番外 現在も一部名残あります、西大分駅から大分港へ貨物線が存在、大分臨港線廃線跡過去撮影画像より | コウさんのコウ通大百科 PART3

コウさんのコウ通大百科 PART3

在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 大分市の大分駅の隣駅でもあります日豊線西大分駅は、これまでも当ブログでもご紹介しておりますように、大分地区の貨物の拠点でもあります駅でもあるのが特徴であります。

 

 この西大分駅では、旅客列車に関しましては、画像2にもありますように島式ホーム1面2線となっているのが特徴でありまして、画像の南福岡車両区の813系電車や大分車両センターの815系電車などと言った普通列車が停車する駅でもあるのが特徴の駅でもあります。
 
 尚、上の画像1の駅舎はJR貨物の駅舎として存在しておりますが、現在は運送会社の営業所が置かれるのみとなっております。実際は、以下画像のように駅向かいの所に大分総合鉄道部と併設した駅舎が設けられておりまして、大分地区の貨物の拠点とともに日豊線貨物列車の拠点としての姿が見られております。
 
 ちなみに、旅客の駅舎は設けられておりませんが、ホーム上に窓口・券売機が設けられております。この姿からも旅客駅としての印象は薄くも思いますが、それでも停車本数は圧倒的に旅客の方が多いのがこの駅でもあります。
 
 
 そして、西大分駅の大きな特徴は、先述のように大分地区の貨物の拠点となっているのが特徴でありまして、貨物列車も定期2往復、臨時3往復の列車が運行されております。実際に、以下画像のコンテナの姿を見ますと大分地区の貨物の拠点であるのが実感できるのではないでしょうか。

 

 ちなみに、西大分駅と言いますと、一番見えますのが昭和電工所有の「ポリゾール」コンテナの姿が見られる駅でもあります。このコンテナも、昭和40年代後半に製造されましたUT1形コンテナではありますが、現在も運ぶ個数は少ないものの、数個ずつは輸送されているようであります。
イメージ 4

 

 (逆方向)
イメージ 5
 
 (貨物列車による輸送シーン)

 

 

 さて、そんな姿も見られます西大分駅でありますが、実は画像の手前側より今回ご紹介します「大分臨港線」と呼ばれます日豊線の貨物支線がかつて昭和59年まで存在しておりまして、それに加えまして貨物列車も運行されておりました。今回は、以前この貨物支線の廃線跡を収めておりましたので皆様にご紹介してまいります。尚、詳しく残っております旧王子町駅付近までを特にご紹介しますが、それより先に関しましては残念ながら撤去後面影がほとんど残っていないと言う事もありまして、今回画像はない事をご容赦いただきたいと思います。
イメージ 6
 
 
 この大分臨港線は、その西大分駅より旧大分港駅まで延びていた貨物線でありまして、途中で金谷橋・王子町と呼ばれる駅も存在していたのだそうです。特に旧王子町駅に関しましては、スイッチバックの駅となっていたようでありまして、それから港に沿って旧大分港駅へと延びていたようであります。
 
 
 ここからは廃線跡をご紹介してまいりますが、画像は西大分駅より分岐した付近であります。実際に画像の奥には日豊線の線路も見る事ができておりますが、画像の撮影している部分も、路盤が残っている事もありまして、かつての姿を残しているのがわかるのではないかと思います。
イメージ 7
 
 
 こちらは、さらに進んだ所から撮影したものでありますが、画像の手前側には踏切があったと思われる部分であります。それにしても、かつての線路跡も車がよく駐車しているのもわかります。
イメージ 8
 
 
 こちらは逆方向からの撮影です。すでに線路跡の所には画像のように家が建てられておりまして、かつての廃線跡を利用しているのがわかるのではないでしょうか。
イメージ 9
 
 
 さらに先へと進みますと、画像の奥側には廃線跡を駐車場に利用している場所あれば、画像の手前側にはかつての踏切があった事を思わせる姿を伺わせる事が現在もできております。やはり存じていない方であるならば、これは何?と思われる方もいらっしゃるのではないかと思いますが、存じていた方ならば、踏切の跡が残っている事がわかっていいのではないかと思います。
イメージ 10
 
 
 そして、さらに進みますと、最後の画像にありますように踏切の跡が、そして画像にあります駅名標の姿が見られます。ここにはかつての大分港臨港線に関しました事が書かれておりまして、実際存在していた事がわかるのではないかと思います。ちなみに、この駅名標は2箇所存在しておりまして、下の次駅表示が2通り書かれておりました。
 
 (下段、←枕木の道 西大分→)
イメージ 11
 
 (下段、←大分港 枕木の道→)
イメージ 12

 

 

 この駅名標が置かれている部分には、画像のように緑地化しておりまして、加えて枕木も残されている事から、かつての姿が残されていると言っていいかとも思います。やはり、面影も少なくなっている事を思いますと、このような姿はわかりやすくていいのではないでしょうか。
イメージ 13

 

 

 また、この緑道は、画像からは車で少々ふさいでいるのでわかりにくいと思いますが残念ながら数百メートル程度であります。そのため、画像の手前側にあります臨海産業道路で断ち切られているのもわかりますが、そのわずかな部分でも面影があるだけでかつての姿がわかる分いいのではないかとも思う所ではあります。
イメージ 14
 
 
 その臨海産業道路の部分でも、かつての踏切があった事を伺わせる姿はわかりにくかったのですが、それでも線路跡は見られておりました。画像はその部分でありますが、ちょうど歩道に当たる部分にその跡が見られておりました。こういった細かいところがあるだけでもかつてこの部分に貨物列車が運行していた事がわかる姿でもありましょうか。
イメージ 15
 
 
 けれども、画像の木材流通センターの方に線路は存在していた訳でありますが、残念ながらその姿も見られなくなっておりました。実際に、そのセンター内を線路は走っていたようですが、残念ながら面影すら見られなくなっておりまして、廃止されました後の時の流れが伺えるほどでもありました・・・。
イメージ 16イメージ 17
 
 
 そして、画像にはありませんが、おそらくはその木材流通センターを越えた部分に旧王子町駅が、そしてスイッチバックしまして旧大分港駅へ線路が延びていたようであります。しかし、ご紹介しておりますように大分港内の整備もありまして、残念ながらこちらでは面影すら見る事ができなくなったのは残念でありました。
 
 
 今回は、過去の画像より大分臨港線の廃線跡探訪に関しましてご紹介しましたが、大分港側が名残が見られなくなっている事に関しましてはやはり港湾整備もありまして時の流れと言うのは感じさせられる所でもあります。けれども、西大分側に関しましては現在も踏切跡に関しましては現在も線路が残されている所も見られておりますし、路盤跡も見られておりますので、わずかながらの名残があるのはかつてを知る重要な所ではないかとも思う所ではあります。ご覧の皆様も、出向く機会がありましたら、是非とも出向いてはいかがかとも思いますし、実際にそう言った貨物線も存在している事を存じていただければと思います。
イメージ 18