた事から、この784Cが西唐津~筑前深江間で103系1500番台電車で代走運転が行われておりまして、筑前深江駅から別の電車に乗り換える形で運行されておりました。

 

 (連結器が左にずれています・・・)

 

 (側面行先、「福岡空港」です)

 

 尚、この運行はさらに12日間運行されておりまして、平日は唐津~筑前前原間を快速列車として運行されております1630Cで唐津~筑前前原間を代走しておりまして(筑前前原駅より別の列車が代走)、普段は使用されない快速行先を出しまして運行されておりました。

 

 その784Cとキハ66・67系気動車110番ユニットとの並びです。これらはいずれも国鉄型の車両でもありますが、普段103系1500番台電車と国鉄型気動車との並びはキハ47形気動車しかありませんので、キハ66・67系気動車、しかも「国鉄急行色」ですので、まさに珍しい並びが実現しておりました。ちなみに、もしも現在までキハ66・67系気動車が存在していたならば、1番もしくは110番ユニットと「国鉄塗装」のE12編成との絡みも見たかったなとも思う所でもありましたでしょうか。

 

 

 784Cを見送りまして、110番ユニットが停車しております4番ホームにやってきました。先述のように、普段この4番ホームには電車しか入りませんので、こういった気動車の姿も珍しいかなとも思うような姿でもありました。

 

 この時は、ご紹介しておりますように筑前深江駅まで回送中でもあります。そのため行先は「回 送」である事がわかりますが、筑前深江駅からは、逆に上の画像にありますように「団 体」の表示に変更する事になります。

 

 外から窓越しに車内を収めたものです。この時のシートの進行方向は西唐津方を向いておりまして、この後筑前深江駅から西唐津駅まで利用される方へ向けて合わせられている姿が見られておりました。この姿からもスタンバイはOKであった事が見ていて伺わせておりました。

 

 佐世保車両センターが製作しました、キハ66・67系気動車の「国鉄急行色」向けの案内板です。ここでは「国鉄色の特別塗色は4両のみで、昔懐かしいレトロな雰囲気が漂う車両です」と書かれておりましたが、確かに青地の「SSL塗装」や、12番ユニットの「ハウステンボス塗装」と比べますと、国鉄時代に見られていた塗装でもありますので、よりそう思う所でもなかったかと思う所でもありましたでしょうか。

 

 (アップ)

 

 

 この後、キハ125形気動車で運行の筑肥線(西線)伊万里行き2525Dが3番ホームにやってまいりまして、その下の画像にもありますようにホームを挟んでの2ショットを収める事ができました。それにしても、「国鉄急行色」黄色の絡みが同じ淡色系でもありますのでよく合っているのではないかとも思います。尚、この撮影車両のキハ125-9は令和4年に大分車両センターに転属しておりますので、唐津線・筑肥線では見る事ができなくなっております。

 

 (キハ125-9との2ショット)

 

 

 そして、筑前前原方面から621Cがやってまいりまして、到着後すぐに筑前深江駅までの回送列車は発車して行きました。先述のように、仕事の都合もありまして、これが最後に収めた画像でもありましたが、それでも何とか収める事ができただけでも良かったのではないかと思っております。

 

 

 その後は、ご覧の皆様もご存知のように、翌令和3年6月末で定期運用を離脱、そして熊本市の川尻信号場に疎開留置されましたが、昨年12月に小倉総合車両センターへ廃車回送、そしてこのほど解体されるに至っておりまして、この110番ユニットの雄姿ももう見られなくなっております。

 

 また、唐津線・筑肥線へのキハ66・67系気動車の入線は最後の月の令和3年6月でしたが、最後は画像の「SSL塗装」の2番ユニットで運行されておりまして、「国鉄急行色」での入線は見られませんでした。

 

 

 今回は、令和2年に運行されておりました、「国鉄急行色」でもありましたキハ66・67系気動車110番ユニットの筑肥線・唐津線入線の模様をご紹介しましたが、やはり普段見慣れない列車でしたので、多くの「撮り鉄」の方がいらっしゃるなど賑わっていた所が懐かしく感じさせられます。しかし、活躍の場が新たな気動車に置き換えられた今となれば、姿を消してしまうのも致し方なかった所でもありましたでしょうか。残念ながら、これまでも述べておりますようにこのほど解体されてしまいました110番ユニットでしたが、この車も長崎地区とともに、別路線でのイレギュラーでの活躍していた姿も忘れてはならない所ではありましたでしょうか。

 

 (注)ここに出てきます列車番号・車両は、全て撮影しました令和2年当時のものです。